日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン

まだ手探りで自分の飛行機を工夫して試作していた時代

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ロッキードC-130の民間輸送機は,L-100

 ロッキード社のL-100輸送機は,多用途の軍用輸送機C-130ハーキュリーズを基本に開発途上国向けの民間輸送機に変更した機体である.ロッキード社は1951年に米国空軍が要求したターボプロップ輸送機の仕様に応じて設計を開始した.その結果としてC-130ハーキュリーズの原型となる試作機は1954年8月23日に初飛行した.高翼に配置した主翼に4基のアリソン社製501/T56ターボプロップを取付け,胴体後部に貨物用傾斜乗降口を設置した構造となっている.こうして米国空軍はC-130シリーズの製造を1952年9月にC-130Aを発注してはじまり,現在までに2500機以上のC-130が製造された.
 C-130の貨物輸送担当者達は,ロッキード社に民間向けにも開発することを提案した.最初の民間輸送機向けはC-130Eをベースに開発され,軍用ではないデモ機が1964年4月に初飛行した.民間輸送機としてL-100(搭載有償重量:19トン)は,1965年2月に民間機型式証明を取得した.さらに貨物取り扱いシステムが改善された.
 初期の民間向けL-100輸送機は,予想外に販売が不振だった.そのためロッキード社は運航コストの削減と貨物容量を増加させるために胴体を2.54mストレッチしてL-100-20を開発した.L-100-20は1968年10月に型式証明を取得した.さらに2.03m胴体を伸ばしたL-100-30が追加され,1970年8月に初飛行し,12月より納入が始まった.C-130輸送機の民間向け輸送機は大部分がL-100-30として販売の中心機種となった.アルジェリア,ガボン,クェートでは,民間向けL-100輸送機を運航するのは軍人のパイロット達だった.民間航空向けL-100輸送機の最終生産は1992年となったが,L-100シリーズは114機が製作された.このあと軍用輸送機C-130にアリソン501/T56タービン・エンジンを装備した最終機が製作され納入されたのは1996年だった.

全体を再設計したC-130Jはグラス・コックピットの2人乗務

 さらに新世代C-130JハーキュリーズIIに移行するに伴い民間向けもL-100Jが計画された.より進化したターボプロップ方式で6枚のプロペラを駆動するタービン・エンジンは新しいロールス・ロイスAE-2100D3(4591馬力/3425kW)に換装された.EFIS操縦システムの導入により乗員2人による運用が可能となった.新しいC-130Jは1996年4月5日に初飛行し,米国FAAの民間機としての型式証明は1998年9月に取得した.ところが民間輸送機L-100JはC-130J-30の胴体をストレッチした機体を標準とする計画だったが,ロッキード・マーチン社では軍用機の開発を先行させたために,民間機プログラムは2000年に凍結されてしまった.
 C-130輸送機は,航空自衛隊が16機を導入しているが,通常であれば92人の乗客を輸送可能で,着陸滑走距離は最短で1200m,離陸滑走距離は最短で600mのSTOL(短距離離着陸)性能を持っている.現在の日本で1500m級の滑走路をもつ離島の飛行場で運用可能な一番大きなプロペラ輸送機として,導入を検討してみる価値はないのだろうか?

