日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン

まだ手探りで自分の飛行機を工夫して試作していた時代

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日本航空協会を設立してから

 磯部鉄吉(石川県金沢市材木町出身)は,1911年1月21日に海軍を退役し民間人として飛行機の普及活動に専念した.航空機購入のための寄付金募集や資金獲得活動から,磯部鉄吉は1912年11月25日に日本航空協会を設立した.しかし設立準備中の帝国飛行協会と民間飛行団体として一本化することになり帝国飛行協会に吸収合併されるかたちとなり,帝国飛行協会が1913年4月23日に設立された.会長には大隈重信が就任し,理事は天下官僚が占めた.磯部鉄吉は協会技師となり実質的な協会活動を担当した.
 こうして協会は磯部鉄吉技師をシベリア経由でドイツに派遣し,万国飛行免状593号を取得させた.さらに三井物産を通して,ルンプラー飛行機会社からタウベ型単葉機2機(メルセデス・ダイムラーE6F水冷式直列6気筒100馬力/70馬力)を運賃込み2万8745円で購入した.購入した2機は1914(大正3)年2月に横浜港に船で運ばれてきた.
所沢の飛行場で組立てテスト飛行を行ない,鳴尾の第1回民間飛行大会(6月)に,そのうちの1機を磯部飛行士の操縦で参加し,滞空1時間34分25秒,高度1944mを記録した.
 ところが帝国飛行協会の2機は,1914年10月に極秘のうちに陸軍に買い取られ(購入価格:3万1500円),青島(中国)作戦に参加することになった.しかし参戦予定の1機が武田次郎少尉の操縦で破損し,実際に現地に到着したのは1機で,それも途中不時着してしまった.ようやく再整備をした後に磯部飛行士が試験飛行をしているうちに戦争が終了してしまい,実戦には間に合わなかった.
 帝国飛行協会は,1915年に新たに英国からオストロ・ダイムラー90馬力発動機を購入して,タウベを基本とした国産機1機を製作したが,この型は排気管が左側についている.
 第1次大戦が始まると磯部金吉もフランスの飛行隊に従軍したが,事故で負傷したため帰国し,一時的に飛行活動を休止した.しかし1929(昭和4)年になると磯部鉄吉は ''' 日本グライダー協会 ''' を設立した.

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