日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン

まだ手探りで自分の飛行機を工夫して試作していた時代

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山形県鶴岡市の斎藤外市は,明治22年いらい,軽気球の開発に取組んでいたが,飛行器の特許を得て,

1910(明治43)年にフランスからノーム50馬力エンジン(空冷式回転星型7気筒)を輸入し,植田庄太郎の協

力でブレリオ式に似た単葉機(木製主材骨組に合板羽布張り構造:全幅10.3m×全長9.1m,全備重量650kg)

を製作した.この機体は空中火災を避けるため,燃料タンクを発動機から離して尾部に設けた支柱の上に

取付け,また飛行中に事故が発生したとき非常索を引くと,発動機架は分離して落下し,搭乗者は翼に支え

られて,落下傘のように安全に降下可能な構造とした機体になっていた.

斎外式安全飛行機は1912(明治45)年6月に,山形県鶴岡の管原茶屋東方赤川堤防内の河原で地上に2条のレ

ールをひき,最上川汽船会社の最上丸の小屋助太郎機関士が乗って滑走を始めたところ,機体は地面を離

れたが,危険と感じたために安全ロープを引いて飛行を中止させてしまったために,飛行記録は残ってい

ない.

この斎藤外市のノーム50馬力発動機は,1917(大正6)年に玉井清太郎飛行士の玉井式3号機に装備された

が,玉井式3号機が墜落して玉井飛行士の死を招いた.その後このエンジンは,鳥飼繁三郎(自動車商)の手

に移り,さらに伊藤音次郎の鶴羽式2号機に装備され,1918(大正7)年に山県豊太郎飛行士の操縦で,日本の

民間機による最初の宙返り飛行に成功した.狂言回しのように,黎明期の民間飛行界を転々と渡り歩い

た歴史的な実績をもつ空冷式回転星形発動機といえよう.このころの航空エンジンが如何に貴重なもの

であったかを示すエピソードである.

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名古屋の植田庄太郎は,1908(明治41)年に友人の佐藤喜三郎から協力を得て,鶴舞公園近くの作業場

で,複葉滑空機を試作した. この飛行機は植田式飛龍号と呼ばれ, 竹材を主とした枠組を胴体にした

複葉機で,独特な操縦装置をもち,自動車による曳行で滑空実験が行なわれた.

 次に,フランス製アンザニ空冷式扇型3気筒25馬力エンジンを購入して取付け,東築港埋立地で滑走試

験したが飛行することはなかった.

 発動機を機首につけた,いわゆる複葉トラクター(プロペラが機体を引っ張る形式)で,補助翼は翼間

支柱後部に取付け,方向舵は2枚でその外側に三角形の小さな水平安定板を付け加え,昇降舵はその後方

に離して取付け,両側前部に釣合い面をもち,平面形は凹型になっていた.

 当時の日本では,まだ自転車も高価だったため,荷車の木製車輪を使い,空気タイヤも適当な緩衝装

置もついておらず,構造的にも問題が残っていた.もし飛行していれば,日本最初の民間飛行機となる

はずだったのであるが......

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