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V10 3LのF1エンジンは2005年で終了

 3Lの非ニトロ系燃料,自然吸気エンジンのBARホンダF1の記録挑戦車は,車輪が外部に露出したLakesterクラスに分類されFクラスの非茶色燃料使用者に該当する.
挑戦する記録は,Chuck Billingtonが2004年11月に記録した229.969mphで,これを突破して400km/h代にしたいところだろう.F1は2006年よりエンジンの規定が変わりV8エンジンで排気量も小さくなるから,折角1000馬力程度にまで開発したV10の3Lエンジンを記録に挑戦して米国人にも存在を認知させようということだろう.かつて1.5LのF1最後のメキシコGPで優勝したHONDA F1を思い出す.
 F1のレギュレーションに従ったBARホンダF1チームの記録挑戦車は,ミシュランから提供されたタイヤを使用するが,タイヤ設定圧は通常の1気圧を倍にして使用する.もちろん通常のスリック・タイヤより岩塩舗装の路面をグリップするインターミデエイト・タイヤで走行する予定だ.
サスペンションの設定は,GPでは通常3.5度の前部ネガティブ・キャンバを0.5度に減らすことによって,露出したタイヤによって発生するF1車の抵抗を70〜75%減少させている.
 イタリアGP仕様のリア・ウイングを装備しているが,リア・ウィングは最終的にはつけずに走行することになるのだろう.しかしリア・ウイングのないF1レーシングカーは,最高速で走行する場合には非常に不安定になってしまう.まだダウン・フォースが必要で,ラジエータ・ダクトを整形して傾斜をつけ,エンジンの空気取り込み口は小さくし,前部ウィングの翼端板は整形して小さくし,バージ・ボードを除去した.空力中心は通常のF1よりも後部に移動させたようだ.
 エンジンはトップ・ギヤで40秒間(モンザ・サーキットの2倍以上の長さ)の全開走行になるが,最高回転数を1万8200回転に制限することによって,ブラックネルのダイナモメータで模擬走行で往復走行可能としている.
 トップ・ギヤは200回転異なる2種類を用意しているが,風向きによって使い分けることになる.FIAの規定では,往路の走行後に1時間以内に復路を走行しなければならないから.
 車体重量は,岩塩舗装をグリップするために通常のレースより60kgの錘をボルトで固定している.通常の記録挑戦車はもっと重いが,ノーズ・コーンに重量補正することで重力による直線走行安定性が得られる.もちろん減速用のパラシュートはボンネビルの規格に適合したものを装備している.

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 第二次大戦中に日本にもA26という長距離実験機(陸軍機扱い)があったが,同じころに米国陸軍でも双発の軽攻撃機にA26というコードをつけた機体があった.

米国陸軍航空隊のDouglas A26

 米国の陸軍航空隊の319爆撃航空団司令のJoseph R "Randy" Holzapple大佐は,第二次大戦の勝利を記念して世界一周飛行を計画した.つまり米国の爆撃機は地球のどこにでも到達できることを世界に証明することにしたのだ.
 双発のダグラスA26インベーダ攻撃機に乗員4人(操縦士はJoseph R. Holzapple大佐, 副操縦士にCharles R. Meyers中佐,航法士兼操縦士はOtto H.Schumacher中佐, 無線通信士にHoward J.Walden)が搭乗して,米国ジョージア州サバナ(1945年11月25日)から東周りで地球を一周してサバナ(11月29日)まで2万4859マイル(4万7km)を96時間50分で飛行した.
 この飛行経路は,サバナ〜ハワイ・ホノルル〜ジョンストン島〜マーシャル環礁〜エニアトク環礁〜サイパン島〜沖縄〜フィリッピン・マニラ〜インド・カルカッタ〜インド・アグラ〜パキスタン・カラチ〜イラン・アバダン〜イラク・バクダッド〜エジプト・カイロ〜チュニジア・チュニス〜モロッコ・カサブランカ〜アゾレス諸島サンタ・マリア〜バーミューダ〜ワシントンDCというコースだった.

民間輸送機A26 Reynolds Bombshell

 ミルトン・レイノルズ(Milton Reynolds:米国の筆記用具メーカー経営者:写真中央)は,この世界一周を見てダグラスA26インベーダ攻撃機を手に入れて世界一周飛行に挑戦して,ハワード・ヒューズの1939年の世界一周記録を更新しようと考えた.まず社用機として自分のA-26を手に入れにReynolds Bombshell(レイノルズ爆弾殻)と名付けて,飛行に関係のない武装を外して燃料タンクを増設した.
 William Odom(写真左)とT.Carroll Sallee(写真右)を飛行士として依頼して,レイノルズも航法士として同乗して世界一周飛行に挑戦することによって自分の企業の広報に利用しようと考えたのだ.こうして3人が搭乗したA26は,米国ニューヨークのラガーディア空港を1948年4月12日に出発した.まず大西洋を横断するためにニューファンドランドのガンダーに着陸して燃料を補給した.小さな機械的なトラブルはあったが,なんとかクリアした.ただ正確な気象情報が得られなかったために,飛行高度を1万9000フィート(5790m)〜2万3000フィート(7010m)としたために乗員が酸素不足に陥り,飛行記録にいくつかの欠落を生じてしまった.
 1947年4月16日にラガーディア空港に無事着陸したが,2万20マイル(3万2219km)を3日6時間55分56秒で飛行した.しかしこの世界一周飛行は,離陸前にFIAのチェックを受けなかったために非公認記録となってしまった.

