日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン

まだ手探りで自分の飛行機を工夫して試作していた時代

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 蒸気船シリウス号(Sirius:703トン長さ54.3m×幅7.6m/250馬力)はアイルランドのコークを4月4日に出航し,ニューヨークに到着したのは4月23日の午前中だった.このシリウス号は,ブリティシュ&アメリカン蒸気航海会社(British and American Steam Navigation Company)が,自社船のブリティシュ・クイーン(British Queen:1850トン)号が造船所の経済問題により完成が遅れたために,蒸気船による大西洋の初横断記録を手に入れるために2航海だけの傭船契約したものである.
 しかし大西洋を横断する航海中に蒸気を発生する燃料として石炭を航海中に使い切ってしまったために,客室の家具やマストを1本燃料代わりの木材として燃やしてようやく,大西洋横断航海(3000マイル)を18日間と14時間22分で完了した.この航海による平均速度は6.7ノット(15km/h)だった.
 そしてシリウス号はニューヨーク港を5月1日に出航しファルマスには5月18日に到着した.この航海の平均速度は6.9ノットだった.その後で大西洋の往復航海は7月に行ない,もとの海峡横断サービスに戻った.
 ライバルの蒸気船グレート・ウエスタン号(Great Western:1350トン長さ64.6m×幅10.8m/450馬力)は,英国のグレート・ウエスタン鉄道がブリストルからニューヨークまで営業路線を延長するために,ブルネルに大西洋を横断可能な蒸気船の設計を依頼したことから大西洋航路の競争が始まった.こうしてイザンバード・キングダム・ブルネル(Isambard Kingdom Brunel:技術者)が設計し,モーズレー・サンズ(Maudslay , Sons&Field)社がグレート・ウエスタン号を製作した.この蒸気船はジョシュア・フィール(Joshua Field)が考案した外輪(直径8.76m)を回転させて進む方式をとっていた.
 グレート・ウエスタン蒸気船会社(Great Western Steam Ship Company)のグレート・ウエスタン号はブリストルを4月8日に出航して15日後の4月23日午後にニューヨークに到着した.先に出発したシリウス号のわずか4時間後だったという.つまりグレート・ウエスタン号は大西洋横断の航海日数をシリウス号より3日間短縮し,さらに200トンの石炭を残していた.平均速度は8.6ノット(16km/h)だった.
 結果としてこれが大西洋横断航路の速度を競うブルー・リボン賞のきっかけとなるものだった.グレート・ウエスタン号は蒸気船による大西洋の初横断という記録はシリウス号に先を越されたが,汽船として最初にブルー・リボンを掲げるに値する大西洋横断速度記録を残した.さらに米国から英国への航海でも,シリウス号は18日間で航海したがグレート・ウエスタン号は15日間(14日17時間30分)で航海して英国に戻った.この航海の平均速度は8.6ノット(16km/h)だった.
 1839年になると,グレート・ウエスタン号はシリウス号の姉妹船ブリテッシュ・クィーン(British Queen)号とともに米国まで航海した(所要日数は13日6時間:平均速度9.6ノット).こうして大西洋横断航路に蒸気船が使用されるようになった.
 
 コロンブスが新大陸を発見した航海のあとには,数えきれないほどの帆船が大西洋を航海していた.1819年に米国船籍の補助蒸気外輪付き帆船サバンナ号(Savannah:350トン)をヨーロッパで売却するために,5月26日に75トンの石炭を満載してニューヨークを出航し,26日後に英国のリバプールに6月20日到着した.アイルランドの海岸に着いたときは石炭は使い切っていた.このころの帆船には蒸気機関を補助エンジンとして装備し,帆船の速度が4ノット(7km/h)以下になると蒸気機関を使用する方式だった.サバンナ号では18日間は航行に蒸気機関(蒸気シリンダは直径40インチ×行程6フィートで傾斜した低圧力の蒸気エンジンだった)を使用した.
 しかしサバンナ号はヨーロッパに買い手が見つからず米国に戻る大西洋横断航海では,外輪推進機構を取り外して帆走で航海した.さらに1833年にもカナダの外輪推進式蒸気船ローヤル・ウイリアム(Royal William)号が英国に売却されたために,330トンの石炭を積み込んでノバ・スコシエを8月17日に,30人の乗客を載せて出航した.途中で嵐に遭遇して右舷の蒸気機関が故障して浸水が始まった.蒸気機関の修理が完了するまでの10日間は帆走し,ロンドンに着いたのは9月12日になっていた.この大西洋横断の航海日数は26日間だったが,船長は蒸気機関だけで大西洋を横断した最初の蒸気船と宣言した.しかし事実としては,当時の蒸気機関は4日に1日は蒸気機関を止めて海水に含まれる塩分を清掃して除去する必要があったと思われる.
 では現在の高速フェリーを利用した場合には大西洋を横断するのにどのくらいかかるのだろうか?
オーストラリアのIncat社が製作したCat-Link V(自重450トン,全長91.3m,ディーゼルエンジンを4基装備して3万4000馬力)が1998年7月20日にヨーロッパ大陸の海峡フェリーに回送する途中で米国から英国への大西洋横断航海で記録したのは,所要日数2日20時間9分で平均速度は41.3ノット(76km/h)という数値だった.160年という年月が経過しているが,シリウス号とCat-Link V(カタマラン形式のアルミ船体+水ジェット推進)の船のサイズはかなり似たものとなっている.

