日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン

まだ手探りで自分の飛行機を工夫して試作していた時代

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大西洋横断といえば船ではどのくらの日数がかかるのだろうか?

高速船によるブルーリボン賞 
 かつてはブルーリボンという名で所要日数の短縮を競っていた時期があった.
 起源をたどれば,中国から喜望峰をまわって英国まで茶葉を運ぶ東インド会社の「ティ・クリッパ」になるのだろう.といっても明治のはじめごろであれば,「カティ・サーク」や「サーモピレー」などの帆船だから,地球を半周して100日くらいの航海となる.それが,オーストラリア大陸からのウール搬送にかわり,大西洋横断航路の客船に主役が移って行く.
 飛行機が登場して間もないころであれば,大西洋を船で横断すると,4日と22時間53分(1907年にキューナド社のルシタニア),第二次大戦後になると,3日と10時間(1952年に米国海運のユナイッテッド・ステーツ)となっている.
 一番新しい記録では,2日と20時間(1998年にデンマークのカー・フェリー「キャット・リンク5」)に短縮されている.
 大西洋の無着陸横断飛行
 さて飛行機による大西洋無着陸横断飛行は,英国空軍のジョン・オルコットとアーサー・ブラウンがビッカース・ビミー複葉爆撃機を使って,1919年の6月14,15日にカナダのニューファンドランド島からアイルランドのクリフデンまでの3040kmを16時間27分で実行した.この成果によって2人は,英国のデーリー・メール紙が掛けた賞金1万ポンドを獲得し,英国王室からもナイトの称号を受けている.
 ビッカース・ビミーという爆撃機は,第一次大戦中に開発されたが完成したときには,戦争が終わってしまったので,経済感覚に優れた英国軍人がビッカ−ス社に広報のチャンスと提案して始まったプロジェクトである.
 ロールス・ロイス製イーグルVIIIV12気筒エンジン(360馬力)を2機装備した長距離爆撃機(ビッカース・ビミー)で無着陸飛行を実現するために,燃料タンクを増設して4000Lとし,航続距離を4000kmに伸ばしたものである.このため自重は3.2トンだが,最大離陸重量は6トンに達していた.
 操縦性が悪いのか,長時間飛行の疲れによるのか判断できないが,着陸時に機体がひっくり返ってしまったが,操縦士と航法士には怪我がなかった.
50周年記念にレプリカを製作
 1967年に大西洋横断50周年を記念して,ビッカース・ビミーのレプリカを製作が行なわれた.
最初は実際に再現飛行を計画していたため,中古のロールス・ロイス製エンジンをオランダ運河の艀から3基を探し出した.こうして再現飛行機は1969年5月30日に完成し,6月3日に初飛行し,6月6日にはパリ・エア・ショウに参加するために英仏海峡を飛び越えて行った.6月9日には英国戻り記念塗装を仕上げて,マンチェスターのリングウェイ空港に飛び50周年記念会場に展示された.ところが7月14日にロールス・ロイスの試験場で整備中に火事に遭遇してしまった.致命的な損傷を受けたが,歴史的にも重要な機体だから,博物館で静的な飛行機として展示可能な程度には復元されて,英国科学博物館に保管されている.
Vickers Vimy 翼長21m×全長13.3m  最高速度:89knots(165km/h)
Cat-Link V  全長91.3m×自重450トン 最高速度:48knots (89km/h)
?H3>ディーゼルエンジン・4基(3万4000馬力)

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文庫の奥付は1990年7月となっているが,単行本は1980年2月に文藝春秋社から出ている.

つまり文庫版には,あとがきが90年6月に追加されているのだ.
 
