日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン

まだ手探りで自分の飛行機を工夫して試作していた時代

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フランスへ留学した民間人

  滋野清武 は28歳の時に和香(わか)子夫人を残して,フランスへ飛行技術を習得するために1910(明治43)年8月に自費で留学した.翌年ジュピシー飛行学校で練習機を購入して操縦を練習していたが,墜落事故で負傷したため2か月の入院生活を過ごした.退院後にコードロン飛行学校に転校し,自分で設計した 「わか鳥」号 の試作を飛行家シャルル・ルーに依頼した.試作機を製作している時期にイッシー・レ・ムリノー飛行学校において,万国飛行免状744号を1912年1月26日に取得した.
 フランスで完成した「わか鳥」号は,鋼管材を主とした複葉単座トラクター式の飛行機に グレゴア・ジップ水冷式倒立直列4気筒45馬力 を装備したものだが,1912年4月26日に初飛行に成功した.
「わか鳥号」の改造や試験飛行を繰り返し,分解して船に積込んで1912年7月に帰国した.日本では9月はじめに所沢の飛行試験場で「わか鳥」号(胴体は鋼管骨組,翼は木製骨組,合板羽布張り構造)を組立てたが,9月9日に低空を飛行中にエンジンが故障して,主翼を地上に引っかけて破損した.修理には7か月ほどかかったが,主翼全体を作り直し,全幅と主翼面積を増加しエンジンを アンザニ空冷式星型6気筒60馬力 に取り替えた.修理中に臨時軍用気球研究会の御用掛りとなって陸軍将校に,飛行機の操縦を教えた.「わか鳥」号(アンザニ空冷式星型6気筒60馬力)の最高記録は,1913(大正2)年4月22日に高度300mで滞空45分間で,当時の民間機としては最高の数値であった.
 その後「わか鳥」号のアンザニ発動機は,臨時軍用気球研究会に貸し出たまま会式飛行機に流用されてしまった.

バロン・滋野はフランスでエースに

 御用掛りを辞めて1914年4月に再度フランスに渡り,第一次大戦が始まるとフランス軍に志願して従軍した(フランス軍に従軍した日本人は10人ほど).1917年3月までにドイツ機を撃墜して5機を数えてエースとなっている.滋野清武が日本に戻ってきたのは1919年1月で,民間人として飛行機の輸入に関わったが,1924年10月に入院中の大阪医科大学病院において42歳で死亡した.

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