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2006年のF1GP開催日程が公表になった.
 新しいV8形2.4Lエンジンにレギュレーションが代わり,予選方式も新しくなるようだ.
 2005年と同じように19レースが行なわれるようだ(ブラジルが確定していない).
3月12日のバーレーンGPから始まり,翌週19日にマーレシアGPでオーストラリアGPは4月2日となった.これはメルボルンで開かれるスポーツの祭典「コモンウェルス大会」と日程を調整したためである.
 ヨーロッパでは4月23日にサンマリノGP,5月7日にヨーロッパGP,翌週14日にスペインGP,モナコGPは5月28日,英国GPは6月11日に,アメリカ大陸ではカナダGPが6月25日に,US GPは7月2日に開催される予定だ.
 またヨーロッパ大陸に戻ってフランスGPは7月16日になった.
2006年はフランスの独立記念日の週末となる日程で,観客は3日間のグランプリを楽しむのだろう.
 なにしろ1904年6月26,27日にフランス自動車クラブがルマン近郊の公道を閉鎖したサーキットを利用して開催した第1回フランスGrand Prixレース以来の100周年記念GPレースとなるからだ.すでに2005年のF1GPシーズンは,ルノー・チームがドライバー選手権とコンストラクター選手権を獲得して素晴らしい成績を残した.タイヤもミシュランが米国GPを除けば,完全勝利といえるだろう.車体のゼッケン番号のNo1とNo2を手に入れてルノーは,第1回グランプリ・レース優勝車でも走らせるのだろうか?
 また2006年にはサッカーのワールドカップがドイツで開かれるが,日程を調整することによってTV観戦や,観客減という影響を避けて,ドイツGPは7月30日になったようだ.そのためハンガリーGPは翌週の8月6日に開催される.
 夏休みとして3週間休んでトルコGPは8月27日に,イタリアGPは9月10日で,ベルギーGPは翌週の17日になる.
アジアでは日本GPが10月1日に,翌週8日に中国GP,最終は10月22日に開催予定のブラジルGPとなっている.

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 米国の実業家で飛行士だったヒューズ(Howard R. Hughes Jr.)は,4人の乗員(Harry H.P. Connor, Lt. Thomas Thurlow, Richard Stoddard and Ed Lund)とともに,ロッキード14Nスーパー・エレクトラ(ライト社製サイクロンGR-1820-G102空冷星型エンジンを2基装備:燃料タンクを増設して1844USガロンにして航続距離5000マイルに伸ばした)に1939ニューヨーク世界博号と名づけて,世界一周早周り飛行を1938年7月10日〜14日に行なって,5年前のWiley Postが実施した世界一周飛行時間を書き換えたのである.
 この飛行では,ニューヨークのフロイド・ベネット飛行場を離陸してリンドバークの大西洋横断時間も半分でパリまで飛び,モスクワ,オムスク,ヤクーツク,フェアバンクス,ミネアポリスを経由してニューヨークに戻ってきた.この飛行の所要時間は3日19時間(91時間)15分で世界一周(1万4672マイル)を実現した(平均速度=206.1mph).これによって一時はヒューストン・ウィリアムP.ホビー空港(ヒューズの出身地)が改名されたが,まだ生存している人の名をつけるのは好ましくないと,もとに戻されるという事件もあった. 
 世界一周飛行に使用した飛行機は,1937年に登場したロッキード社製14Nスーパー・エレクトロで,Hall HibbardとClarence "Kelly" Johnsonを中心とした設計チームが開発したダグラスDC-3旅客機に対抗する双発旅客機だった.ロッキード社が既存のモデル12エレクトラを大型化したものである.着陸速度を低減するためにファウラー・フラップを最初に装備した旅客機となった.
 胴体には3列に客席を配置して40人の乗客と客室乗務員を収容可能とし,翼内に燃料タンク,主翼に補助翼をオプション装備(あとで標準装備となった),フル・フェ−ザリング回転が可能なプロペラを装備していた.試作1号機はプラット&ホイットニー社製ホーネット空冷星型S1E-Gエンジン(875馬力)を2基装備して1937年7月29日に初飛行した.ホーネットS1E-Gを装備したモデル14HとホーネットS1E2-Gを装備したモデル14H2の型式証明を1937年11月15日に取得した.
 こうしてホーネット・エンジンを装備した52機のスーパー・エレクトラが1937年7月から1940年6月までに製造された.20機がモデル14Hとなった(試作機を含めて,ノースウエスト航空に8機,ギニア航空に1機,10機がポーランドのLOT).32機がモデル14H2だった(18機がトランス・カナダ航空で残りは5社の航空会社と1機が役員専用機になった).
 ロッキード社はプラット&ホイットニー社ホーネット2種類,ツイン・ワスプ1種類,ライト社サイクロン5種類のエンジンをモデル14の選択仕様範囲に設定した.

