宗派 真言宗大覚寺派 さぬき三十三観音霊場八番霊場 本尊 木造薬師如来立像=重要文化財(美術品彫刻)明治34年3月27日(1901)指定 《宝蔵院古暦記によると、鴨部東山にあった極楽寺の本尊として安置されていたが、長尾東に極楽寺が移転したときに持込まれた。桧材寄木造りの等身大像で、平安時代のものである。面相は穏やかに太って重々しい感じの体を、彫りの浅いすらりとした衣紋の薄衣を纏って、全体に優雅に仕上げている。》 草創の地は、さぬき市石田東であり、白鳳時代前期(7世紀後半)に創建されたと推定される。回廊の礎石から四天王寺式伽藍配置とみられる。大同四年(809)火災により伽藍の一角を残して焼失したが、弘法大師が満濃池を築池し、京都へ帰る途中、弘仁十二年(821)さぬき市鴨部東山へ移転再興して真言宗秘密灌頂の道場とした。 天長元年(824)四月七堂伽藍整備、淳和帝天長元年(824)勅願所となり紫雲山『宝蔵院』の号をたまわった。醍醐帝延喜三年(903)より東讃四郡の談議所となり、法務門主となった。九月清竜権現を勧請して境内鎮守とした。当寺には、国の重要文化財に指定の本尊薬師如来立像や旧小倉寺本尊であった県指定の重要文化財の薬師如来のほか数多くのすぐれた仏画や仏像がある。 延元元年(1336)再度焼失したので吉祥院という末寺に移転し現在に至る。 文は現地説明板&WEBなどより転載しました。 写真は2012年2月20日撮影 場所はワイワイマップ『空海ゆかり地map』にスポット投稿します。 大門の仁王像は江戸時代初期に当時の住職(桂洞法印)が設置した石造のもので、非常に珍しく貴重な存在である。
本堂 阿弥陀堂など 観音堂(さぬき三十三観音霊場八番霊場) 鐘楼 手水盥 三地蔵 桂洞法印の墓 |
この記事に
石造りの仁王さんは珍しいですね。
なかなか趣きのある寺です。
2012/3/28(水) 午後 9:44
返信する
@ケンさん、私も初めての石像の仁王さんでした。
山門も素晴らしい建物でした。
2012/3/29(木) 午前 9:25 [ ロッキー ] 返信する