日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン

まだ手探りで自分の飛行機を工夫して試作していた時代

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ベルギーとアフリカのコンゴ定期航空路線

 ベルギーのサベナ航空は,2001年に9/11テロ活動による民間航空不況とスイス航空の倒産の余波を受けて倒産した.現在はヨーロッパ域内のブリュッセル国際空港を中心に運航するSNブリュッセル航空が引き継いでいる(ザィールのキンシャサまで週5便を運航している).かつては日本まで乗り入れてANAとコードシェアしていた航空会社だが,もう羽田に飛来することはない.アフリカ(ベルギー領コンゴ:1960年6月に独立)との航空路線開発に独自の地位を確立していた航空会社だったので,それを振り返ってみよう.
 サベナ航空は1923年5月23日にベルギーを代表する航空会社として設立された.それ以前には1919年に設立されたSNETA(The National Society for the study of Air Transport)がベルギー国営の航空会社として存在した.
 サベナ航空が営業活動を開始したのは,1924年4月1日からオランダのロッテルダムからフランスのストラスブールまでベルギーのブリュッセル経由の航空路線だった.定期航空路線はすでに1923年からアムステルダムとバーゼルからストラスブール間で運航していたが,1924年には,さらにロンドン,ブレーメン,コペンハーゲンまで伸ばしていた.
 ベルギーは1920年代にはベルギー領コンゴの航空会社LARA(Ligne Aerienne Roi Albert)と共同でヨーロッパと植民地を結ぶ路線を最初に開設した.LARA航空は,コンゴでコンゴ川といくつかの都市(ザィールの首都キンシャサ,リサラ,スタンレービル)を水上機で連絡する現地の路線を運航した.使用した水上機は乗客を2人乗せてベルギー領コンゴを飛んだLevy飛行艇である.しかし旅客と貨物の航空輸送を実験的に始めたLARA航空は1年足らずで航空輸送を終了してしまった.新しいベルギーの航空会社がこのギャップを埋めてくれると期待してベルギー領コンゴのベルギー人も一部を出資してサベナ航空が設立された.同じころベルギーと植民地を結ぶ航空路線を開設するために調査が進められていた.
 こうしてサベナ航空は1925年からベルギー人のためにアフリカの植民地とベルギー領コンゴを結ぶ航空路線の開拓を始めた.サベナ航空はコンゴ路線には陸上機を使用する計画で飛行場を整備した.1926年に飛行場が完成すると直ちにザイールのボマ〜レオポルドビル〜エリザベスビルを中心に1422マイルのジャングルの上を飛ぶ路線を開設した.最初の飛行はデハビランドDH50複葉機で行なわれたが,より大きい飛行機ハンドレ・ページW8f旅客機(エンジンが3基で10人乗りの複葉機)に置き換えられた.
 そして1925年2月にハンドレ・ページ社製の3発エンジンの複葉機(3基合計で850馬力:2基がシドレイ,1基がロールス・ロイス)でブリュッセル〜コンゴまで初めて飛行した(Edmond Thieffry航法士,Jef de Bruycker機関士,Leopold Roger操縦士).この飛行は51日間で実飛行時間75時間25分だった(2005年であればエアバスA330でキンシャサまで8時間程度).同じ8124kmの経路を1930年にブレゲー19が8日間9時間25分で飛行した.定期航空路線は1935年2月23日からフォッカーF7b旅客機(乗客6人:5.5日間)を使って始まった.少しあとでサボイア・マルケッティS73(乗客8人:4日間)に変えたが,エア・アフリカ航空と共同で運航して2週間に1往復だった.
 ヨーロッパにおいてもサベナ航空は1931年よりコペンハーゲンとマルモにまで路線を伸ばし,さらにベルリン路線は1932年に開設した.こうして第2次大戦前にサベナ航空はユンカース製Ju-52/3m旅客機を投入してヨーロッパ大陸だけで6000kmに達する航空路線を運航していた.1938年になるとサベナ航空はイタリア製のSM73から発展したSM83を旅客機として使用し400km/hで巡航飛行していた.
1939年にヨーロッパで戦争が始まったときにサベナ航空は,サボイア・マルケッティSM73旅客機を11機,ユンカースJu-53/3m旅客機を5機,ダグラスDC2を2機で運航していた.第2次大戦中はヨーロッパ地域の民間航空路線は休止したが,ベルギー〜コンゴ路線の運航は継続していたのだ.

