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栗隈城跡(湯舟城跡)

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【栗隈城跡(湯舟城跡)】
 栗隈城跡(湯舟城跡) 丸亀市指定史跡(平成16年9月27日指定)
 栗隈城は、中世期に築かれた城郭で、ここから3劼曚廟焼鄒召飽銘屬垢訃觧海猟詐緝婉瓩肪曚れている西長尾城に居城していた城主「長尾大隅守元高」の一族が配置した山城です。初代城主は、長尾大隅守の四男「田村上野介親光」です。その後六男「上野介」が継いだと云われています。
 元高は、三野郡詫間郷筥御崎を領して「海崎(みさき)伊豆守」と名乗っていましたが、白峰合戦で「細川頼之」に従って働いた事を認められ、栗隈、岡田、長尾、炭所の4村を新領地として受けて西長尾城に移りました。元高は、大隅守を任じられた事によって「長尾大隅守」を称するようになりました。以後、代々の長尾氏によってこの地域が治められてきました。
 長尾一族は、それぞれの村に支城を配置しました。その一つが栗隈城です。
 栗隈城は、大高見峰から北に延びる尾根を下った標高200m付近で傾斜が緩やかで台状になった尾根上に位置しています。この付近は、湯舟山とも称されている事から「湯舟城」とも呼ばれています。
 主郭部は楕円形で周囲より一段高くなっており、その両側の尾根はそれぞれ三重の空堀によって分断されています。
更にその下手は連郭式曲輪群が連なっています。主郭部から西に延びる小さい尾根にもわずかに曲輪が配置されています。
また、その北部に手指状に延びる尾根には、城主の居館跡であると伝えられる「田村城」跡など関連する遺構が認められ、それらを栗隈城が束ねていたものと考えられます。
 栗隈城は、天正10年(1582)の長宗我部元親の中讃攻略に伴い、長尾氏が西長尾城主の地位を「国吉甚左衛門」に譲ったことによって廃城となったようです。
 アクセス:竹藪の中を緩い坂を上がったり下がったりしながら登って行くと竹藪が切れて杉の林に入れます。杉の林からは、急な坂道になります。大きな土塁にあたると左に行きます。ここからは一人が登るのにイッパイの細い道になります。回り込むように登って行くと尾根につきます。往復約40分です。城郭と思われる所は殆どが竹が覆っています。(登るには竹・木に栗隈城↑→が付いていて迷わなく登れました。)
 文は現地説明板より転載しました。
 写真は2010年11月16日撮影
 場所はワイワイマップにスポット投稿します。

 湯舟山
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 此処から登ります。
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 土塁?
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 栗熊城跡
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ワイワイマップの見方
yahooトップページ→地図→ワイワイマップ→「城」で検索→《城・城址のMAP》を スクロールで選定する。

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自然の力は凄いですね。ほとんど草木で覆われてしまってる・・

2010/11/26(金) 午後 5:54 [ rec*u*ive_s** ] 返信する

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特に竹は凄いです。竹に山が乗っ取られているようです。

2010/11/26(金) 午後 6:05 [ ロッキー ] 返信する

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