日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン

まだ手探りで自分の飛行機を工夫して試作していた時代

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大正の初めには,米国で飛行機の整備と操縦術を習得し,飛行機を手に入れて日本に戻って民間の飛行士を目指した人々が,このあとに続いて登場してくることになる.
飛行機の黎明期からフランスと米国は,日本のあこがれであった.軍隊はおもにヨーロッパから技術を習得してきた. 

土井貞一さんは島根県出身の陸軍教官だったが.....


◇土井式飛行機
 陸軍の戸山学校で教官をしていた土井貞一(島根県那賀郡浜田村の出身)は,1910(明治43)年に退官して渡米し,自動車と飛行機の整備と操縦技術を習得した.1912(大正元)年にカーチス式プッシャーの初期型に倣った小型の自作飛行機を携えて帰国した.この飛行機は,木材と竹材を混合した素材で機体を構成しており,機首と尾部に昇降舵を配置していた.土井式飛行機を稲毛海岸に運んで組立,滑走試験をしたが,発動機の出力が不足し,滑走だけで終わった.飛ばないことが判ってからは,地方まわりの見せ物小屋を転々とし,入場料をとって発動機を起動してプロペラを回転させて見せていた.
日本は蚊帳の外
現在でも民間旅客機の分野では,エアバス社(欧州連合)とボーイング社が競合している.またその下の小型旅客市場でもカナダのボンバルディア社とブラジルのエム・ブラエル社が市場で競争している.日本の航空機メーカーは,自分でリスクを背負うのは,YS-11の失敗に懲りて以来,ずっとこれらのパートナという名前の下請け先となっている.これまでは防衛予算が,国産軍用機の開発に投入されてきたために,日本の航空機メーカーである重工業は安定した収益を上げてきた.しかしロッキードC130輸送機の導入によって国産軍用機市場は,次第に失われて行くのではないか.なにも,ブッシュの猿回しはKOIZUMIだけではない.

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飯嶋和一さんの歴史小説は小学館文庫に

江戸時代の鳥人 浮田幸吉(初代備前屋幸吉)

単行本は2000年1月に刊行されたが,文庫化されたのは2002年12月.
この本は,天明のころ空を飛んだといわれる備前屋幸吉をモデルにして,江戸時代に鳥人を試みた表具師職人の波瀾に富んだ生涯を描いている.
 鳥人を目指して空を飛ぶ幸吉は,備前岡山の池田藩城下で悪政にあえぐ民衆から喝采を浴び,その時代の人々の希望の星になる.当然町奉行所は幸吉を捕らえるが,所払いの刑に処せられる.その後の幸吉と江戸時代の塩の流通事情と地回り塩問屋「巴屋伊兵衛」の独占流通に対する反逆が克明に描かれている.駿府城下に暮らす幸吉と巴屋伊兵衛を結びつけるのは,幸吉と幼なじみで弁財船の船主,平岡源太郎である.この3人は,現状に安住することなく,つねに前に行こうとする野心をもった冒険者達が活躍する話となっている.
天明5(1785)年陰暦6月3日夜半,備前岡山の材木町の2階屋の屋根から表具師周吾が凧に乗って西中島の砂州外れまで飛び降りた.

文化元(1804)年正月に,駿府江川町の備前屋幸吉は白張りの大凧に乗って,浅間山(しずはたやま)の裏手の崖から安倍川に面した井宮町外れの田んぼまで飛んだ.

浮田幸吉(初代備前屋幸吉)を発見したのは,「日本航空発達史」を1935年に出版した竹内正虎(旧陸軍歩兵大佐)さんと,「玉野市史」の編纂を担った伊東忠志さんの2人である.伊東さんは戦後に備前屋幸吉の晩年を丹念に調査した人物である

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