正式な世界一周飛行記録A26 Reynolds Bombshell

 2回目の世界一周飛行は,ダグラスA26(Reynolds Bombshell:レイノルズ・ボムシェル)をレイノルズ氏から借りて,冒険飛行士ウイリアム.P.オダムが単独で操縦して行なう計画にして,1957年8月7日に飛び立った.前半はオート・パイロット(リトル・ウィリーという愛称をつけた)でビルマ(現在はミャンマー)まで飛行したが,東京までは自分で操縦した.アンカレッジを通過するまで眠ったために,燃料を予想外に消費してしまった.そのためノース・ダコタ州ファーゴで燃料を補給してシカゴのダグラス空港に8月10日に戻って着陸した.
 この飛行距離は1万9645マイル(3万1616km)で,所要時間は3日と1時間5分11秒(73時間5分11秒).
米国空軍は,1948年にマーチンB26マローダ爆撃機が退役した後に,ダグラスA26インベーダ攻撃機の一部を再設計して,爆撃としてB26に改称した.このあとダグラスB26爆撃機は,朝鮮戦争,ベトナム戦争にも参加して1969年まで使用された.民間に放出された多数のA26は,米国やカナダで森林火災時に水爆撃機として利用された.

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 BARホンダF1チームは,日本グランプリ終了後に中国グランプリの前(10月4日〜11日)になるが,2005年仕様のF1(007)レーシング・カーを1台,米国ユタ州のソルトレーク市郊外(北西17マイル)のボンネビル・ソルト・フラット・レース競技場(氷河期のボンネビル湖の残骸が岩塩湖となっている:)に持ち込み,F1レーシング・カーによる速度記録に挑戦する発表した.ドライバーは南アフリカ出身の若手Alan van der Merwe(現在はテスト・ドライバー25歳:ヨハネスブルグ生まれ2003年の英国F3チャンピオン)が担当するらしい. 
 BARホンダF1チームは,速度記録400km/h(249mph)以上を目標にした走行テストを行なうらしい.
現在のF1における速度記録は2005年にイタリアGP前のテスト走行でマクラーレンのファン・パブロ・モントーヤが記録した372.2km/hが最高速となっている.
 アマチュアの速度記録イベントに自動車メーカーが侵入するような気がするが,F1の米国向けの話題作りなのだろうか?しかし,内燃機関で駆動する車輌の絶対速度記録に挑戦するというのは考えられないのだろうか?

自動車部門の絶対速度記録への挑戦は

 現在の地球上の絶対速度記録は,1997年10月15日に英国空軍の戦闘機パイロット,アンディ・グリーン(Andy Green)がスラストSSC(リチャード・ノボル所有:Rolls-Royce Avon 302 Jet engine)に乗ってネバダ州ブラック・ロック砂漠で記録したマッハ1.02(およそ763.035mph=1228km/h)である.しかし,この記録はジェット・エンジンによる推力を利用したものだ.米国人はわかりやすいことを好むから,ジェット戦闘機の主翼を外して地上滑走専用にした車輌だろうが,地上のコースを最速で往復した速度記録が圧倒的速ければいいのだ.
 つまり内燃機関で車輪を駆動する分野では,サマーズ兄弟(Bob/Bill Summers)が1965年11月12日に4基のChrysler HemiV8エンジンを装備して2400馬力としたゴールデン・ロッド(Goldenrod)による409.277マイル/h(658.526km/h)という速度記録が自動車(エンジンで車輪を駆動する)の最高速となっている.
 この記録の前が1960年9月9日にミッキー・トンプソン(Mickey Thompson)がチャレンジャー1(400馬力のポンティアックV8プッシュロッド・エンジンを4基装備)で往路406.6mph(654.4km/h)を記録したが復路ではドライブ・シャフトが折れてしまったために,400マイル/時(mph)の壁を破って米国に速度記録を英国から取り戻したとして米国の記録として大きく取り上げられていたもの.
 その前は,なんと英国のJohn Rhodes Cobb(1899.1202〜1952.0929)が,1947年9月16日に記録した394.19マイル/h(634.196km/h)である.速度記録に使用したレイルトン・モービル・スペシャル(Railton-Mobil Special:排気量4万7872cc)には,涙的型ボディに出力が1250馬力(3600rpm)に達する2基のNapier-Lion航空エンジン(W12気筒24L)にスーパーチャージャを装備したもので重量は3トン(3203kg)を越えている.設計したのは,Reid A Railtonだが,当時の速度記録車をマルコム・キャンベル,パリー・トーマスにも提供した技術者である.S字形バックボーン・シャーシにライオン・エンジンを曲線部に配置して,前後の車輪を2つのエンジンで駆動する4輪駆動方式をとっている.ボディ・カバーはアルミで製作して軽量化した.ジョン・コッブは1938年より絶対速度記録を更新していて,第二次大戦後の1947年に挑戦した際には,400マイル/時の壁を往路で突破して403.1mph(648.8km/h)を記録したが,往路と復路の平均速度がFIAの公式記録になるから,非公式な記録となっている.
 またアマチュアとして,ドン・ベスコ(Don Vesco)が2001年10月18日にガス・タービン(AVCO Lycoming T55ヘリコプタ用:3750馬力)で車輪を駆動するTurbinator(流線形)が458.44mph(737.395km/h)を記録している.レシプロ・エンジンはもう時代遅れということなのだろうか?
 ということになれば,戦艦大和の登場である.モータ・スポーツに遅れた自動車生産国にとっては最後のチャンスだから,自動車メーカーがスポンサーになっても内燃機関で車輪を駆動する自動車による速度記録を更新するレーシング・カーを開発すれば,歴史に名前を残すことができそうだ.しかもドイツのVW社当たりはW12気筒エンジンを量産しているから,これをベースに600馬力程度に出力を増加させて,軽自動車並みのボディ(500kg)で一人乗りの記録挑戦車を開発するような工業高校の同好会なんてのは,ないのだろうか?皇室向けのリムジンを開発するより,はるかにわくわくする計画ではないか.