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 カナダのボンバルディア社の70人乗り双発ターボプロップ旅客機は,DHC-8シリーズのQ400(略してQ400)として最新で最大の旅客機となっている.もちろんエンジンも新しくして巡航速度を670km/hとした.航空用計器類とシステムも最新型に置き換えられている.さらに主翼も改良し,胴体も伸張した新型機である.
 ボンバルディア社が1992年にボーイング社からデハビランド社を買い取ろうとした時には,DHC-8シリーズの拡張作業を進めていたが,1995年6月までこの計画は公式には動いていないことになっている.Q400が工場から1997年11月21日にロール・アウトして,1998年1月31日に初飛行した.これでQ400の型式証明取得と1999年の第一四半期の納入が計画に載った.
 こうしてQ400は550km程度の短距離路線を運航するリージョナル航空会社を対象にした販売が始まった.最近のリージョナル路線向けのジェット旅客機と競合しても,ボンバルディア社はリージョナル・ジェット旅客機が新しい市場を作り出すとしても,さらに短距離路線における経済性を考えるとターボプロップ旅客機に置き換わることはないと考えている.Q400は360km程度の路線でも29人の乗客があれば営業的に問題がないレベルまで運航コストを切りつめているのだ.
 Q400はこれまでのDHC-8シリーズのQ300に比べると胴体を6.83mストレッチして,水平尾翼を新しく設計し,ノーズと垂直尾翼はそのまま流用している.胴体の断面形状と構造はこれまでのDHC-8シリーズと変わらないが,胴体の前後2か所の乗降用ドアが左側にあったが,緊急脱出用ドアを反対側の右側に2か所追加している.
 Q400の主翼内部と主翼と胴体の接合部は新しく設計し,主翼外周を強化した.エンジンはプラット&ホイットニー社製PW150A(4573馬力/3410kW)だが電子制御化されている.操縦室は5個の液晶カラー表示装置により初期のDHC-8と同じ型式で共通した動作表示を実現している.DHC-8シリーズは2005年2月現在で700機を受注しているが,Q400は100機を受注している.
 日本には日本エアコミューター(JAC)とエアーニッポン・ネットワーク(AKX)がYS-11の後継機として2002年より導入し運航している.また全日空系となった中日本エア・ラインサービス(NAL)は「エアー・セントラル」に社名を変更し,F50の後継機としてQ400の導入を計画している.

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 ロッキードL-188エレクトラは,米国製としては初の4発ターボプロップ旅客機(乗客数99〜127人)だったが,1957年に初飛行した.ジェット旅客機(ボーイング707は1957年12月に初飛行)よりも低い運用コストを長所として航空会社への納入が開始された.
 ところが,1959年9月29日にブラニフ航空のエレクトラがテキサス州バッファロー上空で空中分解事故を起こした.さらに1960年3月17日にインディアナ州テル市上空でノースウエスト・オリエント航空のエレクトラが空中分解した.NASA(航空宇宙局)とロッキード社で原因を追究した結果,飛行中にエンジン取付け部がプロペラによる前後振動によって空力的なフラッタ現象が発生していたことがわかった.このフラッタはめったにないのだが,主翼の自励周波数が胴体の付け根付近から共振周波数まで低下して発生した.ロッキード社がエンジン取付け部を再設計することによって問題は解決した.
 ヨーロッパでは英国のビッカース・バイカウントが先行したため,購入したのはKLM航空だけだったが,米国ではほとんどの航空会社がエレクトラを国内線に導入した.エレクトラは1970年代中ごろまで民間航空で運航していたが,米国海軍がP-3オライオン対潜哨戒機として購入していた.その他は貨物輸送機として旅客輸送から引退していた.エレクトラは144機が製造され,2004年9月時点では57機が事故で喪失していた.
?H3>米国海軍の対潜哨戒機として蘇ったエレクトラ
 P-3オライオン対潜哨戒機は1961年4月にL-188エレクトラ旅客機を基本に改修した試作機P3V-1が初飛行した.搭載した装置と機体は海軍の基本構想によって設計変更が行なわれたが,1975年にアップデートI,1977年にアップデートIIとして実施された.アップデートIIでは,赤外線検出システム,ソノブイ探知参照システム,ハプーン対艦ミサイル,28チャンネル磁気テープレコーダ/編集装置が新設された.さらに1981年3月にはアップデートIIIが適用された.ロッキード社のP-3C生産ラインは1990年4月に生産終了して閉鎖された.ロッキード社のP-3C生産総数は647機に達する.
 日本では海上自衛隊が国産化したP-2Jの後継機としてP-3CアップデートII.5を1982年より導入をはじめて107機を購入した.最初の4機はロッキード社製部品を使用して組立てたが,1981年以降はライセンス生産を川崎重工が1997年まで担当した.P3Cの海上自衛隊導入については,国産開発(PX-L)からロッキード社に変更されたが,全日空のL-1011と複合した政治家の関与が噂された.

