日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン

まだ手探りで自分の飛行機を工夫して試作していた時代

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朝日ソノラマ文庫 1985年4月刊 本体価格580円

かつての朝日ソノラマから出ていた航空戦史シリーズのNo55
=== いま書店にある朝日ソノラマ文庫からは,とても考えられない本だが,20年立つと現在の路線も同じように見えるのだろう.===
=== 原題は「Typhoon:The Other Enemy」で1981年に米国で発行された.===
米海軍のハルゼー提督指揮下の第3艦隊が1944年12月18日に,フィリッピン・ルソン島の東方およそ300マイルの海域で,きわめて勢力の強い台風と遭遇し相当大きな損害を受けた.3隻の駆逐艦「ハル」,「モナハン」,「スペンス」が転覆し沈没し,軽巡「マイアミ」,軽空母「モントレー」,「カウペンズ」,「サンジャシント」,護衛空母「ケープ・エスペランス」,「アルタマハ」,駆逐艦「エイルウィン」,「デューイ」,「ヒコックス」が重大な被害を受けた.また重巡洋艦から護衛駆逐艦にいたる,すくなくともほかの19隻がそれよりも軽い被害を受けた.空母に搭載していた航空機は146機が破損亡失した.その結果として, 790人の行方不明または死亡者,80人が負傷した.
 もちろん戦艦「アイオワ」は推進軸を破損したため,パールハーバーの乾ドックに入渠修理のため帰投した.
これは第一次サボ島沖海戦(第一次ソロモン海戦)以来,太平洋において米海軍が代償を得ずに失った最大の損失となった.つまりそれまでの神風特攻隊よりも大きな損害をこの台風は米艦隊に与えたのである.この本は,このときの台風になんとか耐えて生き残ったファラガット級駆逐艦「デューイ」艦長の回想記である.
  米海軍のフレッチャー級駆逐艦は復元力が不足しているのが1942年以来常識とされており,トップ・ヘビーであることが判り,5インチ砲1門を撤去する応急処置が取られたとか,燃料の残りが不足した状態では相当危険な船であることが記述されている.しかし,軍隊という組織であるから事故の本質は解明されないままに終わっている.
 もちろん旧日本海軍も「個艦優秀」というスローガンのもとに,兵器の装備を優先した結果として1934年に友鶴転覆事件や,限度を超えて軽量化した特型駆逐艦が想定した以上の波浪に遭遇して破損した第4艦隊事件という犠牲を払っている.このような日本近海の過酷な気象状況を海軍は秘匿していたが,1960年代になって海上保安庁がこの気象状況を文書として公開している.