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 ボーイング717はボーイング社では一番小さな双発の中距離ジェット旅客機である.1999年の9月より営業路線に就航しているが,古い皮袋に新しい中身を入れた新世代の旅客機となっている.なにしろ1965年に初飛行した国内線向けの小形ジェット旅客ダグラスDC-9から派生したマクダネル・ダグラスMD-95を合併したボーイング社が欠番になっていた717という型番に付け替えたのだから.
 ジェット旅客機は英国のコメットを含めて第一世代が国際線向けのボーイング707,DC-8,CV-880に続いてボーイング727(3発機)が近距離の国内線向けのジェット機として民間航空会社に受け入れられると,ようやくダグラス社も双発のDC-9をライバルとして投入した.するとボーイング社も2年後には双発の737を投入して民間旅客機のジェット化を一気に実現してしまった.これでターボプロップ旅客機を除くとヨーロッパ市場のジェット旅客機はフランスのシュド社のカラベル(胴体後部にエンジンを装備する形式)以外は消えてしまった.こうしてエアバスとして欧州の航空機メーカーの協同開発によって双発のA300が登場した.
 不思議なことにYS11の後継機とされたYX(150席程度の中距離旅客機)のサイズがボーイング717に近似していることである.ちょうどボーイング社にないサイズの旅客機を日本の通産省が予算をつけて共同開発しようとしたのだろうか.
 短距離を飛び頻繁に離着陸するリージョナル旅客機の上限のサイズにB717は該当する.もちろんボーイング社は,エアバス社のA318の対抗機にB717を仕立てたが,もう役目を果たしたから2006年には生産を終了する予定という,あとはB737のアップデート版で対応することにしたのだろう.
 それにしても,ジェット旅客機の販売数量ベスト3(B737,A300,DC9)にボーイング社が2種類も占めているということは,新しい時代がくるのか,ジェット時代の終わりなのか?

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フランスのルノーがF1のコンストラクター選手権も獲得した.
これで来年のGPレース100周年記念には絶好の冠を手に入れたことになる.
そう同志のタイヤ・メーカーとしてミシュランも同じだ.
ただ残念ながら,フランスGPの開催時期が4月か5月になってしまうことだろう.
 まず,2006年に米国で開催予定のF1GPが7月2日になるらしい.これで英国GPの開催日程がこれまでの7月中旬から変更されることになった.もちろんほかのGPにも日程変更の影響が及ぶのだ.いちばん大きな問題は英国GPと米国GPの中間に予定されていたフランスGPの日程である.なにしろ100年前にフランスのルマン近郊の公道を利用してフランス自動車クラブが1906年6月26,27日に開催した最初のグランプリからちょうど100年目というイベントになるのである.
 米国GPの日程で,フランスGPはドイツで開催されるサッカーのワールドカップの日程との関係で6月18日も7月9日も開催できないからだ.これで6月9日から7月9日まで,つまり6月18日,6月25日,7月9日はワールドカップと日程が競合してしまう.
 まず6月18日はF1日程から見ると,ワールド・カップ・サッカーの3試合が午後3時〜10時30分までTV視聴者を占有してしまうから絶対に避けなければならないことになる.そして6月25日にはサッカーが2試合,7月9日はワールドカップの決勝戦だからF1は視聴率をとれないことになる.米国のインディアナポリスの日程を変更すればいいのだが,今年はインデアナポリスでタイヤの問題があったために移動できないということだ.
 米国のレースの1週間前に行なわれるカナダGPを6月25日に動かせばいいのだが,サッカーのためにそれができない.米国GP1レースのためにすべてを積み込んで移動し,カナダGPを7月16日に開催する日程を組むと,英国GPをこれまでの日程で行なうと,米大陸のレースの合い間にスタッフがヨーロッパ大陸を往復することが必要になり費用が嵩んでしまう.さらにスタッフを10日間も高価なホテル住まいをさせなければならないことになる.これではF1の運営費用がかさんでフランスと英国の主催者がどちらも貧乏くじをひいてしまう.ということで,フランスGPを4月末に開催して,英国GPはモナコの5月28日,ニューブルクリングの6月4日,シルバーストーンで6月11日と3連続開催という日程が予想される.
 
  1906年に開催されたフランスGPに,ルイ・ルノー(Louis Renault)はタイプAKを開発して3台エントリーした.エンジンは4気筒で排気量が13Lの90馬力を装備していた.ルノーAKは,油圧式のサスペンション・ダンパーとミシュラン製リム交換式タイヤを採用した点が長所となっていた.これで1周64マイルのコースを2日間で12周するレースでハンガリー人ドライバーのファレンス・シーズ(Ferenc Szisz)が2位のフィアット(フェリース・ナザロ)に32分の差をつけて優勝してしまった.
 769マイルを平均速度62.88mphで走行したのだが,タイヤがパンクして19回も交換したのだが.
翌年はフィアットに次ぐ2位,1908年はホイル・トラブルにより失格にされたため,それ以後ルノーは69年間モーター・スポーツには参加しなかった.

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