 1960年代のドイツは東西ふたつに分割されていたが,西ドイツはようやく第2次大戦後の破壊から立ち上がり復興による高度成長期に入っていた.フォルクスワーゲン社は,すでに後継となるノッチバックのVW1500(タイプ3)を登場させていた時期である.空冷エンジン(タイプ1)のワーゲン・ビートル(かぶと虫)を製造するVWのボルフスブルグ本社工場には,イタリアからの期間作業者であふれていた.破壊から活況に到った工場街.しかしそこは過去の傷みと未来への想いの交鎖する街でもあった.少年兵を戦場で失った自責に悩む元兵士,少数のアジア系労働者との共感と別れ,かつてのロシア兵の暴行をいまだに癒せない男と女…心の雪どけを待つドイツを描く4つの連作集[フォルクスワーゲン18番工場,「グッド・ラック工場長」,「18番工場の冬」,「ベルリンの女」]である.単身でVW工場で働いた日本人の著者が工場現場で体験してきた事実をもとにしたフィクションとなっている.
 著者の谷克二(たに・かつじ)さんは,宮崎県延岡市出身の作家で1941年に生まれ,早稲田大学を卒業し西ドイツに渡り,フォルクスワーゲン社に勤務した.その後,ヨーロッパ大陸を歩きまわり,1968年にロンドン大学で歴史経済を学ぶ,1969年に帰国している.その後は創作活動をはじめ,1974年に第一作「追うもの」(ニュージーランドの鹿猪を描いた)で野性時代新人賞を受賞した.
「狙撃者」(1978)で角川小説賞受賞,直木賞候補になった.欧州,米国に取材して,国際的な小説(1997)を発表している.「双頭の鷲のごとく」,「老猿」,「スペインの短い夏」,「マイスターの国」「国際金市場を封鎖せよ」,「暗号名はトロイの木馬」,「アラスカ羆の谷」などがある.

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金属製の多用途輸送機

 外観はクラシックな複葉機(金属製)だが,日本で見かけるヘリコプターと比べる方向性がどうしてこんなに異なっているのか気づかせてくれる現代の輸送機として,東ヨーロッパや中国では現役の実用機である.ソ連時代に農業・森林担当大臣がどこでも使える多用途でかつSTOL(250m足らずの不整地滑走路で離着陸が可能)性能のすぐれた輸送機の開発をアントノフ設計局に発注し,試作機が初飛行したのは1947年8月31日である.
生産はポーランドと中国
 すでにロシア本国の開発元アントノフ社キエフ工場では1960年に基本型の製造を5000機で打ち切り,ほそぼそと発展改良型(An-2m)を生産しているだけである.しかし中国では1957年よりAn-2の製造権を得て,1970年までにY-5ハービン輸送機として5000機を生産しており,フォンチュウ2はそれ以上の数量を生産している.ヨーロッパではポーランドのPZLムエルク工場で1960年に製造権を取得し,1961年10月23日より製造を初めており,すでに1万2000機を越えるており,現在も生産は継続されている.
 このようにアントノフAn-2は,汎用輸送機のカラシニコフ銃に似た地位を得ている.操縦がやさしく,保守にもたいして手間が掛からないから東ヨーロッパや東アジアの開発途上国にも受け入れやすいものとなっている.日本のお役所が開発するような高価な高揚力装置を装備することなく,翼面積の広い複葉機とすることによってSTOL性能を実現している.
 エンジンはもちろん空冷星形9気筒のピストン・エンジンで出力は1000馬力(シュベソフASh-62IR)を装備している.
ポーランドのムエルクにあるPZL工場では輸送機型のAn-2T,農業用のAn-2Rを標準として生産している.PZLムエルク工場ではAn-2Rの機体にも細かな改良を続けており,1961年まではTBOが900時間だったのが,1970年には1500時間に,1973年からは2000時間まで延長している.もちろんサービス寿命も1万5900時間となっている.現在では製造されたAn-2の9割はロシアに輸出されているが,1961年以来生産を続けているAn-2のうち5500機が農業向けとなっている.

○アントノフAn-2の主な仕様

上部翼長:18.18m,下部翼長:14.24m,翼面積:71.6m2
全高:6.1m×全長12.71m(尾輪下げ時12.4m),プロペラ直径:3.6m
貨物室扉サイズ:高さ1.55m×幅1.39m
自重:3450kg,最大離陸重量:5500kg
最高速度:253km/h(高度1500m),経済巡航速度:185km/h
失速速度:90km/h,上昇限度:4400m
○用途に応じて客室の内装は変更可能
An-2  :単発の多用途複葉機(基本形)                    
An-2P :12人乗りの旅客機形 
An-2PK:5人乗りの重役室タイプ, An-2P-Photo:航空写真撮影	
An-2R :1300kgの液体や粉末を積載可能な農業形
An-2S :ストレッチャ6基を積載可能な救急医療タイプ 
An-2T :輸送機形(1500kgの貨物積載または乗客12人) 
An-2TD: スカイダイビングや落下傘降下用, An-2TP:貨客兼用
An-2M :フロート付きの水上機 