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海上自衛隊は潜水艦の捜索・探知・攻撃を主力とする航空部隊も所属した

 TBM-3アベンジャーは第2次大戦中から朝鮮戦争までに米海軍と海兵隊が航空母艦に搭載する単発雷撃機/汎用機だった.アベンジャーの原型となる試作機は1941年8月に初飛行し,1942年1月30日から実戦部隊に配備が始まり,6月のミッドウェー海戦がはじめて実戦への投入となった.TBF-1〜3の生産は,開発したグラマン社が担当したが,米海軍の要求する大量生産が出来ないことがわかったために,1943年からゼネラル・モーターズ社(東部航空機事業部)に生産を移行させた.これによってグラマン社はTBF-3を2293機製造し,GM社はTBMとして7546機を製作した.
さらに対潜哨戒と攻撃を強化するためTBM-3W捜索機とTBM-3S攻撃機の2機を組み合わせて任務を分担し,2機が1組となって行動する対潜捜索作戦が行なわれた.
 日本には海上自衛隊か創設された1954(昭和29)年7月に,米海軍から対潜哨戒/攻撃機の供与が始まり,TBM-3Wと3S,通称アベンジャーは1954年12月に5組10機,1955年には2組4機,1956年には3組6機が追加供与されて合計20機になった.これらの機体は鹿屋航空隊で潜水艦捜索部隊として編成され,海上自衛隊固定翼機部隊の最初の主力になった.
 TBM-3Wハンター(潜水艦捜索)とTBM-Sキラー(潜水艦攻撃)の組み合わせで行動する単発の対潜哨戒機は,当時の対潜電波装備機としては効果的な捜索能力を持ち,-3Wは胴体下に360度全周方向の捜索が可能なAPS-20レーダを装備し,後席に2人のレーダ操作員が並んで搭乗し,垂直尾翼の両側に補助の垂直安定板を追加したのが外形上の特徴となっている.3Sは左翼下にサーチライト・ポッド,右翼端の攻撃用小型レーダAPS-4レーダ・ユニットに,APR-9/APR70ESM逆探知装置,ソノブイ受信機など,当時米海軍の潜水艦追跡装備を備えていたが,機体とエンジン(Wright R-2600-20/1900馬力)がすでに考朽化しており,長時間の洋上飛行には制限が加えられ,1959〜1960年には退役した.

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洋上監視・救難用双発飛行艇コンベア社PBYカタリナ

 米海軍のPBYカタリナ双発飛行艇シリースは,第2次大戦中に活躍した監視兼救難飛行艇である.PBYの試作1号機は1935年にXP3Y-1(825馬力のツイン・ワスプ・エンジンを2基装備)として完成した.この試作機は10月14,15日に,ノーフォークからパナマ運河のココ・ソロまでの5633km(3433マイル)を34時間45分の無着陸で一気に飛行し,帰りはクリストバル埠頭(Cristobal Harbor)〜カリフォルニア州アラメダ間を無着陸で飛行した.水上機のCクラスによる世界記録を書き換えた.
 米海軍の発注により生産を始め,1937年には最初の制式型P3Y-1が12機の編隊でサン・ディエゴから真珠湾までの長距離哨戒飛行を行ない,それまでの旧式な複葉飛行艇にかわって,米国海軍の新しい主カ飛行艇となった.
 PBYカタリナは補助フロートを両翼端に引き上げる飛行艇だが,1939年に引込車輪を装備した水陸両用機として試験運用に成功し,この型が第2次大戦中の米海軍,英空軍,カナダ海軍の双発飛行艇の主力として使用された.米陸軍でもOA-10の名称で少数機を採用し,沿岸監視と救難用に使用した.
 日本には海上自衛隊の創設直後の1954年7月に,長距離監視用としてPBY-6A水陸両用飛行艇2機が,米海軍より供与されている.横須賀で機体を整備した後で,九州の大村基地に配備された.しかしこのうちの1機は,1960年に大阪国際空港に着陸する際に,ブレーキの故障で滑走路から跳び出し大破事故を起こしてしまった.
 コンソリデーテッド社のPBYカタリナ(モデル28)飛行艇は,合計で3000機以上が生産された.コンソリデーテッド航空機社とコンベア(1943年3月にコンソリデーテッド社とVultee-Stinson社が合併した)社が2398機を製造し,海軍工廠(NAF)とカナダの2工場で892機が製作され,ソ連で27機が製作された記録がある.なお最終のPBY-6Aモデル(プラット&ホイットニー製R-1830-92空冷式複列星型14気筒1200馬力)は,1944年4月から1945年4月までにコンソリデーテッド社が生産したもので,海軍工廠の改造と社内の設計変更したタイプである.

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