海上自衛隊は潜水艦の捜索・探知・攻撃を主力とする航空部隊も所属した
TBM-3アベンジャーは第2次大戦中から朝鮮戦争までに米海軍と海兵隊が航空母艦に搭載する単発雷撃機/汎用機だった.アベンジャーの原型となる試作機は1941年8月に初飛行し,1942年1月30日から実戦部隊に配備が始まり,6月のミッドウェー海戦がはじめて実戦への投入となった.TBF-1〜3の生産は,開発したグラマン社が担当したが,米海軍の要求する大量生産が出来ないことがわかったために,1943年からゼネラル・モーターズ社(東部航空機事業部)に生産を移行させた.これによってグラマン社はTBF-3を2293機製造し,GM社はTBMとして7546機を製作した.
さらに対潜哨戒と攻撃を強化するためTBM-3W捜索機とTBM-3S攻撃機の2機を組み合わせて任務を分担し,2機が1組となって行動する対潜捜索作戦が行なわれた.
日本には海上自衛隊か創設された1954(昭和29)年7月に,米海軍から対潜哨戒/攻撃機の供与が始まり,TBM-3Wと3S,通称アベンジャーは1954年12月に5組10機,1955年には2組4機,1956年には3組6機が追加供与されて合計20機になった.これらの機体は鹿屋航空隊で潜水艦捜索部隊として編成され,海上自衛隊固定翼機部隊の最初の主力になった.
TBM-3Wハンター(潜水艦捜索)とTBM-Sキラー(潜水艦攻撃)の組み合わせで行動する単発の対潜哨戒機は,当時の対潜電波装備機としては効果的な捜索能力を持ち,-3Wは胴体下に360度全周方向の捜索が可能なAPS-20レーダを装備し,後席に2人のレーダ操作員が並んで搭乗し,垂直尾翼の両側に補助の垂直安定板を追加したのが外形上の特徴となっている.3Sは左翼下にサーチライト・ポッド,右翼端の攻撃用小型レーダAPS-4レーダ・ユニットに,APR-9/APR70ESM逆探知装置,ソノブイ受信機など,当時米海軍の潜水艦追跡装備を備えていたが,機体とエンジン(Wright R-2600-20/1900馬力)がすでに考朽化しており,長時間の洋上飛行には制限が加えられ,1959〜1960年には退役した.
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