日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン

まだ手探りで自分の飛行機を工夫して試作していた時代

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 フランスのアエロスパシアル社(2000年に合併により統合されてEADS社:European Aeronautic Defence and Space Company)とイタリアのアエリタリア社(現在はアレニア社)が共同でリージョナル旅客機を開発することで合意してフランスにATR社を設立した.このコンソーシアムの第一弾となる双発のターボプロップATR-42旅客機(42席)を1981年11月4日に発表して開発が始まった.
 まずATR-42の試作機を2機製作したが,1984年8月16日に初飛行した.イタリアとフランスで型式証明を1985年9月に取得して,ATR-42の第一号機を航空会社に納入して運航が始まったのは1985年12月9日になっていた.
 ところで長胴タイプのATR-72(乗員2+乗客74人)はATR42の胴体を4.5mストレッチして主翼を改造したシリーズで,1985年のパリ・エアショーで発表し,試作機が初飛行したのは1988年10月27日だった.1年後の1989年10月27日にフィンランドのコミュータ航空会社KarAirが最初にATR-72を就航させた.
 ATR-72-200(PW-124B:2160馬力/1610kW)が標準型,ATR-72-210(PW-127:2480馬力/1850kW)はエンジン強化型,ATR-72-500(72-210A/PW-127F:2750馬力/2051kW )搭載重量を増やし飛行性能を改善した型,ATR-72貨物機(コンテナ13個:有償重量7200kg)はファンボロー航空ショーで発表されたが荷物室のドアを大きくしたものである.
 1993年に米国イリノイ州でATR-72が氷結事故で墜落事故を起こしたが,その後氷結防止装置を主翼に追加することで問題を解決した.
 1996年までは42人乗りの標準タイプのATR-42-300(PW-120:1800馬力/1340kW)が中心で,試作機よりも離陸重量と有償搭載量と航続距離を改善していた.同じ時期にATR-42-320はより強力なPW-121エンジン(1900馬力/1417kW)を装備して,高温時や標高の高い場所での運航を容易にしていた.ATR-42の貨物機型は,42-300(コンテナ9個+有償荷重4000kg)になるが,貨物から乗客輸送への装備変更が短時間に行なるシステムとなっていた.
 さらに性能向上型ATR-42-500は1995年10月より納入が始まったが,より高出力なPW-127Eエンジン(2160馬力/1610kW)を装備することによって,6翅の複合材プロペラによる駆動で巡航速度を565km/hに引き上げ,航続距離を1850kmとし,EFISコックピットを採用した.またストレッチタイプのATR-72の昇降舵と方向舵に換えて,新しいブレーキと降着装置に主翼と胴体を強化した.
 リージョナル旅客機のコンソーシアム「エアロ・インターナショナル」(AI)社を1996年1月にATR,アブロ,ジェットストリームの3社で設立して,ATR社,アブロ社のRJ,ジェットストリーム41の販売と支援を共同で行なったが,1998年中ごろに解散して,ATR社は単独で営業活動を続けている.
 2004年12月時点ではATR-42を392機,ATR-72が347機を販売し,2005年度には51機を受注している.
日本の航空会社はATRを導入していないが,韓国の韓星航空が清洲〜済州島路線にATR-72を就航させている.

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