DHC-6ツイン・オッター
デ・ハビランド・カナダ社(現在はボンバルディア社)が単発機DHC-3オッター(1951年に開発)を双発化して,1965年に開発した双発ターボプロップ多用途輸送機(プラット&ホイットニー・カナダ社製PT6A-27タービン460kW/620馬力)である.胴体は単発のオッター(かわうそ)をそのまま流用し,エンジンを双発にすることにより400m程度の滑走路からでも離着陸できるSTOL性を獲得し,19人乗りコミュータ旅客機として日本では北海道と沖縄の離島路線に導入された.1988年に生産を終了しているが,シリーズで合計844機が製作された.日本には1973年よりデ・ハビランド・カナダ社製DHC-6-300を7機輸入して,南西航空(1993年7月に社名を変更して現在は日本トランス・オーシャン航空),日本近距離航空(1987年4月に社名変更によりエアーニッポン),琉球エアコミューター(2002年1月23日まで運航)が導入し運航していた.最後の1機となったDHC-6ツイン・オッターは,エア北海道(エアーニッポンの函館〜奥尻島,稚内〜利尻島,稚内〜礼文島路線を1994年4月より引き継ぎ)が現在でも函館〜奥尻島間で運航しているが,2006年3月には退役する予定となっている.
離島の航空路線は自治体が運航するバス路線と同じなのか
奥尻島の奥尻空港は,1974年9月より800m滑走路が完成し,日本近距離航空(1987年4月に社名を変更してエアーニッポン)が10月からを奥尻島〜函館〜札幌線を開設した.この路線に就航したのはデ・ハビランド・カナダ社(現在はボンバルディア社)DHC-6ツイン・オッターという双発のターボプロップ・コミューター機(乗客19人)である.
1993(平成5)年7月12日に,「北海道南西沖地震」が発生し,津波とともに奥尻島全域にわたって大きな被害を与えた.しかし,復興事業が順調に進み,1998(平成10)年3月に「復興宣言」が行なわれ,観光客も年ねん増えて,地震・津波災害前の奥尻島に戻ろうとしている.
奥尻空港は,1974(昭和49)年に第3種空港(奥尻町管理)として使用が始まってからは奥尻島の生活を支える交通手段として飛行機は重要な地位を占めている.また,北海道南西沖地震発生時には救難活動の拠点として利用された.
これまでは函館空港からDHC-6が通年運航しており,復興宣言後は,街並みも揃い,新しい観光施設も整備されている.
エアー北海道は1994年9月から奥尻島〜函館間の離島航空路線の運行を担当してきた.
現在の奥尻空港は1999(平成11)年から滑走路を1500mに延長する空港拡張工事を始めて,2004(平成16)年3月より800mの滑走路として新滑走路を利用している.2006年3月には1500m滑走路が完成する予定である.
ところがこの奥尻島〜函館航空路線はエアー北海道(ADK:1994年設立されエアーニッポンの路線を引き継いだ)が運航して1日に4往復(8月の観光シーズン)している.しかしADKの経営状況は2004年3月期決算を見ると,4300万円の債務超過となっている.このため5月以降は本格的に路線の撤退を検討してきた.北海道では第3セクターの北海道エアシステム(HAC)に,ADKの路線を継承するよう要請していた.
函館〜奥尻島線の存廃については,北海道エアシステムが2006年4月より現在運航しているエアー北海道(ADK:函館市高松町)の事業を引き継ぐことを発表している.HACでは年間通して運航する予定らしいが,運賃やダイヤは検討中でまだ未定.なおHACでは就航の2か月前までに計画を立て,東京航空局に認可申請することになる.
HACの使用機材は,これまで運航してきたADKの双発プロペラ機「DHC-6」(19人乗り)より大型の「サーブ340B」(36人乗り)を投入する予定だから,運航体制は現在の1日2〜3往復ではなく,機材の大型化により1〜2往復になるだろう.
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