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長距離飛行と地球の大きさ

○1931年6月23日から7月1日
高翼単発機のロッキード・ベガ「ウィニー・メイ」号でワイリーポスト,ハロルド・ゲティによりニューヨーク(ルーズベルト飛行場)発からハーバーグレース(ニューファンドランド)〜リバプール〜ハノーバー〜ベルリン〜モスクワ〜イルクーツク〜ハバロフスクからシベリア,アラスカを経由してニューヨーク着の世界一周飛行1万5474miles(およそ2万4903km)を8日間15時間52分(飛行時間は107時間2分)で記録した.
使用した飛行機はロッキード社製ベガ5-B(5人乗り小型機)で,エンジンはP&W社ワスプ425馬力(220馬力)
全長8.3m×高さ2.7m,翼長12.5m,巡航速度は425馬力の場合には220km/h(220馬力の場合は160km/h)
オクラホマ市の石油業者F.C.ハルの娘の名前を付けた”ウイニー・メイ”号.
モノコック構造で軽量,胴体も流線型で空気抵抗も少なく,高翼単発の高速機.
○1933年7月15日〜7月22日 
ワイリー・ポストは自動操縦装置付きのロッキード社製ベガ単葉機を単独で操縦してニューヨーク(フロイド・ベネット空港)を出発し,ベルリン,モスクワ,イルクーツク,アラスカを経由してニューヨークまでの15596miles=約2万5000kmを7日間18時間49分(186時間49分:実際の飛行時間は115時間36分30秒:着陸13回)で初の単独,世界一周飛行を記録した.
○1928年6月2日
イタリアのSavoia-MarchettiS64でA.フェラリン大尉, G.カパニン少佐が4764miles(7667km)を58時間30分で無着陸の周回距離飛行を記録した.
○1929年9月29日	
フランスのブレゲー19TRでD.コスト大尉,P.コドスはパリと中国のチチハル間7905km直線飛行した.
○1930年6月2日	
イタリアのSIAI-Marchetti SM-64でU.マダレーナ大佐,F.チェッコニが5088miles(8188km)を67時間で無着陸,周回距離飛行を記録した.
○1931年2月26日〜28日	
フランスの木製高翼単葉機ブレリオ110(水冷式600馬力,総重量7.2トン)でルシアン.ボアストロ,コマンダン.ロッシによって8822kmの無着陸,周回距離飛行を記録した.
○1931年3月30日〜4月2日	
フランスの木製中翼単葉機ベルナール80GR(水冷式650馬力,総重量9トン)でA.ペイラール,ジャン.メルモーズが8960kmの無着陸,周回距離飛行を記録した.
○1931年6月7日〜10日	
フランスの金属製低翼単葉機ドボアチンD33(水冷式650馬力,9.8トン)でジョセフ.ル.ブリ,マルセル.ドレが1万372kmの無着陸,周回距離飛行を70時間30分で記録した.
○1932年3月23日〜26日	
フランスの金属製低翼単葉機ブレリオ110「ジョセフ・ル・ブリ」号でR.ボアストロ,M.ロッシが1万602kmの無着陸,周回距離飛行を76時間33分50秒で記録した.
○1932年5月20日	
ロッキード・ベガでアメリア・イヤハート(米)が女性飛行士として初の大西洋単独飛行(ニューファンドランドからアイルランドまでを15時間39分)に成功した.
○1933年8月7日	
フランスのブレリオ・ザパタ110でR.ボスートロ,M.ロッシが9104kmの無着陸飛行を記録した.
○1937年7月15日	
ソ連のツポレフANT-25によりモスクワ〜ロス・アンゼルス間の長距離飛行(1万148km)をグロモフ,マヨチェフ,ダニーリンの搭乗で成功した. 

