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天霧城跡

【天霧城跡】
 天霧城跡は香川県三豊市三野町と仲多度郡多度津町の境にある天城山の山頂に中世山城の形態が残っている山城である。本丸跡、二の丸跡、三の丸跡、空堀跡などが残っている。
 天霧城(天霧城代:河田伝右衛門)は室町時代末期から安土桃山時代の西讃(西香川県)の守護代「香川之景」の牙城であった。
 多度、三野、豊田三郡(後に那珂を加えた四郡)を領する。通称五郎次郎。居城は讃岐国多度郡本台山城で有事に際しての牙城として天霧城を有する。紋は巴九曜を用いている。一説に法名を釈通庵と伝わる。 はじめは管領細川氏に仕え、後に三好氏に実権が移るとその旗下に入るが、安芸毛利氏の支援を得ながら独立状態を保つ。 長宗我部元親が台頭すると織田信長に近づき偏倚を与えられ信景と名乗る。 元親の讃岐侵攻が始まるとその次男親和を養子とし、傘下となった後は四国統一事業のため讃岐の諸将に降伏を勧めるなど外交に奔走した。天正13年(1585年)、羽柴秀吉の四国征伐の後改易される。
 香川家の墓標は弥谷寺にあるが、そこに信景(之景)は眠っていない。
 以上の文は、WEBより抜粋しました。
 アクセス:三野町の弥谷寺への途中から四国の道白方方面(歩き遍路道)へ下る手前(三差路)を右折する。赤いテープに添って登って行く。
 写真は2009年2月13日撮影
 場所はワイワイマップにスポット投稿します。

 我拝師山から天城山方面
イメージ 1

 本丸跡
イメージ 2

 二の丸跡
イメージ 3

 三の丸跡
イメージ 4

 天霧城主「香川家」代々の墓
 天正13年8月秀吉軍の四国攻めにより香川氏は滅亡して400年、詣でる人とてなく半ば土砂に埋もれ雑草に覆われて密かに眠っていた。場所はここより上方100m本堂西「西院」の旧跡にあった。
 昭和59年、住職「建林良熈」が回向のため現在地に移したものである。 
イメージ 5


ワイワイマップの見方
yahooトップページ→地図→ワイワイマップ→「城」検索→《城・城址のMAP》を スクロールで選定する。

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山城があったんですね。
もうすっかり自然に戻っているようですが、石垣などは残ってるのかな?

2010/12/4(土) 午後 8:36 [ rec*u*ive_s** ] 返信する

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中世の山城ですから石垣は見当たらないですが。土塁?の様なものは残っています。(空堀かも知れません。)

2010/12/4(土) 午後 10:12 [ ロッキー ] 返信する

香川在住ですが、ほとんど知らないことばかり。
こちらで紹介される記事を楽しみにしています。
またお邪魔しますね。

2010/12/5(日) 午後 5:12 ろりす 返信する

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ろりすさん、香川在住ですか。宜しくお願いします。
この城跡に行くのは危険なところはないのですが、道は悪いし上り坂がきつく大変でした。おまけにカメラのバッテリー切れになるしで散々でした。
是非、遊びに来たくださいね。

2010/12/5(日) 午後 5:24 [ ロッキー ] 返信する

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