1919年5月8日〜27日

アメリカ合衆国海軍のカーチスNC-4飛行艇が,ニューヨークのロングアイランドからポルトガルのリスボンまで2150mile(=3460km)を着水しながら,19日間(実際の合計飛行時間は26時間)で大西洋の初横断飛行に成功した.ニューファンドランドからアゾレス諸島までに21隻の駆逐艦を80km間隔で海面に配置する航空路の支援体制をとった.アゾレス諸島からリスボン間も同じように駆逐艦を配置した.
カーチス社製NC-4飛行艇(3基を牽引式+1基は推進式)
カーチス(Curtiss Aeroplane and Motor Company)社製のNC-4(4発エンジン装備機)飛行艇は,2機の飛行艇NC-1(3発エンジン装備機),NC-3(3発エンジン装備機)とともに大西洋の横断飛行を開始した.ニューヨークのロングアイランドを出発し,ニューファンドランドに到着,5月16日アゾレス島に15時間後に到着した.悪天候のためNC-1とNC-3はここまで飛行を断念したが,NC-4は補給後,離水しポルトガルのリスボンに5月27日到着した.さらに英国のプリマスまで飛行を続けて31日に到着した.なお米国へは船で戻った.
NC-4の乗員は,機長兼航法士がアルバートC.リード,操縦士がウォルター・ヒントン,エルマーF.ストーン,フライト・エンジニアがジェームスL.ブリース,ユージンS.ローズ,無線士ハーバートC.ロッドの6人である.

★米国海軍カーチスNC-4飛行艇の性能

 全長:20.8m,翼長:38.4m,全高:7.4m,重量:7257kg,離陸重量:1万2422kg
最高速度:146km/h,飛行高度:1372m,航続距離:2366km,航続時間:14.8時間(巡航速度)
装備エンジン:リバティV型12気筒400馬力×4基
現在もNC-4飛行艇はフロリダ州のペンサコラにある海軍航空博物館(the Naval Aviation Museum)に保管されている.

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朝日ソノラマ文庫 1985年4月刊 本体価格580円

かつての朝日ソノラマから出ていた航空戦史シリーズのNo55
=== いま書店にある朝日ソノラマ文庫からは,とても考えられない本だが,20年立つと現在の路線も同じように見えるのだろう.===
=== 原題は「Typhoon:The Other Enemy」で1981年に米国で発行された.===
米海軍のハルゼー提督指揮下の第3艦隊が1944年12月18日に,フィリッピン・ルソン島の東方およそ300マイルの海域で,きわめて勢力の強い台風と遭遇し相当大きな損害を受けた.3隻の駆逐艦「ハル」,「モナハン」,「スペンス」が転覆し沈没し,軽巡「マイアミ」,軽空母「モントレー」,「カウペンズ」,「サンジャシント」,護衛空母「ケープ・エスペランス」,「アルタマハ」,駆逐艦「エイルウィン」,「デューイ」,「ヒコックス」が重大な被害を受けた.また重巡洋艦から護衛駆逐艦にいたる,すくなくともほかの19隻がそれよりも軽い被害を受けた.空母に搭載していた航空機は146機が破損亡失した.その結果として, 790人の行方不明または死亡者,80人が負傷した.
 もちろん戦艦「アイオワ」は推進軸を破損したため,パールハーバーの乾ドックに入渠修理のため帰投した.
これは第一次サボ島沖海戦(第一次ソロモン海戦)以来,太平洋において米海軍が代償を得ずに失った最大の損失となった.つまりそれまでの神風特攻隊よりも大きな損害をこの台風は米艦隊に与えたのである.この本は,このときの台風になんとか耐えて生き残ったファラガット級駆逐艦「デューイ」艦長の回想記である.
  米海軍のフレッチャー級駆逐艦は復元力が不足しているのが1942年以来常識とされており,トップ・ヘビーであることが判り,5インチ砲1門を撤去する応急処置が取られたとか,燃料の残りが不足した状態では相当危険な船であることが記述されている.しかし,軍隊という組織であるから事故の本質は解明されないままに終わっている.
 もちろん旧日本海軍も「個艦優秀」というスローガンのもとに,兵器の装備を優先した結果として1934年に友鶴転覆事件や,限度を超えて軽量化した特型駆逐艦が想定した以上の波浪に遭遇して破損した第4艦隊事件という犠牲を払っている.このような日本近海の過酷な気象状況を海軍は秘匿していたが,1960年代になって海上保安庁がこの気象状況を文書として公開している.

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