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サンバー (Sambar:英語で「大鹿」を意味している)は, 富士重工業が生産している軽商用車シリーズのバン・ワゴン車の愛称である.
日本の軽自動車は,自動車を社会基盤に根付かせるための重要な入門車として1960年代より普及が始まった.日本の道路事情に見合った自動車の開発を目的として,富士重工業が開発した軽乗用車「スバル360」は,「軽自動車の枠で,普通乗用車と同じ能力を」という前提で製品化されて1958年に発売してユーザーに受け入れられた.当時のスバルやホンダの軽自動車がエンジンのみを拡大して450cc〜600ccとし,北米地域に輸出して好評だったことから,欧米人の体格にも日本の軽自動車サイズで問題はなかったのである. これまで過去3度にわたる大幅な軽自動車の規格拡大が実施されたが,1976年1月より排気ガスを抑制するために4サイクルエンジンへの移行(360cc,長さ3m×幅1.3m×高さ2m→550cc,長さ3.2m×幅1.4m×高さ2m),1990年1月から高速道路網への対応やカー・エアコンの普及による余剰出力の確保(550cc→660cc,長さ3.3m×幅1.4m×高さ2.0m),1998年10月から衝突安全性への対応(660cc旧→660cc新,長さ3.4m×幅1.48m×高さ2m)が主たる理由であった. 初代のスバル・サンバー(空冷2サイクル2気筒/排気量356cc/18馬力)は1961年2月に発売されたが,軽トラックにキャブオーバー構成とした商用車だから,シャーシは一般的な梯子形フレームを用いて,駆動系やサスペンション構成は既存のスバル360の基本ユニットを流用して,エンジンを後部に装備したRWD(後輪駆動)方式,四輪独立懸架だった.サンバーのライトバンは1962年3月に追加された. 初期のモデルには日本車には珍しく,バックギヤの位置が1速の横(左斜め上)にあったため,バックギヤに切換える操作は独特のものとなっていた.なお,現在のモデルでは他の日本車同様、バックギヤの位置は4速の右となっている. 1966年に登場した2代目サンバー(ホイル・ベースが167cmから175cmに伸びた)は,米国にも輸出されたが,「サンバー」の車名を使われずに,「SUBARU360 VAN,TRUCK」の名で販売された.そのため米国ではSUBARU360と言うとサンバーを指すことになる. サンバーはエンジン位置が運転席から離れているため,静粛性は他社の軽トラックより優れているが,エンジン配置はスペースの制約を受けて,ややタイトである. 1973年2月に3代目サンバー(ホイルベースは173cm)が登場したが,ピックアップ・トラックは廃止された.1976年5月に4代目サンバー(エンジンが490cc)がサンバー5として登場した(輸出仕様はスバル500). サンバーは軽自動車の規格拡大に対応してモデル・チェンジを繰り返しながら,現行モデルに至るまで後部床下にエンジンを搭載し,四輪独立懸架を続けている.軽トラックでは,空荷時と荷物搭載時の姿勢差が大きいが,荷台の床下にあるエンジンがバラスト役を果たすことで,空車時でも十分なトラクションを確保して,安定した走行,登坂能力を実現した.また一貫してキャブオーバー方式を通し,セミ・キャブオーバー方式の軽トラックが増加する中で荷台長の大きさを誇っている. 1980年には,四輪駆動モデルが軽トラックに初めて設定され,日常的に悪路や急勾配での走行を強いられる農業関係者から評価された.以後は競合他社も追随し,軽トラックにおける四輪駆動方式のシリーズ展開は常識化した.また農協系の専売仕様車として「JAサンバー」(かつての「営農サンバー」から名称を変更)が販売されていた. 2002年9月に発売されたサンバー・ディアス・ワゴンには直列4気筒658ccエンジンが装備されている. なおサンバーは軽自動車による小口輸送を行なう「赤帽便」に標準車として用いられているが,赤帽で使用されているモデルの大半はエンジンを酷使し長距離を走るので,耐久性を重視したカスタム化されたエンジンを搭載しており,20万km程度の走行でも特定のメインテナンスにより走れる様に設計されている. 日本では珍しいスーパー・チャージャー仕様も存在し,これは58馬力を発生する.高速道路の走行も多い赤帽便用などに重用されている.スーパー・チャージャー・モデルは,過剰とも言える動力性能に加え,四輪独立懸架に後部エンジン搭載・後輪駆動(RWD)形式の組み合わせを着目されて「田舎道のポルシェ」などと評されることもあった.しかし,サンバーはエンジン・ルームの有効スペースの問題でインター・クーラーの搭載ができず,競合他車に水をあけられている(2005年現在). 軽商用車は,空間利用効率という面では軽自動車の規格サイズを目一杯活用したトランスポータとして評価されている.4人乗車して,さらに100kg程度の手荷物も運搬できる便利な汎用車が660ccのエンジンで効率的に移動可能なツールとなっている. |
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英国で蒸気機関が実用化されたころ産業革命が始まり,最初に全鋳鉄製の橋が架けられた.この鉄橋(アイアン・ブリッジ)は現在も当時とかわらない状態で存在し,歩行者用鉄橋として使用されている.
