日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン

まだ手探りで自分の飛行機を工夫して試作していた時代

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2005年08月

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◇機械は動かないと....

●プロペラ旅客機
国産の双発ターボプロップ多用途輸送機は成功したが....
4人乗りの軽飛行機にこりて,軍用機を地道に受注する航空機メーカー
ブラジルの航空機メーカー製コミュータ旅客機は西瀬戸内海路線に1987年
複葉機からエヴェレストの山頂を眺めたのは1933年だったが....
南太平洋横断は1928年にフォッカーF7/3mで,ハワイ,フィージを経由した
米国製のビーチクラフト1900Dは北海道のコミュータ旅客機になった
ドイツ製の19人乗りコミュータ旅客機は離島路線に就航中
カナダ大陸横断飛行は1920年にカナダ空軍が実施した
1980年代に離島路線を飛んだ,オーストラリア製の16人乗りコミュータ旅客機
ジェット機並みの性能をもっていても,ターボプロップ旅客機の時代は終了
単発の尾輪式軽飛行機は遊覧飛行用としてまだ運用されている
レシプロ・エンジンの単発機が,スカイタイピング巡業するのは8月一杯
米軍は航空法の適用除外される存在って,宗主国なのか?
離島のコミュータ輸送機は双発のレシプロ・エンジン機が担当している
英国製双発ターボプロップ小型旅客機JS31ジェットストリームは2003年8月に去っていった
レシプロ・エンジンの9人乗りの飛行機に乗るために日本の最南・最北端へ行ってみよう
奥尻島までツイン・オッターで飛んでみないか?06年3月までで退役してしまうから
ANAグループのエアーセントラルが名古屋を中心Fokker50を運航している
日本国内航空が導入したターボプロップ双発旅客機はフランス製
フォッカーF27フレンドシップ双発旅客機がDC3から新時代へ移行した
ガス・タービンで駆動するターボプロップ旅客機が国内線に導入されたのは1960年
最後のレシプロ国際線旅客機となったDC-7C,ジェット旅客機ボーイング707が登場する
コンベア社CV340/440双発旅客機は,国内幹線に投入された
ローカル線に導入された次世代双発旅客機コンベアCV240
極東航空が2機購入したハンドレー・ページHP.R1小型4発旅客機
英国製の小型4発旅客機デ・ハビランドDH114が導入された
地域の定期航空路線向けの小型旅客機によって民間航空はスタートした
DC-4を3.5mストレッチしたのがDC-6B旅客機で国際線に投入された
ダグラスDC-4旅客機が民間定期航空路線の主力に
双発旅客機マーチン202が定期航空路線に就航したのは1951年

●航空発展史
ポーランドの単発小型機が南大西洋を単独横断したのは,1933年だった.
1930年に米国,ユーラシア大陸を単発複葉機で単独横断飛行した東善作
カナダ大陸横断飛行は1920年にカナダ空軍が実施した
単発の複葉機でアラスカ・ノームまでを往復飛行したのは1920年の夏
北米大陸を1923年に無着陸横断したのはフォッカーT-2単発単葉機だった
旅客機を爆撃機に改造したのは,第一次大戦後に前例があった
巨大旅客機ユンカースG38は重爆撃機に改造された
学生が1万4000kmを国産複葉機で羽田からローマまで飛んで行ったのは1931年
最初の民間旅客機は3人乗りの複葉機
●メデイア
マイナーなラジオは独立したメディアとして継続されるか?
●自動車
1906年に行なわれたフランスGPで優勝したのはルノーAK90cv
4輪駆動車による地球上の最高地点への到達記録は6080m
●腕時計
腕時計は機械でなくなってしまうのか

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 1911年にニューヨークからカリフォルニア州ロング・ビーチまで北米大陸を最初に飛行機で横断したのは,カルブレイス.P.ロジャース(Calbraith Perry Rodgers:1879-1912)飛行士で,ライト社が製作した複葉機で「ビン・フィズ・フライヤー」(the Vin Fiz Flyer:2枚の2.4mの推進式プロペラをエンジン(35馬力/26kW)でチェーン駆動して回転させ,速度72〜97km/hで飛ぶ)で行なった.
 まず動機は,新聞社社長のWilliam Randolph Hearstによって,東海岸から西海岸まで30日以内に飛行機で横断したら5万ドルの懸賞金が掛けられていたことである.
 ロジャース飛行士を支援する3両編成の鉄道列車にはVin Fizの4機分のスペア部品を用意して飛行機とともに米国内を移動した.当時の飛行機にはまだ航法支援装置はないから,地上の鉄道線路などを目視で確認して経路を決めていた.
 飛行距離が増えるに従って事故や故障が続出し,11月5日にロング・ビーチに着いた時には原型機のオリジナル部品はわずか2点が残っているだけだった.
 ニューヨークのブルックリンのシープシード湾を9月17日の日曜日午後にスタートして,ニューヨークからシカゴ,テキサス州のサンアントニオまで下って米国の南側国境沿いにカリフォルニア州ロングビーチまでの経路を飛行した.この経路をとることで山岳地帯を完全に避けたため地形面での障害はなかった.
 これで北米大陸の横断飛行は9月17日〜11月5日の日程でカリフォルニア州パサデナまで5455km(3390マイル)を実飛行時間82時間4分で到達した.49日間を掛けて69か所を経由して17回の着陸墜落事故(ロジャーズは認めないが,着陸事故であることはまちがいない)により複葉機の修理を繰り返して西海岸に到達した.平均飛行速度は82km/h(51mph)ロジャースの1日の最長飛行記録は10月28日のサンダーソンからテキサス州のシェラ・ブランカの372km(231マイル)だった.
 ロジャーズはこの時点でハーストの賞金は無効になった.しかし後援したArmour(清涼飲料水メーカー)社が2万ドル上乗せして賞金を払った.もちろんArmour社のポスターや広報宣伝には協力した.ロジャーズの存在価値は,墜落事故を繰り返しても生き残ったことで人気を得ていたのだ.
 さらにロジャース飛行士はカリフォルニア州コンプトンで11月12日に墜落し,ひどい怪我をしてしまった.このために計画より28日遅れてしまった.ようやく12月10日にカリフォルニアの海岸まで飛行して6400kmの大陸横断を完了した.
 残念ながらロジャーズは,飛行機の墜落事故で1912年4月に死亡した.
 さらにロジャースに引き続いて西海岸から東海岸までの北米大陸横断飛行をロバート.G.フォウラーがロス・アンジェルスからフロリダ州のジャクソンビルまで4056km(2520マイル)を112日間掛けて,1911年10月19日〜1912年12月2日に実行した.

