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見龍山 宝徳院 福田寺

寺 名:見龍山 宝徳院 福田寺(ふくでんじ)
本 尊:阿弥陀如来
創 始:
宗 派:浄土宗西山禅林寺派
住 所:高知県安芸郡田野町339
電 話:0887-38-2954
由 緒:
解 説:
文化財:
資 料:現地説明板&日本の神社・寺院検索サイト様など
撮影日:2014年9月26日
近隣施設:二十三士公園、道の駅「田野駅屋」、岡御殿、

二十三士と武市瑞山
 江戸で薩長の志士と手を携え「尊王攘夷」の運動に立ち上がる約束をして土佐に帰って来た武市瑞山(半平太)は、藩内の同志「土佐勤王党」を結成し、「公武合体」の藩論を「尊攘」に転換さすべく建議し成功するかに見えた矢先、文久三年(1863)八月の政変で水泡に帰し、前の藩主山内容堂の頑固な公武合体論と藩の上層部と長宗我部の遺臣即ち上士と下士の対立感情も底流に働いて、次々に弾圧の嵐が吹き瑞山も獄中に在り、一藩勤王の目的は挫折した。
 土佐藩内七郡相呼応する結束も次第に崩れ清岡道之助えお首領と仰ぐ安芸郡下の二十三士だけととなり、岩佐の関所から藩庁へ、「藩政改革・攘夷・瑞山の釈放」の嘆願書を差し出したが、藩より反乱を企てる不逞の徒として討伐の兵を送られ、志士は阿波で捕らわれて岡地の獄舎で一夜を明し、唯一度の取り調べもなく元治元年(1864)九月五日、奈半利の磧を朱に染め節議に殉じた。
 昭和五十五年十二月十五日 田野町委員会 説明板より転載しました。

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二十三士の墓
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二十三士顕彰碑
 二十三士が処刑されて、三年後、明治維新の大業がなった。
 明治十年、遺族に族禄が復活され、明治二十四年、特旨をもって贈位の沙汰があった。
 明治三十年、かっての同志で、当時の高知県知事であった石田英吉の発議により、この碑が建てられた。
 題字は、伯爵東久世通禧による。
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