民間航空史
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初期の飛行機作りから始めた民間の飛行機サポーターを中心に
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鳥飼繁三郎 さんは,東京市有楽町でTM商会という自動車の販売修理業を営んでいた.彼は飛行機商売の可能性にも目を向けて,1913(大正2)年に大阪の森田新造さんからグレゴアジップ45馬力エンジンを買い取り,日本飛行研究会を設立した.これに奈良原三次,大口豊吉,伊藤音次郎,玉井藤一郎ら奈良原飛行団のメンバーが協力して,奈良原式鳳号の経験をもとに 鳥飼式隼号 を製作した.
この飛行機は,1913年9月に札幌市の外月寒(つきさっぷ)練兵場の飛行会で鳥飼さんの操縦で離陸したが,その直後に墜落大破してしまった.その後この ''' 鳥飼式隼号 ''' は,1914年に稲毛の共同飛行練習所で伊藤音次郎さんが修理して改造した.おもに,伊藤音次郎,玉井清太郎,山県豊太郎さんらの飛行練習に使用したために,1915(大正4)年の夏には機体の寿命に達するまで乗り潰してしまった.あとで伊藤音次郎さんがこのエンジンを流用して,伊藤式恵美号に搭載することになる. |
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稲垣保次は陸軍の京都師団工兵大隊に入隊していたが,飛行機に興味を持ち試作した飛行機は飛ぶことができなかった.
すでに飛行家としてひろく認められていた伊藤音次郎のアドバイスを得て改造を加え,ホールスコット80馬力エンジン(水冷式V型8気筒)を借りて装備した. これで1917(大正6)年12月14日に大阪の城東練兵場において,この改修機を伊藤飛行士が操縦して,高度30m程度で15分間の試験飛行を行なった.この飛行機には,伊藤式恵美1〜2型の胴体と尾翼に尾崎式トラクタ(プロペラにより牽引する)の主翼を組合わせた構造となっていた.その後エンジンは伊藤飛行士に返却された. これでまた稲垣式トラクタ(全幅上翼10.36m,下翼7.92m,全長7.32m)は,飛べない展示飛行機となってしまった. |
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磯部鉄吉さんは,1908(明治41)年に海軍機関少佐だったが,飛行機に関心を持ち自作のために研究を始めて,1910年に磯部式飛行機の特許を取得した.
さらに深く飛行機に取り組むようになり,1911年には駆逐艦「雷」の機関長から予備艇「姉川」の機関長という閑職に転じて,呉鎮守府で水上滑空機を試作した. しかしこの試作機は竹製骨組の水上グライダというべきもので,水雷艇で曳航したが離水できなかった. その後は,磯部鉄吉は巡洋艦「音羽」の分隊長として横須賀に転じたが,アンリ・ファルマン複葉機に似た水上機(全幅8m×全長8.3m,自重410kg:木製主材骨組,羽布張り構造)を試作し,これにアンザニ25馬力エンジン(空冷式扇型3気筒)を装備し,ゴム引ズック製の空気袋式の浮舟を装着したものとなった. 1912年6月に横須賀白浜海岸で,この試作水上機で水上滑走中に転覆してしまった.この実験を最後に磯部少佐は海軍を退役した. 1913(大正2)年4月に帝国飛行協会が設立されたが,磯部鉄吉は協会の創立に関わり,1914(大正3)年には帝国飛行協会の技師兼飛行士となって,民間で飛行機の外国からの導入に関わっている.
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