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1950年代中ごろの乗用車は,トヨペット・スーパー,ダットサン・コンパー,オオタ900,プリンス1500,オースチン1200,ヒルマン1400,ルノー750などがあった.しかしこれらの乗用車の価格は,小型の1000ccクラスでも当時の販売価格は100万円程度(1ドル=360円時代)で,まだ平均サラーリーマンの月収が1万円に届かない所得レベルだったから,自家用車として個人で所有するには手の届かない存在だった.
軽自動車は1947年12月に制定された道路交通取締令の小形自動車第4種に規定され,1948年に2輪自動車以外の自動車という別枠が設定され,全長3m,全幅1.3m,全高2m以下でエンジンは4サイクル350cc,2サイクル200cc以下という規格で,軽3輪,軽4輪車の可能性が見えてきた.しかしこの規格に対応した4輪の軽乗用車を開発したメーカーはなかなか成功しなかった. まず先駆者として登場したのは自動車技術者の富谷龍一と志村実が住江製作所で開発したフライング・フェザーだった.試作1号車を1950年に製作し試作5号車まで改良を続け,1955年にようやく量産に移行した.4サイクルOHVエンジン(V形2気筒の350cc/12.5馬力)を後部に搭載した2座席で,19インチのワイヤーホイールに4輪独立懸架を採用したが,3速変速機と425kgの重量で60km/hを実証したが前輪ブレーキがないなどの欠点もあった.年産600台を目標として1955年に開催された第2回自動車ショーに販売価格を38万円として展示したが,48台を製造して終了してしまった. 1952年には名古屋の中野自動車工業が,新三菱重工業の汎用4サイクル単気筒350ccエンジン(6馬力)を利用して手作業で製作した「オートサンダル」を発表した.オープン・ボディの後部にエンジンを搭載して2人乗りのフリクション駆動だった.試作を繰り返して1954年には水冷2サイクル2気筒240cc(10馬力)エンジンに改良されたが,まだ試作段階で日常の使用に耐えるほどの実用性はなかったようで,200台程度が製造されたが,量産には到らず消えてしまった. 3番手となったNJも2座席スポーツ・カー・スタイルで,後部に4サイクルOHV(V形2気筒358cc)エンジンを搭載した軽自動車として登場した.赤坂でフィアットの販売をしていた日本自動車が販売したが,前部の形状はフィアット500系に似ていた.しかし1956年には製造を担当していた日本軽自動車(埼玉県川口市)が販売を担当し,さらにエンジンを前に移して通常のFRになり,ロードスター,トラック,ライトバンがシリーズ化された.1956年には車名も「ニッケイ・タロー」に改名したが1958年に製造が中止された. エンジンを製造していた日建機械(東京都大田区)がニッケイ・タローを改良した「コンスタック」を1958年1月より発売したが,1961年9月まで145台を販売した. ようやく自動織機メーカーから2輪車に進出した鈴木自動車工業(現在のスズキ)が, 1955年に前輪駆動方式の軽自動車(360cc)「スズライト」を発売した. 2輪車メーカーの鈴木自動車工業が初めて製作した4輪車スズライトは,本格的な軽自動車のパイオニア的な存在となった. 小型乗用車なみのスペースを持ち, 2サイクル・エンジンを前に搭載し前輪を駆動するFWD(前輪駆動)を採用していた.初めて軽自動車を開発する際に参考としたドイツの小型車ロイトLP400(空冷2サイクル並列2気筒385cc)を模倣して軽自動車の車体サイズにまとめたものだった. 乗用車,ライトバン,ピックアップ・トラックの3タイプを揃えてシリーズ化していたが,乗用車,ピックアップの販売は順調には行かず, 1957年には後部を折り畳み式1座とした3人乗りのライトバンに限定した. ライトバン仕様の「スズライト」も営業的には成功したとはいえないが,初代型は1959年9月まで生産を続けて,約1200台を販売した.これでようやく軽自動車を継続して生産する自動車メーカーとなった.ただスズキの軽自動車が軌道に乗るのはオースチン・ミニに似た形状をした改良型の「スズライト・フロンテ」に移行した1962年以降になってからである. |
独自の魅力をもった自動車
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登場したときは,めだたなかったがいつのまにか,独立したジャンルになっているような.....
いつのまにか消えてしまったというのも....
いつのまにか消えてしまったというのも....
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運輸省(現在は国土交通省)から個人が所有できる乗用車の開発を促進するための目安として国民車構想(定員が4人または2人で100kg以上の荷物を積み,最高速度100km/h以上で,販売価格が25万円以下)が1955(昭和30)年に発表された.これに応じて自動車メーカーより独自に開発した乗用車が発表された.新三菱重工業(現在は三菱自動車工業として分離独立)が1960年に発売した小形乗用車が三菱500(当時の販売価格は39万円)だった.
