英国のデ・ハビランド社製複葉機DH50は水上機も開発した
1922年になると第一次大戦後に民間機市場に放出されたDH9Cがそろそろ寿命がつきかけていた.デ・ハビランド社では代替機として,パイロットを後部の開放操縦席としその前に乗客4人の密閉客室を主翼の中間に配置した複葉機DH50旅客機の開発を進めていた.
DH9Cで使用したシドレイ・ピューマ・エンジンは小型機では信頼性と経済性が証明されていたのでそのまま流用したDH50の試作機は1923年7月30日に初飛行した.その4日後にアラン・コブハムの操縦で信頼性試験としてコペンハーゲンとゴーセンバーグを8月7日〜12日まで毎日飛行して優勝するなど,すばらしいスタートを切った.試作2号機が完成する前にコブハムは,何度か長距離飛行を行なった.
それは1925年11月16日と1926年2月17日にクロイドンからケープタウンまでの2万5749km(1万6000マイル)をDH50で飛行したのだが,この飛行は1926年に英国からオーストラリアまでの往復飛行の予備調査として行なったものである.
試作2号機にはアームストロング・シドレイ・ジャガー星型エンジン(385馬力/287kW)を搭載し,双フロートを装備したDH50J水上機として再設計したものとなった.
こうしてDH50は,デ・ハビランド社で16機が製造され,オーストラリアではDH50Aをラーキン航空機社によるライセンス生産が行なわれ,カンタス航空向けにDH50Aが4機,DH50Jが3機,西部オーストラリア航空には3機のDH50Aが納入された.ヨーロッパ大陸では,ベルギーのSABCA社がライセンス生産を行ない,3機のDH50Aをブリュッセルに,7機をプラハ航空に納入した.SABCA製DH50Aはベルギーとコンゴ路線に投入された.
デ・ハビランド社が製作したDH50は,4機が英国を中心に運航され,うち2機をインペリアル航空が導入した.さらに1機はチェコ政府に,10機がオーストラリアに,1機がニュジーランドへ納入された.一番長く使用されたのは15番目に英国で製造された機体で,1928年にオーストラリアの民間航空局に納入され,1942年にニューギニアで戦闘に遭遇して破壊された.
DH50シリーズに使用されたエンジンは多種類あるが,ADC社ニンバス(300馬力/224kW),ブリストル社ジュピターIV(420馬力/313kW),ブリストル社ジュピターVI(450馬力/336kW),ジュピターXI(515馬力/384kW),プラット&ホイットニー社ワスプC(450馬力/336kW),チェコ製ワスプ版ワルターW-4(240馬力/179kW)などである.
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