最初の鉄橋はロンドンから200kmほど離れたイングランドのコールブルックデールにある.鉄橋が完成したのは1779年(7月2日に鋳鉄ブロックのアーチが完成して締結),そして取り付け道路が出来上がって正式に開通したのは1781年(1月1日)だった.この鉄橋の建設は民活方式で行なわれたため,地元の資金で完成し通行料を取ることによって,建設資金を回収するために有料橋として運営された. まだ鉄が材料としては貴重な素材だった時代に,武器,農具を別にすれば,鉄を使って橋を作るというのは珍しいことだった.ところで吊橋の主要部材に鉄を使ったのは中国が最初で,記録によると6世紀に船の錨のような鎖を可鍛鉄で作りいくつかの吊橋架けたとされている. 英国が最初に架けた鉄橋は,すべてが鉄製で,近代の鉄の橋のスタートになっている. アイアン・ブリッジ(設計者:Thomas Farnolls Pritchard)は渡河幅30.6m,橋の幅が7.5m,使用した鋳鉄の重量が378トンでセバーン川の両岸を結んでいる.鉄橋ができた当時のセバーン川は非常に荒れた川だったらしい.まだ木炭を燃やして製鉄していた時代だから,森林から燃料にする木材を伐採したため,付近一帯を野原にしてしまったためである.そのため毎年のように大洪水が発生していた. そんな川に木製の橋を架けてもすぐに流されてしまう.石橋は重いから洪水で足元を洗掘されて崩壊してしまう,ということから軽くて水通しのよい鉄の橋を架けることになったのである.そしてこの鉄橋構想を現実にしたのは,当時としては全盛だった製鉄産業都市コールブルックデールの持っていた地域の活力だったのだろう. この鉄橋の形状はこれまでの石造アーチ橋を鉄のブロック置き換えたように見える.また一方で細部の構造は木橋の感覚も受け継いでいるようだ.形式としては,たぶんアーチ橋に分類されるのだろう.橋の部材は半径間を1本もので鋳造しているから,鋳物工場で製作した弓状部材の鋳込み長さは最大で20m余りとなっている.なお当時の材料表によると,鋳鉄のほかに錬鉄も使用されたらしい.クサビやホゾなどの連結材に,木炭で精錬された柔らかい練鉄を使用しているのだ. アイアン・ブリッジは完成後すぐに何回も洪水の試練を受けている.しかも橋全体が濁流につかる大洪水だったらしいが,鉄の橋はそのたびに生き残ってきた. 車両の通行が禁止されたのは1934年になってからだが,馬車や荷車,一時は自動車が橋を渡った時期があったのだろう.歩行者有料通行橋の最後となった債券が民間から地域の自治体に売却されたのは,1950年になっていた.それ以降は英国の文化遺産として管理されて現在まで鉄橋が保存されている.現在では文化遺跡保護のために,同時に200人以上が橋に載らないように注意している. コールブルックデールでダービー(Darby)家が石炭による製鉄(コークスを燃料とする製鋼炉)に見通しをつけたのは,18世紀はじめだった.競馬のダービー(Derby)伯爵とは関係はなく,職人系の起業家だったダービー家は,英国で石炭製鉄法を開発して産業革命と関わっている. 鉄の精錬には木炭を使用していた.日本で行なわれていた「たたら製鉄」も木炭を使用していた.ヨーロッパには石炭が豊富にあったが,石炭に含まれる硫黄が鉄に混入すると,鉄の材質が脆くなってしまうために石炭が使えなかった.ダービー家は18世紀の中ごろになると蒸気エンジンが実用化されたころに,高温操業に耐えるコークス炉を築造し,コークスを完全燃焼させるために蒸気機関を利用した送風を組み合わせることによってコークス製鉄を実用化した. こうして英国の産業革命は進み,コールブルックデール製鉄所の鉄の生産量は英国の総生産量の4割を占め,世界最大の規模に達していた.すべてを鉄で構成した橋を架けるにはこのような地元のバックアップがあったのだ.アイアン・ブリッジ建設の出資者で,最強のプロモーターとなったのは,コールブルックデール製鉄所を経営するダービーIII世(Abraham Darby III)だったのだから.... しかしコールブルックデールの繁栄は19世紀はじめまでだった.コークスを使用した製鉄法が英国全土に普及してしまうと,内陸部に位置する製鉄所は競争力を失ってしまったのだ. 英国では,アイアン・ブリッジを含めたコールブルックデール一帯の産業遺跡をユネスコの世界文化遺産に登録している(the Ironbridge Gorge Museum Trust).日本は1992年に世界文化遺産制度を批准して自然保護を中心に観光地を登録しているが,明治・大正期の産業遺産も対象に含めてもいいのでは....... |
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東洋工業(現在はマツダ)は小型商用車としてボンゴシリーズ(トラック:500kg積載,バン・ルートバン:400kg積載,コーチ:8人乗り)を1966年(昭和41年)5月に,排気量1Lクラスでは初のキャブオーバー・タイプとすることによって低床式の多用途商用車として発売した.これはメインとなるの乗用車との共用ユニットを利用して,販売店の展示車種を増やしかつ工場の生産効率をあげる手段であった.
