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松林山・法専寺

【松林山・法専寺】
 松林山・光明峯院・法専寺は香川県綾川町山田下 本尊 阿弥陀如来 創立は永正二年(1505) 宗派 真宗興正派

 法専寺由緒 沿革
 寿永の昔、小松少将有盛、屋島の戦場を脱し北山に閑居して一宇を建て法専坊と称し、後 寺号をたてた(古今名勝絵図)といわれる。
 法専寺所蔵『九条家ニ関スル記録』によれば「元暦文治の頃、源平合戦の砌 安徳天皇を守護参り讃岐屋嶋え御着船に候屋嶋は乱盛に相成り 終に西海にて一門追々討死に付而小鳥丸の御剣所持仕候て南条郡山田郷北山の辺に身を忍び 世間の無常を観じ一門の菩提の為出家「盛物恩(もりぶつとん)」と申し 天台宗の一宇を建立仕候 其後 法専坊と号し候や今に古跡御座候 開基仏恩より中興良円迄代数地文の年号月日相知不申候も 文明年中本願寺蓮如上人え帰依し仕り浄土宗に相成 永正二年丑の二月、北山免の内只今の所へ一宇を再建し今日に至る・・・・云々」とある。「小松少将平有盛」は「平重盛」の四男にして、屋嶋の合戦に敗れるや従者に付き添われ「隠谷(高松市国分町福家)」に一時身を隠していたと伝えらるが、(隠谷の地名それより起きる)、それより後の事であろう。
 なお同文書によると「御殿御館入の始め古き御由御申伝へ御座候」とて「中興二代良玄義御館入仕候御殿御十五代東光院殿先関白植通公御法名行空様御代月輪殿下兼実公御尊碑(牌)光明峯寺摂政殿下道家公御霊牌 御菩提被仰付趣寺社方え書出しに相成候・・・・云々」とあって九条家の尊信篤く 享禄天文(1528〜1554)の頃から御祈祷所となっていたという。さきには「松林山法専坊」と称していたが、文明年間、真宗本山興正派に隋属して真宗の坊舎に改めた時に寺号も法専寺と改称した。
 以上の文は高松市香南文庫蔵書綾上町史より転載しました。

 有盛は長門で入水しているが綾上での伝承では再起を狙って山田の里に隠れ住んだとされる。寺の近くには古い墓石があるがいつの時代かはわからない。落人のゆかりであろうか。
 平有盛は重盛の四男で、兄の平 資盛(たいら の すけもり)に従って源氏に対したが義経に敗れた。
 長門の壇ノ浦でも源氏に敗れて従兄弟の行盛も共に入水したことになっている。
 参考文献 津森明著「義経讃岐を駆ける」

 山門の内側に有盛の位牌を厨子の中に安置している。
087-878-2078
 写真は2012年3月1日撮影
 場所はワイワイマップ(源平ゆかりの地map)にスポット投稿します。

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 山門
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 本堂
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 鐘楼
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 二十四輩石仏
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 小松家墓石
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閉じる コメント(2)

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いつの時代も時の人に敗れると、身を潜めて暮らすしかないのですね。

2012/3/2(金) 午後 9:30 [ rec*u*ive_s** ] 返信する

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そん君さん、負け組でも、次の機会を伺っていたのでしょうね。
こんな平家伝説が多く残っています。

2012/3/3(土) 午前 9:17 [ ロッキー ] 返信する

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