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''' →ヤホーさんの仕様ですかね? '''
前回のこぼれてしまった分です.
自動2輪車に戻ってから
島津楢蔵がオートバイに復帰した第1弾は,エーロ・ファースト号で,約3年後に出来上がった.
このエンジンは,単気筒4サイクル633ccでサイドバルブ方式,両バルブともカム駆動だった.出力は6.5馬力,変速ギヤは前進3段,後退1段(後退はサイドカーのために装備),最高速度は4Okm/h(この速度は当時の道路環境では十分だった).
名前のエアロ・ファーストは,当時でも「エロ」と勘違いされて冷やかされたこともあった.この意味は「航空エンジン競作での1等賞の記念」という命名であったのだが......
この復活第1作がうまくできたので,この生産と販売を企画し,大正12年2月から3月にかけて,エアロ・ファースト号の実用性能を広報するために,鹿児島から東京までのデモ走行を行ない,19日間で走破した.
世界的不況と陸軍の要請
島津楢蔵による日本最初のオートバイ生産の事業は,1928年(昭和3)年前後のひどい不況で伸び悩み,1930(昭和5)年ころに廃業する事態になってしまった.
その同じころにヨーロッパでは, ナチス(1933年ドイツ政権獲得)やファッショ(1922年イタリア政権獲得)の台頭があり,アジアでも日本がそれに歩調を合わせるように,軍部が先頭になって中国大陸に進出(1931年満州事変)して,世界の情勢は騒然となっていた.戦争の掛け声とともに,重要機材は国産化のスローガンが日本でも高くなってきた.オートバイは軍用車輌としても重要なものであるので,そのかけ声にのって,試作に乗り出す企業が現われてきた.
その代表的なもので現在まで記録に残っているものは次のようである.
(1)ミヤタのアサヒ号――第1号は1914(大正3)年に東京高工教授である根岸政一の指導を受けて完成,警視庁に納入したが,生産には至らず.1933(昭和8)年になって初めて商品化された.
(2)JAC号――1928(昭和3)年に日本自動車大森工場の蒔田鉄司により設計,試作された.エンジンは空冷2サイクル,250cc.
(3)SSD号――1930(昭和5)年,広島市の宍戸健一・義太郎兄弟の手により350cc,500cc型が少数生産して販売され,軍にも納入されたが,結局輸入車に対抗できず,間もなく廃業した.
(4)あいこく号――1934(昭和9)年,東京モーター用品製造組合会員の共同製作,エンジンは,日本自動車の蒔田さん設計のもの.
(5)陸王――米国のハーレー・ダビットソンを国産化したもの.1935(昭和10)年に完成.主として軍に納入された.最初は三共の手で,やがて陸王内燃機という独立会社が設立され,品川に新工場を建設し,発展した.
(6)キャブトン――愛知県犬山のみづほ自動車製作所の手で1927(昭和2)年に試作,発表された.主力は350ccの4サイクル,単気筒,サイドバルブ方式,大阪の中川幸四郎商店が発売した.
(7)リツリン号――1936(昭和11)年,大阪の栗林部品店の手で製作,販売された.栗林さんはプロレーサーとしても活躍した.1928(昭和3)年に開業.1936(昭和11)年型は4サイクル500ccになった.
8)くろがね号――1937(昭和12)年に発売.日本内燃機会社の手で製作された.設計者は蒔田鉄司氏.くろがねという名は,蒔田氏の名の鉄にちなんだものという.この車は,ハーレーと同格の側車用であり,4サイクル2気筒V型1,296ccの大型で,出力は12馬力.
念のために,GSバッテリーの島津源蔵さんは島津製作所の創始者だが,ここで紹介した内燃機関の島津楢蔵さんとはつながりはない.