日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン

まだ手探りで自分の飛行機を工夫して試作していた時代

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 ロッキードL-188エレクトラは,米国製としては初の4発ターボプロップ旅客機(乗客数99〜127人)だったが,1957年に初飛行した.ジェット旅客機(ボーイング707は1957年12月に初飛行)よりも低い運用コストを長所として航空会社への納入が開始された.
 ところが,1959年9月29日にブラニフ航空のエレクトラがテキサス州バッファロー上空で空中分解事故を起こした.さらに1960年3月17日にインディアナ州テル市上空でノースウエスト・オリエント航空のエレクトラが空中分解した.NASA(航空宇宙局)とロッキード社で原因を追究した結果,飛行中にエンジン取付け部がプロペラによる前後振動によって空力的なフラッタ現象が発生していたことがわかった.このフラッタはめったにないのだが,主翼の自励周波数が胴体の付け根付近から共振周波数まで低下して発生した.ロッキード社がエンジン取付け部を再設計することによって問題は解決した.
 ヨーロッパでは英国のビッカース・バイカウントが先行したため,購入したのはKLM航空だけだったが,米国ではほとんどの航空会社がエレクトラを国内線に導入した.エレクトラは1970年代中ごろまで民間航空で運航していたが,米国海軍がP-3オライオン対潜哨戒機として購入していた.その他は貨物輸送機として旅客輸送から引退していた.エレクトラは144機が製造され,2004年9月時点では57機が事故で喪失していた.
?H3>米国海軍の対潜哨戒機として蘇ったエレクトラ
 P-3オライオン対潜哨戒機は1961年4月にL-188エレクトラ旅客機を基本に改修した試作機P3V-1が初飛行した.搭載した装置と機体は海軍の基本構想によって設計変更が行なわれたが,1975年にアップデートI,1977年にアップデートIIとして実施された.アップデートIIでは,赤外線検出システム,ソノブイ探知参照システム,ハプーン対艦ミサイル,28チャンネル磁気テープレコーダ/編集装置が新設された.さらに1981年3月にはアップデートIIIが適用された.ロッキード社のP-3C生産ラインは1990年4月に生産終了して閉鎖された.ロッキード社のP-3C生産総数は647機に達する.
 日本では海上自衛隊が国産化したP-2Jの後継機としてP-3CアップデートII.5を1982年より導入をはじめて107機を購入した.最初の4機はロッキード社製部品を使用して組立てたが,1981年以降はライセンス生産を川崎重工が1997年まで担当した.P3Cの海上自衛隊導入については,国産開発(PX-L)からロッキード社に変更されたが,全日空のL-1011と複合した政治家の関与が噂された.

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海上自衛隊は潜水艦の捜索・探知・攻撃を主力とする航空部隊も所属した

 TBM-3アベンジャーは第2次大戦中から朝鮮戦争までに米海軍と海兵隊が航空母艦に搭載する単発雷撃機/汎用機だった.アベンジャーの原型となる試作機は1941年8月に初飛行し,1942年1月30日から実戦部隊に配備が始まり,6月のミッドウェー海戦がはじめて実戦への投入となった.TBF-1〜3の生産は,開発したグラマン社が担当したが,米海軍の要求する大量生産が出来ないことがわかったために,1943年からゼネラル・モーターズ社(東部航空機事業部)に生産を移行させた.これによってグラマン社はTBF-3を2293機製造し,GM社はTBMとして7546機を製作した.
さらに対潜哨戒と攻撃を強化するためTBM-3W捜索機とTBM-3S攻撃機の2機を組み合わせて任務を分担し,2機が1組となって行動する対潜捜索作戦が行なわれた.
 日本には海上自衛隊か創設された1954(昭和29)年7月に,米海軍から対潜哨戒/攻撃機の供与が始まり,TBM-3Wと3S,通称アベンジャーは1954年12月に5組10機,1955年には2組4機,1956年には3組6機が追加供与されて合計20機になった.これらの機体は鹿屋航空隊で潜水艦捜索部隊として編成され,海上自衛隊固定翼機部隊の最初の主力になった.
 TBM-3Wハンター(潜水艦捜索)とTBM-Sキラー(潜水艦攻撃)の組み合わせで行動する単発の対潜哨戒機は,当時の対潜電波装備機としては効果的な捜索能力を持ち,-3Wは胴体下に360度全周方向の捜索が可能なAPS-20レーダを装備し,後席に2人のレーダ操作員が並んで搭乗し,垂直尾翼の両側に補助の垂直安定板を追加したのが外形上の特徴となっている.3Sは左翼下にサーチライト・ポッド,右翼端の攻撃用小型レーダAPS-4レーダ・ユニットに,APR-9/APR70ESM逆探知装置,ソノブイ受信機など,当時米海軍の潜水艦追跡装備を備えていたが,機体とエンジン(Wright R-2600-20/1900馬力)がすでに考朽化しており,長時間の洋上飛行には制限が加えられ,1959〜1960年には退役した.