モノコック構造ボディに曲面ガラスを採用した本格的な自家用車(総排気量493ccの空冷4サイクル直列2気筒21馬力エンジンを後部に搭載した後輪駆動RWD/4輪独立懸架サスペンション)として前評判はよかったが,販売台数は予想外に伸びず1万5000台弱を生産して,1963年にモデル・チェンジしてコルト600に引き継いだ.まだ軽自動車が排気量360ccの時代だったから小型車は圧倒的に不利な環境だった.1962年に行なわれた第9回マカオ・グランプリ・レースのAクラス(750cc以下)で1〜3位に入賞した.いわば三菱コルト初代の先行モデルである. |
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サンバー (Sambar:英語で「大鹿」を意味している)は, 富士重工業が生産している軽商用車シリーズのバン・ワゴン車の愛称である.
日本の軽自動車は,自動車を社会基盤に根付かせるための重要な入門車として1960年代より普及が始まった.日本の道路事情に見合った自動車の開発を目的として,富士重工業が開発した軽乗用車「スバル360」は,「軽自動車の枠で,普通乗用車と同じ能力を」という前提で製品化されて1958年に発売してユーザーに受け入れられた.当時のスバルやホンダの軽自動車がエンジンのみを拡大して450cc〜600ccとし,北米地域に輸出して好評だったことから,欧米人の体格にも日本の軽自動車サイズで問題はなかったのである. これまで過去3度にわたる大幅な軽自動車の規格拡大が実施されたが,1976年1月より排気ガスを抑制するために4サイクルエンジンへの移行(360cc,長さ3m×幅1.3m×高さ2m→550cc,長さ3.2m×幅1.4m×高さ2m),1990年1月から高速道路網への対応やカー・エアコンの普及による余剰出力の確保(550cc→660cc,長さ3.3m×幅1.4m×高さ2.0m),1998年10月から衝突安全性への対応(660cc旧→660cc新,長さ3.4m×幅1.48m×高さ2m)が主たる理由であった. 初代のスバル・サンバー(空冷2サイクル2気筒/排気量356cc/18馬力)は1961年2月に発売されたが,軽トラックにキャブオーバー構成とした商用車だから,シャーシは一般的な梯子形フレームを用いて,駆動系やサスペンション構成は既存のスバル360の基本ユニットを流用して,エンジンを後部に装備したRWD(後輪駆動)方式,四輪独立懸架だった.サンバーのライトバンは1962年3月に追加された. 初期のモデルには日本車には珍しく,バックギヤの位置が1速の横(左斜め上)にあったため,バックギヤに切換える操作は独特のものとなっていた.なお,現在のモデルでは他の日本車同様、バックギヤの位置は4速の右となっている. 1966年に登場した2代目サンバー(ホイル・ベースが167cmから175cmに伸びた)は,米国にも輸出されたが,「サンバー」の車名を使われずに,「SUBARU360 VAN,TRUCK」の名で販売された.そのため米国ではSUBARU360と言うとサンバーを指すことになる. サンバーはエンジン位置が運転席から離れているため,静粛性は他社の軽トラックより優れているが,エンジン配置はスペースの制約を受けて,ややタイトである. 1973年2月に3代目サンバー(ホイルベースは173cm)が登場したが,ピックアップ・トラックは廃止された.1976年5月に4代目サンバー(エンジンが490cc)がサンバー5として登場した(輸出仕様はスバル500). サンバーは軽自動車の規格拡大に対応してモデル・チェンジを繰り返しながら,現行モデルに至るまで後部床下にエンジンを搭載し,四輪独立懸架を続けている.軽トラックでは,空荷時と荷物搭載時の姿勢差が大きいが,荷台の床下にあるエンジンがバラスト役を果たすことで,空車時でも十分なトラクションを確保して,安定した走行,登坂能力を実現した.また一貫してキャブオーバー方式を通し,セミ・キャブオーバー方式の軽トラックが増加する中で荷台長の大きさを誇っている. 1980年には,四輪駆動モデルが軽トラックに初めて設定され,日常的に悪路や急勾配での走行を強いられる農業関係者から評価された.以後は競合他社も追随し,軽トラックにおける四輪駆動方式のシリーズ展開は常識化した.また農協系の専売仕様車として「JAサンバー」(かつての「営農サンバー」から名称を変更)が販売されていた. 2002年9月に発売されたサンバー・ディアス・ワゴンには直列4気筒658ccエンジンが装備されている. なおサンバーは軽自動車による小口輸送を行なう「赤帽便」に標準車として用いられているが,赤帽で使用されているモデルの大半はエンジンを酷使し長距離を走るので,耐久性を重視したカスタム化されたエンジンを搭載しており,20万km程度の走行でも特定のメインテナンスにより走れる様に設計されている. 日本では珍しいスーパー・チャージャー仕様も存在し,これは58馬力を発生する.高速道路の走行も多い赤帽便用などに重用されている.スーパー・チャージャー・モデルは,過剰とも言える動力性能に加え,四輪独立懸架に後部エンジン搭載・後輪駆動(RWD)形式の組み合わせを着目されて「田舎道のポルシェ」などと評されることもあった.しかし,サンバーはエンジン・ルームの有効スペースの問題でインター・クーラーの搭載ができず,競合他車に水をあけられている(2005年現在). 軽商用車は,空間利用効率という面では軽自動車の規格サイズを目一杯活用したトランスポータとして評価されている.4人乗車して,さらに100kg程度の手荷物も運搬できる便利な汎用車が660ccのエンジンで効率的に移動可能なツールとなっている. |
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東洋工業(現在はマツダ)は小型商用車としてボンゴシリーズ(トラック:500kg積載,バン・ルートバン:400kg積載,コーチ:8人乗り)を1966年(昭和41年)5月に,排気量1Lクラスでは初のキャブオーバー・タイプとすることによって低床式の多用途商用車として発売した.これはメインとなるの乗用車との共用ユニットを利用して,販売店の展示車種を増やしかつ工場の生産効率をあげる手段であった.
