日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン

まだ手探りで自分の飛行機を工夫して試作していた時代

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 東洋工業(現在はマツダ)は小型商用車としてボンゴシリーズ(トラック:500kg積載,バン・ルートバン:400kg積載,コーチ:8人乗り)を1966年(昭和41年)5月に,排気量1Lクラスでは初のキャブオーバー・タイプとすることによって低床式の多用途商用車として発売した.これはメインとなるの乗用車との共用ユニットを利用して,販売店の展示車種を増やしかつ工場の生産効率をあげる手段であった.
 ボンゴのエンジンは乗用車ファミリアのSA型(水冷直列4気筒782ccのアルミ合金製)を実用的な低速型に調整したもので(37馬力),後輪のオーバー・ハング部に搭載して後輪駆動方式(RWD)とした商用車である.これによって,荷台となるフロアの低床化を実現している.車体側面には2段折り畳み式のボックス・サイドドアを装備していた.当時の標準価格は38.5万円に設定され,デラックス仕様車は4万円高としてラジオやヒーターなどを装備して,2トーンカラーのボディ塗装であった.
 荷台全面を平面にしたフラットデッキ車を1967年に追加し,そしてエンジンをPB型の987cc(48馬力)に換装した「ボンゴ1000」が1968年(昭和43年)に登場した.
 こうして初代ボンゴはコストパフォーマンスに優れたワンボックス車として10年以上も販売が続くロングセラー車として独立した.しかし,荷台最後部の積載性が問題となり,2代目ボンゴでは一般的なフロント・エンジン形式のキャブオーバー車への変更が行なわれた.
 その後は2代目(1978年:1.3L)〜3代目(1983年:2L),4代目(1989年),5代目(1995年),6代目(1999年:1.8Lガソリン,2Lディーゼル)とモデル更新を経てトラック/バンの代表的な存在となり,日産自動車や三菱自動車などにも供給された.

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 毎日どこかでみかける宅急便の配送用トラックは,いかにも実用車という雰囲気だが,機能的にはドライバーが後部ドアまで自由に通り抜けが可能で,側面のドアからも荷物室に出入りできて天井が高いライトバンだが,これはあくまでも配送用専用車だからしかたがないのだろう.
 Hバン(アッシュ・バン:Le Citroen Type H)は,フランスの自動車メーカーだったシトロエン社(現在はPSAプジョー・グループ)が第二次世界大戦後間もなく1947年に発売した前輪駆動の低床型ライトバン(直列4気筒1911cc/50馬力)だが,商用車としても幅広く使用された.いかにもフランス車という外観と個性的なレイアウトを採用した商用車だが,全長が4mちょっとなのに対して全幅は2m近くもあるボディの外板には,強度を高くするために波形リブの入った薄い平面パネルで構成し,はしご形フレームの上に架装している.駆動方式は伝統のFWD(前輪駆動)を採用して,有効スペースを確保して後部荷室床面を低くしている.サスペンションはトーション・バーによる全輪独立とし,バン,ピックアップ・トラックなどのバリエーションが揃っていた.
 1961年よりパーキンス製4気筒ディーゼル・エンジン(排気量1621cc42馬力)を装備したHY-DIタイプが追加され,電装系が6Vから12V単一に変更された.1963年末になると排気量を1628ccに減らしたガソリン・エンジン(出力45馬力:シリンダの穴径を72mmに小さくした)タイプをHY-72,HZ-72として登場させた.さらに1964年には,ディーゼル・エンジン(1816cc50馬力)をIndenor製に載せ換えたモデルをHY-IN,HZ-INとして発表した.このとき窓ガラスが1枚のものに変更された.1966年にはHY-78,HZ-78モデルが発表され,エンジン排気量を1911cc(58馬力)と大きくして搭載荷重を1000kgに増やした.ディーゼル・エンジンも排気量を1946cc(57馬力)にした.
 1969年に新型として車体重量が3100kgのHX-IN2が発表されたが,3200kgになってしまったためにHW-IN2に改称された.同時にマイナー・チェンジが行なわれ,後輪のリア・アーチを四角とし,前部のショック・アブソーバを4本から2本に統合した.なおオランダで製造していた車体は,左前ドアのヒンジが前部支持となった.1972年になると,HWモデルには後部にニューマチック・サスペンションも選択できるようになったが,安全規格に対応した車体に改良された.
 1981年12月の生産終了までにシトロエンHバンはフランスの工場で47万8743台が生産された.さらにオランダの工場でも1万16台が製造された.
 日本では現在でも時おり,シトロエンHバンをクレープ屋さんが移動店舗としていたりするが,かつてはパンやさんが営業用で街頭に店を広げているのを見かけたり,Drスランプのアラレちゃんの隅に出ていたのを覚えている.なつかしい波形外板のライトバンで,前部ラジエータ・グリルのエンブレムには,「ダブル・シェブロン」という2つの楔形を重ねたものがついている.これはシェブロン・ギヤというアンドレ・シトロエンが特許を取得した歯車の歯形をモチーフにしたものである.
 

