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2005年04月19日
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南米のチリは面積ではブラジルに次いで大きい国だが,1912年ころに民間航空でブレリオ機が多数使用されていた.ルイス・アルベルト・アセヴェト飛行士がチリの飛行会で3180mの高度記録を1913年3月22日に出した.さらに3月25日にクロドミロ・フィガロアが長距離飛行に挑戦してバツコ〜ヴァルパライソ〜サンチャゴ間300kmを3時間15分で飛行した.ついで1913年12月にフィガロア飛行士がアンデス越えに挑戦したが成功しなかった.そのころの80馬力のブレリオでは十分な高度をとれなかったのだ.
アルゼンチンの飛行士J.ニューベリーは1914年2月10日にスーパー・チャージャー付きの80馬力エンジンを装備したモラン・ソルニエ単葉機でそれまでの高度記録を75m上回る6225mに到達した.その後でニューベリーはアンデス越えに挑戦したが途中で山腹に衝突し死亡した. アルゼンチン陸軍の飛行士ルイスC.カンデラリア中佐がモラヌ・ソルニエ社パラソル単葉機でアンデス山脈を1918年4月13日に最初にアルゼンチンのザパラからチリのカンコへ(西から東へ)飛行機で飛び越えた.ただしこのときは海抜13000フィート(4000m)の場所で130マイル(210km)の距離を飛行した. チリ陸軍のパイロットD.ゴードイ中佐が英国製ブリストル単葉機に110馬力のエンジンを装備した単発機でチリのサンチャゴから海抜1万9700フィート(6000m)のアンデスを越えてアルゼンチンの葡萄栽培と葡萄酒を醸造しているメンドーサに着陸した.. 2年後の1920年にアルゼンチンのV.アルマンドス・アルモナシドが220馬力のスパッドで夜間のアンデス越えに成功した.アルモナシドは第一次大戦中に連合軍のために最初の夜間爆撃を実施した人物である.1920年代になるとイタリア政府が友好と飛行デモのために外国に飛行士グループを派遣したときに,アントニオ・ロカテリが最初に単独でSVA(アンサルドAC2)に乗ってアンデス越え(ブエノス・アイレス〜サンチャゴ〜ブエノス・アイレス)に成功した. さらに女性飛行士のエイドリアン・ボーランド(ブラジル出身の飛行士)がコードロンG3で1921年4月1日にアンデスを飛び越えた.南米までカーチス製戦闘機(Curtiss P-1)のデモにやってきたジェームスH.ドウリットル中佐が1926年9月3日にアンデス山脈を飛び越えている. フランスの航空輸送会社が1928年になるとブラジルからアルゼンチン,チリへと郵便輸送が可能かどうか検討していた.ジャン・メルモーズ飛行士が2月2日よりラテコール25(450馬力のルノー・エンジンを装備)で何回か試みたが成功しなかった.突風にあおられてエンジンが故障したため,4300mの高地に不時着陸を試みたが,4日間零下25度の4300mの場所に止まり,断崖を利用して跳躍しながら飛び上がってなんとか戻ってきた.
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