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平和記念東京博覧会が東京上野公園不忍池畔で1922(大正11)年3月10日〜7月31日に東京府の主催で開かれた.この博覧会の飛行館には,川西機械製作所・飛行機部の後藤勇吉操縦士が川西式K-3通信機(マイバッハM4a水冷式直列6気筒260馬力)により岐阜県の各務原から一気に東京まで乗客2人を乗せて実飛行時間2時間11分(3月11日,12日)で飛来して出品・展示された.
これに対して関東地区の航空機メーカーでは,伊藤飛行機が日本で最小の超軽スポーツ機伊藤式恵美30型スポーツ機を出品した.この超軽スポーツ機の発動機は,陸軍のモ式4型機に装備されていた国産ルノー70馬力のシリンダ・ブロックを利用し,クランク・シャフトとクランク・ケースを自作して組立てた伊藤式11型空冷式星型5気筒40馬力エンジンを装備していた.なお当時の軽飛行機の規格では,自重が300kg以下とされていたため,機体の寸法はもちろん日本では最小サイズで,全幅5.80m,主翼面積13.0m2がであった. さらに中島飛行機製作所がフランスのブレゲー14型をライセンス製作し,住友金属工業の試作素材「住友軽銀」(ジュラルミン)を主材とした全金属製骨組み複葉機「中島式B-6複葉機:軽銀号」(ロールス・ロイス・イーグル8水冷式V型12気筒360馬力)を試作して出品した. |
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北海道の北東部でオホーツク海に面した女満別に飛行場を設置しようとしたのは,冷害を予測し克服するために,オホーツク海の流氷観測や,気象観測に飛行機を利用してみようと考えたのがきっかけである.
まず中央気象台(現在の気象庁)は飛行機を操縦する気象観測隊員として,根岸錦蔵(静岡県清水市三保出張所の気象観測員)を北海道網走に派遣した.根岸錦蔵は女満別で村営だった競馬場の跡地を滑走路に利用することを提案した.こうして,女満別の村民を総動員して気象観測機用の滑走路(500m)を整備する土木工事が突貫作業で行なわれ,気象観測のための飛行場が1週間で完成した. 女満別飛行場から中央気象台の流氷観測機が飛び始めたのは,1935年3月23日からである.中央気象台が実施した流氷観測は,根岸錦蔵気象観測隊員が操縦する流氷観測機「海風」(三菱航空機製T-1.2観測機:中島飛行機製ジュピター空冷式星型9気筒420馬力を装備)で沿岸の流氷の上空を飛行して,直径約25cmのゴム風船に赤インクを入れたものを上空から落とし3日後に,飛行機で目印を探してその位置を記録するという方法をとった. 赤インクのついた流氷を複葉機の上から発見するのは楽な作業ではなかったが,これにより北海道北東部のオホーツク海の海流/風向/風速/流氷の動きが明らかになった.中央気象台の流氷観測は,毎年2〜3月に実施されて8年間継続して行なわれた.気象観測のデータは北海道や東北地域の夏の天候予測に利用された. |