ボンゴのエンジンは乗用車ファミリアのSA型(水冷直列4気筒782ccのアルミ合金製)を実用的な低速型に調整したもので(37馬力),後輪のオーバー・ハング部に搭載して後輪駆動方式(RWD)とした商用車である.これによって,荷台となるフロアの低床化を実現している.車体側面には2段折り畳み式のボックス・サイドドアを装備していた.当時の標準価格は38.5万円に設定され,デラックス仕様車は4万円高としてラジオやヒーターなどを装備して,2トーンカラーのボディ塗装であった. 荷台全面を平面にしたフラットデッキ車を1967年に追加し,そしてエンジンをPB型の987cc(48馬力)に換装した「ボンゴ1000」が1968年(昭和43年)に登場した. こうして初代ボンゴはコストパフォーマンスに優れたワンボックス車として10年以上も販売が続くロングセラー車として独立した.しかし,荷台最後部の積載性が問題となり,2代目ボンゴでは一般的なフロント・エンジン形式のキャブオーバー車への変更が行なわれた. その後は2代目(1978年:1.3L)〜3代目(1983年:2L),4代目(1989年),5代目(1995年),6代目(1999年:1.8Lガソリン,2Lディーゼル)とモデル更新を経てトラック/バンの代表的な存在となり,日産自動車や三菱自動車などにも供給された. |
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毎日どこかでみかける宅急便の配送用トラックは,いかにも実用車という雰囲気だが,機能的にはドライバーが後部ドアまで自由に通り抜けが可能で,側面のドアからも荷物室に出入りできて天井が高いライトバンだが,これはあくまでも配送用専用車だからしかたがないのだろう.
Hバン(アッシュ・バン:Le Citroen Type H)は,フランスの自動車メーカーだったシトロエン社(現在はPSAプジョー・グループ)が第二次世界大戦後間もなく1947年に発売した前輪駆動の低床型ライトバン(直列4気筒1911cc/50馬力)だが,商用車としても幅広く使用された.いかにもフランス車という外観と個性的なレイアウトを採用した商用車だが,全長が4mちょっとなのに対して全幅は2m近くもあるボディの外板には,強度を高くするために波形リブの入った薄い平面パネルで構成し,はしご形フレームの上に架装している.駆動方式は伝統のFWD(前輪駆動)を採用して,有効スペースを確保して後部荷室床面を低くしている.サスペンションはトーション・バーによる全輪独立とし,バン,ピックアップ・トラックなどのバリエーションが揃っていた. 1961年よりパーキンス製4気筒ディーゼル・エンジン(排気量1621cc42馬力)を装備したHY-DIタイプが追加され,電装系が6Vから12V単一に変更された.1963年末になると排気量を1628ccに減らしたガソリン・エンジン(出力45馬力:シリンダの穴径を72mmに小さくした)タイプをHY-72,HZ-72として登場させた.さらに1964年には,ディーゼル・エンジン(1816cc50馬力)をIndenor製に載せ換えたモデルをHY-IN,HZ-INとして発表した.このとき窓ガラスが1枚のものに変更された.1966年にはHY-78,HZ-78モデルが発表され,エンジン排気量を1911cc(58馬力)と大きくして搭載荷重を1000kgに増やした.ディーゼル・エンジンも排気量を1946cc(57馬力)にした. 1969年に新型として車体重量が3100kgのHX-IN2が発表されたが,3200kgになってしまったためにHW-IN2に改称された.同時にマイナー・チェンジが行なわれ,後輪のリア・アーチを四角とし,前部のショック・アブソーバを4本から2本に統合した.なおオランダで製造していた車体は,左前ドアのヒンジが前部支持となった.1972年になると,HWモデルには後部にニューマチック・サスペンションも選択できるようになったが,安全規格に対応した車体に改良された. 1981年12月の生産終了までにシトロエンHバンはフランスの工場で47万8743台が生産された.さらにオランダの工場でも1万16台が製造された. 日本では現在でも時おり,シトロエンHバンをクレープ屋さんが移動店舗としていたりするが,かつてはパンやさんが営業用で街頭に店を広げているのを見かけたり,Drスランプのアラレちゃんの隅に出ていたのを覚えている.なつかしい波形外板のライトバンで,前部ラジエータ・グリルのエンブレムには,「ダブル・シェブロン」という2つの楔形を重ねたものがついている.これはシェブロン・ギヤというアンドレ・シトロエンが特許を取得した歯車の歯形をモチーフにしたものである. |
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