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洋上監視・救難用双発飛行艇コンベア社PBYカタリナ

 米海軍のPBYカタリナ双発飛行艇シリースは,第2次大戦中に活躍した監視兼救難飛行艇である.PBYの試作1号機は1935年にXP3Y-1(825馬力のツイン・ワスプ・エンジンを2基装備)として完成した.この試作機は10月14,15日に,ノーフォークからパナマ運河のココ・ソロまでの5633km(3433マイル)を34時間45分の無着陸で一気に飛行し,帰りはクリストバル埠頭(Cristobal Harbor)〜カリフォルニア州アラメダ間を無着陸で飛行した.水上機のCクラスによる世界記録を書き換えた.
 米海軍の発注により生産を始め,1937年には最初の制式型P3Y-1が12機の編隊でサン・ディエゴから真珠湾までの長距離哨戒飛行を行ない,それまでの旧式な複葉飛行艇にかわって,米国海軍の新しい主カ飛行艇となった.
 PBYカタリナは補助フロートを両翼端に引き上げる飛行艇だが,1939年に引込車輪を装備した水陸両用機として試験運用に成功し,この型が第2次大戦中の米海軍,英空軍,カナダ海軍の双発飛行艇の主力として使用された.米陸軍でもOA-10の名称で少数機を採用し,沿岸監視と救難用に使用した.
 日本には海上自衛隊の創設直後の1954年7月に,長距離監視用としてPBY-6A水陸両用飛行艇2機が,米海軍より供与されている.横須賀で機体を整備した後で,九州の大村基地に配備された.しかしこのうちの1機は,1960年に大阪国際空港に着陸する際に,ブレーキの故障で滑走路から跳び出し大破事故を起こしてしまった.
 コンソリデーテッド社のPBYカタリナ(モデル28)飛行艇は,合計で3000機以上が生産された.コンソリデーテッド航空機社とコンベア(1943年3月にコンソリデーテッド社とVultee-Stinson社が合併した)社が2398機を製造し,海軍工廠(NAF)とカナダの2工場で892機が製作され,ソ連で27機が製作された記録がある.なお最終のPBY-6Aモデル(プラット&ホイットニー製R-1830-92空冷式複列星型14気筒1200馬力)は,1944年4月から1945年4月までにコンソリデーテッド社が生産したもので,海軍工廠の改造と社内の設計変更したタイプである.

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ロッキードC-130の民間輸送機は,L-100

 ロッキード社のL-100輸送機は,多用途の軍用輸送機C-130ハーキュリーズを基本に開発途上国向けの民間輸送機に変更した機体である.ロッキード社は1951年に米国空軍が要求したターボプロップ輸送機の仕様に応じて設計を開始した.その結果としてC-130ハーキュリーズの原型となる試作機は1954年8月23日に初飛行した.高翼に配置した主翼に4基のアリソン社製501/T56ターボプロップを取付け,胴体後部に貨物用傾斜乗降口を設置した構造となっている.こうして米国空軍はC-130シリーズの製造を1952年9月にC-130Aを発注してはじまり,現在までに2500機以上のC-130が製造された.
 C-130の貨物輸送担当者達は,ロッキード社に民間向けにも開発することを提案した.最初の民間輸送機向けはC-130Eをベースに開発され,軍用ではないデモ機が1964年4月に初飛行した.民間輸送機としてL-100(搭載有償重量:19トン)は,1965年2月に民間機型式証明を取得した.さらに貨物取り扱いシステムが改善された.
 初期の民間向けL-100輸送機は,予想外に販売が不振だった.そのためロッキード社は運航コストの削減と貨物容量を増加させるために胴体を2.54mストレッチしてL-100-20を開発した.L-100-20は1968年10月に型式証明を取得した.さらに2.03m胴体を伸ばしたL-100-30が追加され,1970年8月に初飛行し,12月より納入が始まった.C-130輸送機の民間向け輸送機は大部分がL-100-30として販売の中心機種となった.アルジェリア,ガボン,クェートでは,民間向けL-100輸送機を運航するのは軍人のパイロット達だった.民間航空向けL-100輸送機の最終生産は1992年となったが,L-100シリーズは114機が製作された.このあと軍用輸送機C-130にアリソン501/T56タービン・エンジンを装備した最終機が製作され納入されたのは1996年だった.