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 フランスのアエロスパシアル社(2000年に合併により統合されてEADS社:European Aeronautic Defence and Space Company)とイタリアのアエリタリア社(現在はアレニア社)が共同でリージョナル旅客機を開発することで合意してフランスにATR社を設立した.このコンソーシアムの第一弾となる双発のターボプロップATR-42旅客機(42席)を1981年11月4日に発表して開発が始まった.
 まずATR-42の試作機を2機製作したが,1984年8月16日に初飛行した.イタリアとフランスで型式証明を1985年9月に取得して,ATR-42の第一号機を航空会社に納入して運航が始まったのは1985年12月9日になっていた.
 ところで長胴タイプのATR-72(乗員2+乗客74人)はATR42の胴体を4.5mストレッチして主翼を改造したシリーズで,1985年のパリ・エアショーで発表し,試作機が初飛行したのは1988年10月27日だった.1年後の1989年10月27日にフィンランドのコミュータ航空会社KarAirが最初にATR-72を就航させた.
 ATR-72-200(PW-124B:2160馬力/1610kW)が標準型,ATR-72-210(PW-127:2480馬力/1850kW)はエンジン強化型,ATR-72-500(72-210A/PW-127F:2750馬力/2051kW )搭載重量を増やし飛行性能を改善した型,ATR-72貨物機(コンテナ13個:有償重量7200kg)はファンボロー航空ショーで発表されたが荷物室のドアを大きくしたものである.
 1993年に米国イリノイ州でATR-72が氷結事故で墜落事故を起こしたが,その後氷結防止装置を主翼に追加することで問題を解決した.
 1996年までは42人乗りの標準タイプのATR-42-300(PW-120:1800馬力/1340kW)が中心で,試作機よりも離陸重量と有償搭載量と航続距離を改善していた.同じ時期にATR-42-320はより強力なPW-121エンジン(1900馬力/1417kW)を装備して,高温時や標高の高い場所での運航を容易にしていた.ATR-42の貨物機型は,42-300(コンテナ9個+有償荷重4000kg)になるが,貨物から乗客輸送への装備変更が短時間に行なるシステムとなっていた.
 さらに性能向上型ATR-42-500は1995年10月より納入が始まったが,より高出力なPW-127Eエンジン(2160馬力/1610kW)を装備することによって,6翅の複合材プロペラによる駆動で巡航速度を565km/hに引き上げ,航続距離を1850kmとし,EFISコックピットを採用した.またストレッチタイプのATR-72の昇降舵と方向舵に換えて,新しいブレーキと降着装置に主翼と胴体を強化した.
 リージョナル旅客機のコンソーシアム「エアロ・インターナショナル」(AI)社を1996年1月にATR,アブロ,ジェットストリームの3社で設立して,ATR社,アブロ社のRJ,ジェットストリーム41の販売と支援を共同で行なったが,1998年中ごろに解散して,ATR社は単独で営業活動を続けている.
 2004年12月時点ではATR-42を392機,ATR-72が347機を販売し,2005年度には51機を受注している.
日本の航空会社はATRを導入していないが,韓国の韓星航空が清洲〜済州島路線にATR-72を就航させている.

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