日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン

まだ手探りで自分の飛行機を工夫して試作していた時代

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興味があって収集した古書(奥付は1979年7月)である.

日本の疑獄事件・その原点

著者は紀脩一郎(きの・しゅういちろう),発刊当時の定価は1300円.
第二次世界大戦前の旧日本海軍史上最大の汚点とされる疑獄事件は,「シーメンス社贈収賄事件」と軍艦「金剛」建造にかかわる三井物産の贈収賄事件を合わせて「シーメンス事件」(1914年1月に発覚)と呼ばれている.この本は海軍の立場から,大正期の政治的な陰謀とされる巡洋戦艦「金剛」の贈収賄事件を中心に取り上げ,陸軍の山縣有朋元帥派が海軍の山本権兵衛派の失脚を目的とした陰謀に利用したとし,その過程を解明したものである.
 目次を紹介すると,1.事件と風貌,2.陰謀の序曲,3.政局混迷,4.嵐の前,5.狂瀾の烽火,6.怒りの葬送曲,7.悲しき結末,となっており前書きと後書きを含めて233頁の単行本である

カバー裏の著者紹介を付録に

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 玉井清太郎(三重県四日市市で浜田鉄工所を経営者していた玉井常太郎の長男)さんは,1910(明治43)年に18歳の時だが飛行機を試作したが飛ぶことはなく失敗した.ついで1911年に父親と上京して奈良原三次さんと日野熊蔵大尉を訪れて情報を収集した.いったん帰郷して再び徳川好敏大尉を訪れ,飛行機について教えを受けた.
 こうして1912年2月に斎藤外市さんより借用した航空機用エンジンであるキャメロン空冷式直列型4気筒25馬力を,四日市築港埋立地で地上滑走試験車に取付けて実験した.次に弟の玉井藤一郎さんと協力して自宅工場に作業場を増設して玉井式飛行機を試作したが,離陸に失敗して飛ぶことはなかった.当時民間飛行機の共同練習所のあった千葉県稲毛に機体を運び,改めて飛行機の試作に取り組んだ.
こうして1912(大正元)年11月に稲毛で完成した玉井式1号飛行機は,離陸しなかった.ところが装備していたキャメロン25馬力エンジンは,約10分間の運転で過熱してしまう欠陥のある発動機であることがわかった.もし離陸に成功して飛行しても実用機としての飛行とは程遠いものになったであろう.
 1913(大正2)年12月に玉井清太郎さんは,中野電信隊に入隊することになったために,玉井式飛行機の開発はいったん中断した.しかし第1次大戦が勃発したために,玉井さん電信隊から海軍航空隊に移り,青島攻略作戦に従軍し,1915年1月に除隊した.
 海軍を除隊した玉井さんは,すでに飛行機を試作研究するための資金が尽き欠けていたが,東京市麻布の友野鉄工所主である友野直二さんの援助を受けて,1916(大正5)年の春に玉井式2号一葉半水上機(全幅13.2m×全長10m,自重350kg:木製主材骨組に合板羽布張り)を完成した.

この水上機は玉井式日本号と名付けられた

 帝国飛行協会が主催した国産発動機の懸賞試作に応募した友野式90馬力エンジン(締め切りには遅れて提出)を装備したが,実際にはこのエンジンの出力は66馬力程度だったが,改修を加えて四日市に運び,1916(大正5)年8月に晴れて郷土の三重県で飛行展示を行なった.

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