日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン

まだ手探りで自分の飛行機を工夫して試作していた時代

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 この本は角川書店から,1984年7月刊行された単行本である.単発のジェット機で80時間世界1周飛行もできる時代になったのだけれども.....
第2次大戦中に米軍が使用した爆撃機にもダグラスA26があったが,もちろん日本陸軍の長距離実験機のことである.Aは朝日新聞,26は紀元2600年からつけたもの.

A26は航研機の後継機

 航研機が航続距離の世界記録を樹立(1938年5月15日:周回記録1万1651.1km)したが,1年2か月後にイタリアのサボイア・マルケッティSM82PD「カングーロ」3発爆撃機の長距離改造型(1939年8月1日:1万2935.77km)によって更新されてしまった.A26長距離機は朝日新聞社が発案し,東大航空研究所が基本設計を行ない,立川飛行機(機体)と中島飛行機(エンジン)が製作を担当した実験機である.開発資金を朝日新聞が50万円,陸軍が50万円を提供し(キ-77という形式番号がついている),基礎設計が始まったのは1940年3月ごろである.
 エンジンは星形空冷複列14気筒の「ハ-115」(陸軍名称:海軍の栄に相当)の減速比を低減したものである.
太平洋戦争に突入したために試作作業が頓挫してしまうのだが,1942年4月18日にドーリットルに指揮された米陸軍のB25双発爆撃機16機による日本本土が空襲されたことによって,A26長距離機の完成が陸軍によって最優先事項に繰り上げられる.さらにドイツ占領下のクリミア半島を離陸した1機のイタリア空軍爆撃機(サボイア・マルケッティSM82)が,中国北部の包頭飛行場を経由して福生飛行場(現在の米軍横田基地)に1942年7月2日飛来した(1万2910kmを無着陸で飛行).日本からの答礼飛行として,A26試作2号機を使い「セ」号飛行が陸軍の官僚的作戦で実施され,途中で行方不明となってしまう(1943年7月7日シンガポール・テンガー飛行場を離陸).1号機を使い再度日独連絡飛行を計画したが,イタリアの降伏によって中止された.
 そして1944年7月2日よりA26による無着陸の周回飛行距離の世界記録への挑戦が始まる.4日の午後7時に周回コースを18周して新京飛行場に着陸した.総飛行距離1万6435kmの周回航続距離を記録した(非公認).その後,A26は山梨県の甲府飛行場に疎開していたが,敗戦による米軍の命令で1945年11月末に立川飛行機の釜田善治郎・操縦士によって,横須賀の追浜飛行場に空輸された.こうしてA26試作1号機は,横須賀港に停泊していた航空母艦に積み込まれて米国に向かったが,太平洋上で台風に遭遇し,甲板にロープで繋留してあった何機かが大波にさらわれて失われてしまった.
なお「A26長距離機について」という木村秀政さんの報告書(70頁)が,資料として収録されている.

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