全体を再設計したC-130Jはグラス・コックピットの2人乗務

 さらに新世代C-130JハーキュリーズIIに移行するに伴い民間向けもL-100Jが計画された.より進化したターボプロップ方式で6枚のプロペラを駆動するタービン・エンジンは新しいロールス・ロイスAE-2100D3(4591馬力/3425kW)に換装された.EFIS操縦システムの導入により乗員2人による運用が可能となった.新しいC-130Jは1996年4月5日に初飛行し,米国FAAの民間機としての型式証明は1998年9月に取得した.ところが民間輸送機L-100JはC-130J-30の胴体をストレッチした機体を標準とする計画だったが,ロッキード・マーチン社では軍用機の開発を先行させたために,民間機プログラムは2000年に凍結されてしまった.
 C-130輸送機は,航空自衛隊が16機を導入しているが,通常であれば92人の乗客を輸送可能で,着陸滑走距離は最短で1200m,離陸滑走距離は最短で600mのSTOL(短距離離着陸)性能を持っている.現在の日本で1500m級の滑走路をもつ離島の飛行場で運用可能な一番大きなプロペラ輸送機として,導入を検討してみる価値はないのだろうか?

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V10 3LのF1エンジンは2005年で終了

 3Lの非ニトロ系燃料,自然吸気エンジンのBARホンダF1の記録挑戦車は,車輪が外部に露出したLakesterクラスに分類されFクラスの非茶色燃料使用者に該当する.
挑戦する記録は,Chuck Billingtonが2004年11月に記録した229.969mphで,これを突破して400km/h代にしたいところだろう.F1は2006年よりエンジンの規定が変わりV8エンジンで排気量も小さくなるから,折角1000馬力程度にまで開発したV10の3Lエンジンを記録に挑戦して米国人にも存在を認知させようということだろう.かつて1.5LのF1最後のメキシコGPで優勝したHONDA F1を思い出す.
 F1のレギュレーションに従ったBARホンダF1チームの記録挑戦車は,ミシュランから提供されたタイヤを使用するが,タイヤ設定圧は通常の1気圧を倍にして使用する.もちろん通常のスリック・タイヤより岩塩舗装の路面をグリップするインターミデエイト・タイヤで走行する予定だ.
サスペンションの設定は,GPでは通常3.5度の前部ネガティブ・キャンバを0.5度に減らすことによって,露出したタイヤによって発生するF1車の抵抗を70〜75%減少させている.
 イタリアGP仕様のリア・ウイングを装備しているが,リア・ウィングは最終的にはつけずに走行することになるのだろう.しかしリア・ウイングのないF1レーシングカーは,最高速で走行する場合には非常に不安定になってしまう.まだダウン・フォースが必要で,ラジエータ・ダクトを整形して傾斜をつけ,エンジンの空気取り込み口は小さくし,前部ウィングの翼端板は整形して小さくし,バージ・ボードを除去した.空力中心は通常のF1よりも後部に移動させたようだ.
 エンジンはトップ・ギヤで40秒間(モンザ・サーキットの2倍以上の長さ)の全開走行になるが,最高回転数を1万8200回転に制限することによって,ブラックネルのダイナモメータで模擬走行で往復走行可能としている.
 トップ・ギヤは200回転異なる2種類を用意しているが,風向きによって使い分けることになる.FIAの規定では,往路の走行後に1時間以内に復路を走行しなければならないから.
 車体重量は,岩塩舗装をグリップするために通常のレースより60kgの錘をボルトで固定している.通常の記録挑戦車はもっと重いが,ノーズ・コーンに重量補正することで重力による直線走行安定性が得られる.もちろん減速用のパラシュートはボンネビルの規格に適合したものを装備している.

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