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グラマンの次は「ロッキード」というと,かつて航空自衛隊の次期戦闘機(FX:F104 Vs F11)選びで政治屋(岸信介:安倍さんのお祖父さん)と商社が際どい商戦を行なっていたが,そろそろまた次期FXの選択する次期となったが,米国に追従する状況ではほとんど選択肢が限られているような状況らしい.そしていつの間にか,米国に次ぐ国防予算(大日本帝国なら軍事予算だが,)規模になっている.なにしろイラクにまで自衛隊を派遣する事態になっているのだから(戦後の復興支援のはずが,内乱状態では自衛隊の出番はないはずなのだが?).
1976年の発行だから,ローグヒード兄弟による創設から始まりL1011のトライスターまでで終わっているが,ステルス機やロッキード・マーチン社として生き残り,日本との関係ではC130,F22などの追加が必要なのかもしれない.しかし本書のままでも,歴史書として文庫に収容して欲しいのだが.PHP文庫さんあたりでいかがなんでしょうか?(5月下旬にいつもの光人社NF文庫から新刊で出るようだ).米国の軍事企業と日本の防衛産業の違いは,市場を日本に限定して安定した生産の下に確実に利益を上げている点にあるように思える. |
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大日本帝国陸軍はソッピース3戦闘機に対する前段階の練習機として,英国から1919(大正8)年5月に1O機を輸入した.しかし陸軍では輸入した10機を短期間の使用で間もなく廃止し,フランス製のニューポール83E2初級練習機に切り換えてしまった.
大日本帝国海軍では陸軍とは別に,1921(大正10)年に英国より来日したセンピル大佐らの海軍航空教官団が持参した機材の中から,初級練習機としてアブロ504K/Lを採用した.英国側の記録によると,日本へはK型陸上機を68機,L型水上機10機が輸出されている. こうして海軍では田中龍三造兵大佐,小山十満洲造兵大佐,馬越喜七大尉,和田操大尉,橋本賢輔技師ら28人の技術者をアブロ社に6か月間派遣して製作技術を学び,さらに製作権を購入し,中島飛行機と愛知時計電機に工作図面と実機を提供して,その製造を依頼した. 中島飛行機では1922年から1924年にかけて水上機を含めて250機を製造し,愛知時計電機では水上機を30機の生産を担当した.陸上機をアブロL,水上機をアブロSと区別したこともあるが,海軍では単にアブロ式陸上練習機,アブロ式水上練習機としていた. アブロ504練習機は操縦性,安定性がともに良く,宙返りを含めたある程度の曲技飛行も可能で,当時の初級練習機としては使いやすい機材とされた.また回転星形ロータリー式エンジン(ル・ローンJ空冷式回転星型9気筒110馬力)を装備して寿命を永らえた最後の機体となった.昭和のはじめには,多数の504K練習機が民間に払い下げられ,陸軍が払い下げたニューポール式,アンリオ式と共に民間飛行学校の主力練習機となり,1937(昭和12)年ごろまで使用されたものがある. アブロ504練習機の日本における全機数は,中島飛行機製が250機(1922年〜1924年陸上,水上機共),ほかに愛知時計電機製が水上機を30機で,合計280機が国産,英国製の輸入機が78機となり,総計は358機に達する. なおアブロ504練習機の原型は第1次大戦の初期,ツェッペリン飛行船基地の奇襲や,ロンドン夜間空襲のツェッペリン飛行船に対する迎撃などで成果を挙げ,その後は英国の代表的な練習機として,各型合計で8340機が生産された. |
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横須賀を母港としている米国海軍の空母「キティ・ホーク」の退役が迫り,代替に原子力推進の空母が検討されている.
仮想戦記では日本が勝利するシナリオで展開する小説だが,もし大日本帝国が勝利していたらアジアにもう1国,北朝鮮のような独裁政権の国家が存在していることになる.60年以上前の戦争を話題に出来るのは,それ以降日本は戦争の当事者でなかったことによるだろう. 安全とされる原子炉が定期点検の手抜きで配管のボイラー部が破断する事故を起こす事故があった.公営企業とされる電力会社の原子力発電プラントでも事故が発生する.それが軍艦に搭載する原子力エンジンの場合には,どこまでが安全なのだろうか?この本は原子力空母が訓練中に事故に会い(ソ連の原子力潜水艦と太平洋上で衝突する),日本のドックまで運び修理しようとする米国海軍の潜水艦と水上艦艇,日本の潜水艦,ソ連の潜水艦による戦闘ゲームを記述したものである.単純な核アレルギーによる原子力空母を忌避する前に,東京湾を原子力空母の母港にすることによる予想される事態(平時における最悪の場合も考えた想像力をもっていなければならないだろう)に,どう対応するのか明確にしておくべきだろう.なにしろ,軍艦という危険物なのだから.... |