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英国のデ・ハビランド社製複葉機DH50は水上機も開発した

 1922年になると第一次大戦後に民間機市場に放出されたDH9Cがそろそろ寿命がつきかけていた.デ・ハビランド社では代替機として,パイロットを後部の開放操縦席としその前に乗客4人の密閉客室を主翼の中間に配置した複葉機DH50旅客機の開発を進めていた.
 DH9Cで使用したシドレイ・ピューマ・エンジンは小型機では信頼性と経済性が証明されていたのでそのまま流用したDH50の試作機は1923年7月30日に初飛行した.その4日後にアラン・コブハムの操縦で信頼性試験としてコペンハーゲンとゴーセンバーグを8月7日〜12日まで毎日飛行して優勝するなど,すばらしいスタートを切った.試作2号機が完成する前にコブハムは,何度か長距離飛行を行なった. 
 それは1925年11月16日と1926年2月17日にクロイドンからケープタウンまでの2万5749km(1万6000マイル)をDH50で飛行したのだが,この飛行は1926年に英国からオーストラリアまでの往復飛行の予備調査として行なったものである.
 試作2号機にはアームストロング・シドレイ・ジャガー星型エンジン(385馬力/287kW)を搭載し,双フロートを装備したDH50J水上機として再設計したものとなった.
 こうしてDH50は,デ・ハビランド社で16機が製造され,オーストラリアではDH50Aをラーキン航空機社によるライセンス生産が行なわれ,カンタス航空向けにDH50Aが4機,DH50Jが3機,西部オーストラリア航空には3機のDH50Aが納入された.ヨーロッパ大陸では,ベルギーのSABCA社がライセンス生産を行ない,3機のDH50Aをブリュッセルに,7機をプラハ航空に納入した.SABCA製DH50Aはベルギーとコンゴ路線に投入された.
 デ・ハビランド社が製作したDH50は,4機が英国を中心に運航され,うち2機をインペリアル航空が導入した.さらに1機はチェコ政府に,10機がオーストラリアに,1機がニュジーランドへ納入された.一番長く使用されたのは15番目に英国で製造された機体で,1928年にオーストラリアの民間航空局に納入され,1942年にニューギニアで戦闘に遭遇して破壊された.
 DH50シリーズに使用されたエンジンは多種類あるが,ADC社ニンバス(300馬力/224kW),ブリストル社ジュピターIV(420馬力/313kW),ブリストル社ジュピターVI(450馬力/336kW),ジュピターXI(515馬力/384kW),プラット&ホイットニー社ワスプC(450馬力/336kW),チェコ製ワスプ版ワルターW-4(240馬力/179kW)などである.

