日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン

まだ手探りで自分の飛行機を工夫して試作していた時代

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都築式1号機は単葉機

 都竹鉄三郎(東京本所)は,まず模型飛行機による実験を1910(明治43)年に始め,支援者の山科礼蔵(英国帰りの実業家)らによって都築式飛行機後援会が組織された.フランスからアンザニ空冷式星型5気筒50馬力エンジンを購入し,双プロペラつきのブレリオ式に似た単葉機(全幅13m×全長9.2m,主翼面積21m2,自重300kg,全備重量450kg)を1911年8月に試作し組立て,東京上野竹の台で展示公開した.
都竹の考えでは,飛行機は米国のライト式のように推進式双プロペラを装備した単葉機が有利と考え,試作機を設計して製作した.この試作機が都築式1号機で,1912年3月13日に所沢飛行場で試験飛行を行なったが,双プロペラの伝動装置が大きな抵抗となってしまい,ジャンプ程度の跳躍を繰り返す地上滑走で終わった.

プロペラを直結駆動にした都築式2号機

 次に試作した都築式2号(アンザニ空冷式星型5気筒50馬力:全幅12m×全長10m,自重300kg)では,ブレリオ11のようにプロペラを発動機に直結したトラクター(牽引式)の1本被覆胴体に作り直した.こうして2号機は安定した試験飛行に成功した.いよいよ正式な初飛行を1912年5月5日に行ない,高度およそ13mで所沢飛行場を一周して見せた.さらに11月3日に長野県の犀川河川敷で興業飛行会を開いたが,飛行中に破損してしまった.この破損を修理して1912(大正元)年12月4日に,東京・芝浦埋立地〜佃島間の海上飛行において,月島埋立地の上空15mで突風にあい,横滑りして墜落破損してしまった.再び修理して津市で1913年4月に,5月には伏見で飛行会を開催した.

都築式3号機は孫文・中国革命軍に輸出

中国の辛亥革命軍から1915(大正4)年のはじめころ,都竹鉄三郎に飛行機の製作を依頼してきたため,東京市本所菊川町の工場で,ニューポールNG型に似た都築式3号単葉機を製作することになった.
 この製作には矢野周一助手を中心として,木工に西島寅次郎,鉄工に太田祐雄(後に太田自動車製作所を設立)両氏の下に木工6人,板金工3人を投入して,突貫作業で4月に完成した.機体は国産の桧材を主とし,発動機は星野式複葉トラクター機から取外したノーム50馬力エンジン(空冷式回転星型7気筒)を装備したが,販売価格は1万2OOO円となっていた.
 こうして都築式3号単葉機(全幅11.4m×全長7.5m,自重350kg,全備重量550kg)は完成し,5月初旬に稲毛で試験飛行の予定であったが,情勢の変化で取り止めになった.代わりに田中館博士らの立会いにより,1万300O円で中国辛亥革命軍航空学校の超雲鵬飛行士,武栄中技帥に引き渡すことになった.納品には星野米三(東京赤坂区田町出身)飛行士が同行し,孫文革命軍の操縦教官となった.中国における試験飛行では,安定性も速度も良好とされた.

□星野米三
==== 星野米三(東京赤坂区田町出身)は,1913(大正2)年に米国スロン飛行学校を卒業して国際飛行免状231号を取得して1913年7月に帰国.その後東京市京橋区木挽町の作業場で,自分で設計した星野式複葉トラクターを試作した.
この機体に都竹鉄三郎から借りたノーム50馬力エンジンを装備して稲毛で試験飛行を行なった.さらに東京訪問飛行を1914年9月13日に企てたが,月島付近を低空で飛行している時に煙霧に遭遇し,不時着して破損してしまった.この機体を修理したのが星野式2号機で,静岡,岐阜を巡業し,浜松で発動機の故障で不時着した.修理の後,浜松,舞坂,弁天島,福井で飛行会を開いた. ====

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