日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン

まだ手探りで自分の飛行機を工夫して試作していた時代

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 ◇小川式2,3号地上滑走練習機
小川三郎(鹿児島市出身で明治29年11月18日生まれの自作飛行機開発者)は,東京の工手学校電気科を卒業して鹿児島に戻って仕事をしていた.空を飛ぶ飛行機に取付かれ,1918(大正7)年に独自に設計し試作した小川式1号機にオートバイの発動機を改修して取付け,地上滑走練習機として利用した.試作2号機は小型の複葉単座トラクターで小川2号太陽号と名付け,車輪前方に転覆防止用の橇をつけ,発動機はエキセルシャー空冷式V型2気筒16馬力を装備した.しかし滑走までで飛行することはなかった.ついで新しい構想によるカナード(鴨)型先尾翼の小川式3号機を試作したが,これも同じ発動機を流用したために出力が不足して,地上滑走で終わった.
このあと小川三郎は,1919(大正8)年に群馬県太田の日本飛行機製作所に入所し,飛行機の製作に関わり,佐藤要蔵,飯沼金太郎両飛行士らに操縦を習い,1921年に3等飛行機操縦士の免状を取得した.
◇小川式5号練習機は飛ぶ
破損した中島式1号2型の骨組みを譲り受けて小川式5号機南洲号を製作した.本田稲作,須藤正信,小野清二などの同僚の支援を受け,1920年の暮れに完成した.独自の設計で試作したが,発動機は原型のホールスコット150馬力に対して,陸軍払い下げのルノー70馬力エンジンを装備することによって,初歩者向きの軽量な練習機となった.この発動機はモ式4型プッシャーのものだが,送風ファンを取除いて前後逆に取付け,気筒の上を導風板で覆う外形となった.1921(大正10)年4月8日に法律第54号「航空取締規則」が公布され操縦士免状と飛行機の耐航証明書がない飛行機は飛行を禁止された.ようやく小川三郎は,小川式5号機南洲号を伊敷練兵場に送り郷土で飛行会を1921年8月16日に開き飛んで見せた.その後,胴体には小川飛行士個人のマークを描き,小川飛行練習所の練習機として使用した.
なお小川飛行練習所では,鹿児島県谷山村中塩屋海岸の干潟を飛行場に利用した.

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