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ベルギーとアフリカのコンゴ定期航空路線

 ベルギーのサベナ航空は,2001年に9/11テロ活動による民間航空不況とスイス航空の倒産の余波を受けて倒産した.現在はヨーロッパ域内のブリュッセル国際空港を中心に運航するSNブリュッセル航空が引き継いでいる(ザィールのキンシャサまで週5便を運航している).かつては日本まで乗り入れてANAとコードシェアしていた航空会社だが,もう羽田に飛来することはない.アフリカ(ベルギー領コンゴ:1960年6月に独立)との航空路線開発に独自の地位を確立していた航空会社だったので,それを振り返ってみよう.
 サベナ航空は1923年5月23日にベルギーを代表する航空会社として設立された.それ以前には1919年に設立されたSNETA(The National Society for the study of Air Transport)がベルギー国営の航空会社として存在した.
 サベナ航空が営業活動を開始したのは,1924年4月1日からオランダのロッテルダムからフランスのストラスブールまでベルギーのブリュッセル経由の航空路線だった.定期航空路線はすでに1923年からアムステルダムとバーゼルからストラスブール間で運航していたが,1924年には,さらにロンドン,ブレーメン,コペンハーゲンまで伸ばしていた.
 ベルギーは1920年代にはベルギー領コンゴの航空会社LARA(Ligne Aerienne Roi Albert)と共同でヨーロッパと植民地を結ぶ路線を最初に開設した.LARA航空は,コンゴでコンゴ川といくつかの都市(ザィールの首都キンシャサ,リサラ,スタンレービル)を水上機で連絡する現地の路線を運航した.使用した水上機は乗客を2人乗せてベルギー領コンゴを飛んだLevy飛行艇である.しかし旅客と貨物の航空輸送を実験的に始めたLARA航空は1年足らずで航空輸送を終了してしまった.新しいベルギーの航空会社がこのギャップを埋めてくれると期待してベルギー領コンゴのベルギー人も一部を出資してサベナ航空が設立された.同じころベルギーと植民地を結ぶ航空路線を開設するために調査が進められていた.
 こうしてサベナ航空は1925年からベルギー人のためにアフリカの植民地とベルギー領コンゴを結ぶ航空路線の開拓を始めた.サベナ航空はコンゴ路線には陸上機を使用する計画で飛行場を整備した.1926年に飛行場が完成すると直ちにザイールのボマ〜レオポルドビル〜エリザベスビルを中心に1422マイルのジャングルの上を飛ぶ路線を開設した.最初の飛行はデハビランドDH50複葉機で行なわれたが,より大きい飛行機ハンドレ・ページW8f旅客機(エンジンが3基で10人乗りの複葉機)に置き換えられた.
 そして1925年2月にハンドレ・ページ社製の3発エンジンの複葉機(3基合計で850馬力:2基がシドレイ,1基がロールス・ロイス)でブリュッセル〜コンゴまで初めて飛行した(Edmond Thieffry航法士,Jef de Bruycker機関士,Leopold Roger操縦士).この飛行は51日間で実飛行時間75時間25分だった(2005年であればエアバスA330でキンシャサまで8時間程度).同じ8124kmの経路を1930年にブレゲー19が8日間9時間25分で飛行した.定期航空路線は1935年2月23日からフォッカーF7b旅客機(乗客6人:5.5日間)を使って始まった.少しあとでサボイア・マルケッティS73(乗客8人:4日間)に変えたが,エア・アフリカ航空と共同で運航して2週間に1往復だった.
 ヨーロッパにおいてもサベナ航空は1931年よりコペンハーゲンとマルモにまで路線を伸ばし,さらにベルリン路線は1932年に開設した.こうして第2次大戦前にサベナ航空はユンカース製Ju-52/3m旅客機を投入してヨーロッパ大陸だけで6000kmに達する航空路線を運航していた.1938年になるとサベナ航空はイタリア製のSM73から発展したSM83を旅客機として使用し400km/hで巡航飛行していた.
1939年にヨーロッパで戦争が始まったときにサベナ航空は,サボイア・マルケッティSM73旅客機を11機,ユンカースJu-53/3m旅客機を5機,ダグラスDC2を2機で運航していた.第2次大戦中はヨーロッパ地域の民間航空路線は休止したが,ベルギー〜コンゴ路線の運航は継続していたのだ.

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 カナダのボンバルディア社の70人乗り双発ターボプロップ旅客機は,DHC-8シリーズのQ400(略してQ400)として最新で最大の旅客機となっている.もちろんエンジンも新しくして巡航速度を670km/hとした.航空用計器類とシステムも最新型に置き換えられている.さらに主翼も改良し,胴体も伸張した新型機である.
 ボンバルディア社が1992年にボーイング社からデハビランド社を買い取ろうとした時には,DHC-8シリーズの拡張作業を進めていたが,1995年6月までこの計画は公式には動いていないことになっている.Q400が工場から1997年11月21日にロール・アウトして,1998年1月31日に初飛行した.これでQ400の型式証明取得と1999年の第一四半期の納入が計画に載った.
 こうしてQ400は550km程度の短距離路線を運航するリージョナル航空会社を対象にした販売が始まった.最近のリージョナル路線向けのジェット旅客機と競合しても,ボンバルディア社はリージョナル・ジェット旅客機が新しい市場を作り出すとしても,さらに短距離路線における経済性を考えるとターボプロップ旅客機に置き換わることはないと考えている.Q400は360km程度の路線でも29人の乗客があれば営業的に問題がないレベルまで運航コストを切りつめているのだ.
 Q400はこれまでのDHC-8シリーズのQ300に比べると胴体を6.83mストレッチして,水平尾翼を新しく設計し,ノーズと垂直尾翼はそのまま流用している.胴体の断面形状と構造はこれまでのDHC-8シリーズと変わらないが,胴体の前後2か所の乗降用ドアが左側にあったが,緊急脱出用ドアを反対側の右側に2か所追加している.
 Q400の主翼内部と主翼と胴体の接合部は新しく設計し,主翼外周を強化した.エンジンはプラット&ホイットニー社製PW150A(4573馬力/3410kW)だが電子制御化されている.操縦室は5個の液晶カラー表示装置により初期のDHC-8と同じ型式で共通した動作表示を実現している.DHC-8シリーズは2005年2月現在で700機を受注しているが,Q400は100機を受注している.
 日本には日本エアコミューター(JAC)とエアーニッポン・ネットワーク(AKX)がYS-11の後継機として2002年より導入し運航している.また全日空系となった中日本エア・ラインサービス(NAL)は「エアー・セントラル」に社名を変更し,F50の後継機としてQ400の導入を計画している.

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