ボンゴのエンジンは乗用車ファミリアのSA型(水冷直列4気筒782ccのアルミ合金製)を実用的な低速型に調整したもので(37馬力),後輪のオーバー・ハング部に搭載して後輪駆動方式(RWD)とした商用車である.これによって,荷台となるフロアの低床化を実現している.車体側面には2段折り畳み式のボックス・サイドドアを装備していた.当時の標準価格は38.5万円に設定され,デラックス仕様車は4万円高としてラジオやヒーターなどを装備して,2トーンカラーのボディ塗装であった. 荷台全面を平面にしたフラットデッキ車を1967年に追加し,そしてエンジンをPB型の987cc(48馬力)に換装した「ボンゴ1000」が1968年(昭和43年)に登場した. こうして初代ボンゴはコストパフォーマンスに優れたワンボックス車として10年以上も販売が続くロングセラー車として独立した.しかし,荷台最後部の積載性が問題となり,2代目ボンゴでは一般的なフロント・エンジン形式のキャブオーバー車への変更が行なわれた. その後は2代目(1978年:1.3L)〜3代目(1983年:2L),4代目(1989年),5代目(1995年),6代目(1999年:1.8Lガソリン,2Lディーゼル)とモデル更新を経てトラック/バンの代表的な存在となり,日産自動車や三菱自動車などにも供給された. |
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毎日どこかでみかける宅急便の配送用トラックは,いかにも実用車という雰囲気だが,機能的にはドライバーが後部ドアまで自由に通り抜けが可能で,側面のドアからも荷物室に出入りできて天井が高いライトバンだが,これはあくまでも配送用専用車だからしかたがないのだろう.
Hバン(アッシュ・バン:Le Citroen Type H)は,フランスの自動車メーカーだったシトロエン社(現在はPSAプジョー・グループ)が第二次世界大戦後間もなく1947年に発売した前輪駆動の低床型ライトバン(直列4気筒1911cc/50馬力)だが,商用車としても幅広く使用された.いかにもフランス車という外観と個性的なレイアウトを採用した商用車だが,全長が4mちょっとなのに対して全幅は2m近くもあるボディの外板には,強度を高くするために波形リブの入った薄い平面パネルで構成し,はしご形フレームの上に架装している.駆動方式は伝統のFWD(前輪駆動)を採用して,有効スペースを確保して後部荷室床面を低くしている.サスペンションはトーション・バーによる全輪独立とし,バン,ピックアップ・トラックなどのバリエーションが揃っていた. 1961年よりパーキンス製4気筒ディーゼル・エンジン(排気量1621cc42馬力)を装備したHY-DIタイプが追加され,電装系が6Vから12V単一に変更された.1963年末になると排気量を1628ccに減らしたガソリン・エンジン(出力45馬力:シリンダの穴径を72mmに小さくした)タイプをHY-72,HZ-72として登場させた.さらに1964年には,ディーゼル・エンジン(1816cc50馬力)をIndenor製に載せ換えたモデルをHY-IN,HZ-INとして発表した.このとき窓ガラスが1枚のものに変更された.1966年にはHY-78,HZ-78モデルが発表され,エンジン排気量を1911cc(58馬力)と大きくして搭載荷重を1000kgに増やした.ディーゼル・エンジンも排気量を1946cc(57馬力)にした. 1969年に新型として車体重量が3100kgのHX-IN2が発表されたが,3200kgになってしまったためにHW-IN2に改称された.同時にマイナー・チェンジが行なわれ,後輪のリア・アーチを四角とし,前部のショック・アブソーバを4本から2本に統合した.なおオランダで製造していた車体は,左前ドアのヒンジが前部支持となった.1972年になると,HWモデルには後部にニューマチック・サスペンションも選択できるようになったが,安全規格に対応した車体に改良された. 1981年12月の生産終了までにシトロエンHバンはフランスの工場で47万8743台が生産された.さらにオランダの工場でも1万16台が製造された. 日本では現在でも時おり,シトロエンHバンをクレープ屋さんが移動店舗としていたりするが,かつてはパンやさんが営業用で街頭に店を広げているのを見かけたり,Drスランプのアラレちゃんの隅に出ていたのを覚えている.なつかしい波形外板のライトバンで,前部ラジエータ・グリルのエンブレムには,「ダブル・シェブロン」という2つの楔形を重ねたものがついている.これはシェブロン・ギヤというアンドレ・シトロエンが特許を取得した歯車の歯形をモチーフにしたものである. |