航研機の記録は平凡

○1938年5月15日
東京帝国大学の航研機が木更津を離陸し,太田〜平塚〜銚子間を周回飛行し,1万1651kmを62時間22分49秒で無着陸で飛行した.1万kmの平均飛行速度は186.1km/hを記録した.
○1939年8月1日
イタリアのサボイア・マルケッティSM82PD「カングーロ」3発爆撃機の長距離改造型により1万2936kmの無着陸,周回距離飛行を記録した.A.トンディ中佐,R.ダガッソ大尉ら4人で航続距離世界記録と1万km平均飛行速度226.192km/hを記録した.
○1946年9月29日〜10月1日
 ロッキード社製中翼の双発機P2V-1海洋哨戒機「トランキュレント・タートル」( 写真 )に,燃料タンクをあらゆる空間に増設し,4人の乗員と生後9か月の灰色のカンガルー(オーストラリアからワシントンDCの動物園への贈り物)を乗せて,燃料を多量に積み込んだため離陸の際に補助ロケットを利用した.
 オーストラリアのパースから米国オハイオ州コロンバスまでの1万1237 miles(1万8084km)を無着陸,無給油の長距離飛行を55時間17分で記録した. 
○1939年8月26日から10月20日
 双発の三菱G3M2モデル21を輸送機に改造したニッポン号による世界一周3万2850miles(52867km)を飛行時間194時間で56日間掛けた(ただしヨーロッパの戦争地域は避けた).
○1941年9月24日〜10月30日
 米軍のコンソリデイテッドB24爆撃機によるワシントンDCからワシントンDCまで(2万7238miles(4万3835km))を117時間(所要日数37日)で飛行し,軍用機による世界一周飛行.
○1941年12月2日から1942年1月6日
 サンフランシスコからニューヨークまでをボーイング314A飛行艇(ヤンキー・クリッパー)
3万1500miles(50694.34[km)を209時間30分(ただし日米開戦により,一部をカット)
○1944年7月2日から4日
 長距離実験機A26による無着陸の周回飛行距離記録で,周回コース(ハルピン〜白城子)を18周して新京飛行場に着陸した.総飛行距離1万6435kmの周回航続距離を57時間12分で記録した(非公認).
○1945年11月25日〜29日
 米国陸軍航空隊のダグラスA-26インベーダ爆撃機が乗員5人でサバンナからサバンナまで(2万4859miles(4万7km))を96時間50分で世界一周飛行し,米国の爆撃機は地球のどこにでも到達できることを証明した.
○1947年4月12日〜16日
 ウィリアムP.オダムとT.カーロルの2人でダグラスA-26インベーダ爆撃機(Reynold's Bombshell )で世界一周飛行(ニューヨークからニューヨーク2万miles:32187km)を78時間55分56秒で記録した.
○1947年8月7日〜11日
 冒険飛行士ウィリアムP.オダムが単独でダグラスA-26インベーダ爆撃機(Reynold's Bombshell )に乗り世界一周飛行(シカゴからシカゴ:1万9645miles=3万1616km)を73時間5分11秒(3日1時間5分11秒)で記録した.
○1948年7月22日〜8月6日
 3機のB29爆撃機が世界一周飛行(アリゾナ州チューソンからチューソンまで2万miles(3万2187km))に挑戦し,所要時間103時間50分で飛行した(うち1機はアラビア海で事故で中止したが残りの2機(ガス.ゴブラー,ラッキーレディ)が実現).
○1949年2月26日から3月2日
 B-50A爆撃機(ラッキーレディII)で15人の乗員が搭乗してテキサス州フォートワースからフォートワースまで(2万3452miles=3万7742km)を3日と22時間1分(94時間1分)で,無着陸,空中給油による初めての世界一周飛行に成功した.
○1957年1月16日から18日
 3機のボーイングB52戦略爆撃機(ラッキーレディIII,ラ・ビクトリア,ロンサム・ジョージ)でカリフォルニア州マーチ空軍基地から飛び立ち世界一周飛行(2万4325miles=3万9147km),所要時間45時間19分,無着陸,3回の空中給油による世界一周飛行を記録した.
○1962年6月11日 
 1機のボーイングB52H戦略爆撃機が沖縄の嘉手納基地からスペインのトレジャン基地までを無給油長距離飛行1万2532miles(2万168km)を22時間9分で記録した.
○1974年9月1日 
 米国空軍のロッキードSR-71による大西洋横断速度記録を1時間54分56秒で記録.離陸場所と着陸場所は公表されていない. 
○1965年11月14日から17日
 ジェット旅客機ボーイング707-320C(ポール.キャット)で米国ハワイ州ホノルルからホノルルまで2万6230miles(4万2213km)の両極越え世界一周飛行を57時間27分(所要時間62日27分35秒)で記録した.なお,北極から南極間飛行には34時間46分だった.
○1976年5月1日から3日
 パンナムのジェット旅客機ボーイング747SP(リバティ・ベル)でニューヨークからニューヨークまで2万3137miles(3万7235km)を46時間50秒で世界一周飛行を記録した.
○1997年4月1日から3日
 ジェット旅客機ボーイング777-2H6ERによりシアトルからシアトルまで(2万3210miles(37353km)を41時間59分)で世界一周飛行を記録した.
○1976年5月17日から19日
 アーノルド・パーマー・グループのリア・ジェットによる世界一周飛行はデンバーからデンバーまでの(2万2984miles(3万6989km)を57時間25分42秒で記録した.
○1986年12月14日〜23日
ボイジャー(ピストン・エンジンによる串形双発プロペラ双胴複合材使用機)による最初の無着陸,無給油,世界一周飛行は,エドワード空軍基地からエドワード空軍基地までの東回りによる記録で,2万4986miles(4万0211km)を9日間3分44秒(216時間3分44秒)で飛行した.
●2005年2月28日〜3月3日
 米国の冒険飛行士であるSteve Fossettさんは単発ジェット機「グローバル・フライヤー」号で,米国の中部にあるカンザス州サリナの飛行場を離陸し,東回りに約3万7000kmを飛行して,67時間2分後に出発地点に戻り着陸した.これが単独,無着陸,無給油による世界一周飛行の速度記録である.
日本からの世界記録を本気で検討するべきではないか?,エンジンもあるし,閑散とした飛行場も多数あるのだから,地域起こしので盛り上げられないのだろうか?バラエティでなく,正面から世界記録に挑戦できないのだろうか

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