民間輸送機A26 Reynolds Bombshell
ミルトン・レイノルズ(Milton Reynolds:米国の筆記用具メーカー経営者:写真中央)は,この世界一周を見てダグラスA26インベーダ攻撃機を手に入れて世界一周飛行に挑戦して,ハワード・ヒューズの1939年の世界一周記録を更新しようと考えた.まず社用機として自分のA-26を手に入れにReynolds Bombshell(レイノルズ爆弾殻)と名付けて,飛行に関係のない武装を外して燃料タンクを増設した.
William Odom(写真左)とT.Carroll Sallee(写真右)を飛行士として依頼して,レイノルズも航法士として同乗して世界一周飛行に挑戦することによって自分の企業の広報に利用しようと考えたのだ.こうして3人が搭乗したA26は,米国ニューヨークのラガーディア空港を1948年4月12日に出発した.まず大西洋を横断するためにニューファンドランドのガンダーに着陸して燃料を補給した.小さな機械的なトラブルはあったが,なんとかクリアした.ただ正確な気象情報が得られなかったために,飛行高度を1万9000フィート(5790m)〜2万3000フィート(7010m)としたために乗員が酸素不足に陥り,飛行記録にいくつかの欠落を生じてしまった.
1947年4月16日にラガーディア空港に無事着陸したが,2万20マイル(3万2219km)を3日6時間55分56秒で飛行した.しかしこの世界一周飛行は,離陸前にFIAのチェックを受けなかったために非公認記録となってしまった.
正式な世界一周飛行記録A26 Reynolds Bombshell
2回目の世界一周飛行は,ダグラスA26(Reynolds Bombshell:レイノルズ・ボムシェル)をレイノルズ氏から借りて,冒険飛行士ウイリアム.P.オダムが単独で操縦して行なう計画にして,1957年8月7日に飛び立った.前半はオート・パイロット(リトル・ウィリーという愛称をつけた)でビルマ(現在はミャンマー)まで飛行したが,東京までは自分で操縦した.アンカレッジを通過するまで眠ったために,燃料を予想外に消費してしまった.そのためノース・ダコタ州ファーゴで燃料を補給してシカゴのダグラス空港に8月10日に戻って着陸した.
この飛行距離は1万9645マイル(3万1616km)で,所要時間は3日と1時間5分11秒(73時間5分11秒).
米国空軍は,1948年にマーチンB26マローダ爆撃機が退役した後に,ダグラスA26インベーダ攻撃機の一部を再設計して,爆撃としてB26に改称した.このあとダグラスB26爆撃機は,朝鮮戦争,ベトナム戦争にも参加して1969年まで使用された.民間に放出された多数のA26は,米国やカナダで森林火災時に水爆撃機として利用された.