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DHC-6ツイン・オッター

 
デ・ハビランド・カナダ社(現在はボンバルディア社)が単発機DHC-3オッター(1951年に開発)を双発化して,1965年に開発した双発ターボプロップ多用途輸送機(プラット&ホイットニー・カナダ社製PT6A-27タービン460kW/620馬力)である.胴体は単発のオッター(かわうそ)をそのまま流用し,エンジンを双発にすることにより400m程度の滑走路からでも離着陸できるSTOL性を獲得し,19人乗りコミュータ旅客機として日本では北海道と沖縄の離島路線に導入された.1988年に生産を終了しているが,シリーズで合計844機が製作された.日本には1973年よりデ・ハビランド・カナダ社製DHC-6-300を7機輸入して,南西航空(1993年7月に社名を変更して現在は日本トランス・オーシャン航空),日本近距離航空(1987年4月に社名変更によりエアーニッポン),琉球エアコミューター(2002年1月23日まで運航)が導入し運航していた.最後の1機となったDHC-6ツイン・オッターは,エア北海道(エアーニッポンの函館〜奥尻島,稚内〜利尻島,稚内〜礼文島路線を1994年4月より引き継ぎ)が現在でも函館〜奥尻島間で運航しているが,2006年3月には退役する予定となっている.

離島の航空路線は自治体が運航するバス路線と同じなのか

 奥尻島の奥尻空港は,1974年9月より800m滑走路が完成し,日本近距離航空(1987年4月に社名を変更してエアーニッポン)が10月からを奥尻島〜函館〜札幌線を開設した.この路線に就航したのはデ・ハビランド・カナダ社(現在はボンバルディア社)DHC-6ツイン・オッターという双発のターボプロップ・コミューター機(乗客19人)である.
 1993(平成5)年7月12日に,「北海道南西沖地震」が発生し,津波とともに奥尻島全域にわたって大きな被害を与えた.しかし,復興事業が順調に進み,1998(平成10)年3月に「復興宣言」が行なわれ,観光客も年ねん増えて,地震・津波災害前の奥尻島に戻ろうとしている.
 奥尻空港は,1974(昭和49)年に第3種空港(奥尻町管理)として使用が始まってからは奥尻島の生活を支える交通手段として飛行機は重要な地位を占めている.また,北海道南西沖地震発生時には救難活動の拠点として利用された.
 これまでは函館空港からDHC-6が通年運航しており,復興宣言後は,街並みも揃い,新しい観光施設も整備されている.
エアー北海道は1994年9月から奥尻島〜函館間の離島航空路線の運行を担当してきた.
 現在の奥尻空港は1999(平成11)年から滑走路を1500mに延長する空港拡張工事を始めて,2004(平成16)年3月より800mの滑走路として新滑走路を利用している.2006年3月には1500m滑走路が完成する予定である.
 ところがこの奥尻島〜函館航空路線はエアー北海道(ADK:1994年設立されエアーニッポンの路線を引き継いだ)が運航して1日に4往復(8月の観光シーズン)している.しかしADKの経営状況は2004年3月期決算を見ると,4300万円の債務超過となっている.このため5月以降は本格的に路線の撤退を検討してきた.北海道では第3セクターの北海道エアシステム(HAC)に,ADKの路線を継承するよう要請していた.
 函館〜奥尻島線の存廃については,北海道エアシステムが2006年4月より現在運航しているエアー北海道(ADK:函館市高松町)の事業を引き継ぐことを発表している.HACでは年間通して運航する予定らしいが,運賃やダイヤは検討中でまだ未定.なおHACでは就航の2か月前までに計画を立て,東京航空局に認可申請することになる.
 HACの使用機材は,これまで運航してきたADKの双発プロペラ機「DHC-6」(19人乗り)より大型の「サーブ340B」(36人乗り)を投入する予定だから,運航体制は現在の1日2〜3往復ではなく,機材の大型化により1〜2往復になるだろう.

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