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山本五十六の大罪#22
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<中川は相当過激なことを書いている。例えば瀬川龍三を「ソ連の工作員」と断定している。瀬川は戦後総合商社のトップまでなったような人で、彼をソ連の工作員と断言する確実な根拠を知りたいところであるが、考えて見れば、たとえ彼がそうであったとしても、彼の口からそのようなことは言うわけがない。だから状況的判断をするしかない。ただ、瀬川龍三は戦後の多くの日本兵のシベリヤ抑留とも深い関係のあった人であるのは間違いない。これから一応中川の過激な論の展開に従おう。木庵>
「前方進攻」は、海軍が仕組んだ、陸軍将兵の大量戦死が狙いか
ソ連国境(チチハル)の守備隊を、陸軍が、玉砕するのを知りつつ海軍の言いなりに派兵したのは、ソ連軍が満州侵攻を無償でできるよう、ソ連と通謀していたからである。「海上機動第一旅団」という奇怪な名称を考えたのも、どの部隊にするかを考えたのも、すべて陸軍参謀本部作戦課の瀬川龍三・陸軍少佐だった。ブラウン環礁の玉砕を大本営陸軍部が発表しなかったのは、満州の部隊を引き抜いたことを国民に知られたくないようにする、「ソ連工作員」瀬川龍三の画策だった。
1943年夏を境に、陸軍参謀本部では、それ以前の「北進派=対ソ戦派・反ソ派」は激減していて、ソ連通謀派が主流になりつつあった。海軍の無能と狂気が、陸軍の赤い革新将校たちに、「絶対国防圏」の定めとは逆方向の中部太平洋に陸軍兵力を振り向け、満州における対ソ戦力を弱体化する、密かな「ソ連軍の満州無血侵攻準備」に悪用されていた。
なお、ギルバート諸島(タラワ島、マキン島)は、1943年11月に玉砕していた。「絶対国防圏」の外で、米軍の上陸を阻止する戦闘が曲りなりにもできるのはラバウルだけだから、それより東の島嶼は。1943年9月30日をもって、放棄すべきだた。少なくとも、ギルバート諸島玉砕を機に、マーシャル諸島とブラウン環礁からの即時撤退は、当然ではないか。
《ブラウン環礁、マーシャル諸島、ギルバート諸島を占領し続ければ、対米戦争をわが方に利をもたららす》と考えた永野修身は、処罰されねばならない。永野修身とは、ミッドウェー海戦大敗北以降も、山本五十六を軍法会議に起訴しての処分すらせず、連合艦隊指令長官の椅子に置いた罪科を含め、死刑が相当の、“世紀の愚昧”提督であった。
なお、海軍の言いなりになり、1942年、もし「南方進攻」の馬鹿さの極み「フィージー島・サモア島・ニューカレドニア島の占領(F/S作戦)」をしていたら、もっと多くの陸軍部隊は殺されれていた。補給も救援もする気のない、頽廃し腐敗の極にあたって帝国海軍の提督とエリート将校は、口先だけの“気狂いに刃物”的な、ならず者の集団にすぎなかった。
反米狂(艦隊派)だった山本五十六(事実を転倒する「山本神話」の秘めた目的)
山本五十六が、反米一辺倒の反米主義者であることは、無目的のパール・ハーバー奇襲を考案した事実、それを実行した事実、において余にも明らかすぎる。山本五十六が「親米」とか「知米」とかは、悪意ある歪曲で虚構である。
山本の反米エピソードは、春山和典(彼は斉藤博・中米大使の娘と結婚している」が書いた、岳父の思い出「ワシントンの桜の下」のなかに収録されている。山本がロンドン第二次会議の予備交渉に出発する直前、斉藤博大使に、次のように語った(1934年9月)。

「『俺も軍人だから。<どうしてもアメリカとやれ>といわれれば、アメリカともやってごらんにいれたいね。・・・俺の夢なんだがね。空母十隻、航空機800機を準備する。それだけで<真珠湾>と<マニラ>を空襲し太平洋艦隊とアジア艦隊をつぶすことは確実にできるんだよ』『少なくとも1年間は、太平洋にアメリカの船と飛行機は存在しないってわけさ。それだけの<戦争>はやって見せる』」
山本とは、 崟鐐茲凌箘棔廚皚◆崟鐐茲僚結方法」も「戦争後構想」も、何一つ考えていなかった。山本が戦争を博打と錯覚していたのは、喩えではなく、事実であった。
山本は、米国への憎悪において、米国を一度ポカリと殴ってみたかったのである。この個人的感情を、国家の亡びなど意に介せず、国家に代行させたのである。
南雲忠一・海軍中将ひきいる空母6隻の機動部隊の出撃は、ハル・ノートが手渡されるワシントン時間の11月26日以降で充分だったし、数日をあわてる必要などなかったが、ワシントン時間の11月25日、野村、来栖両全権がハル・ノートを受領する「25時間前」に、択捉島の単冠(ひとかつぶ)湾から慌しく出撃させた。月明かりから、この日しかなかったというのは詭弁で、軍事合理性もない。山本の対米戦争にかける執念は、何か物の怪にとり憑かれたかのように、常軌を逸していた。
山本にかかわる、創られた虚偽話の数々は、「山本神話」と呼ばれる。それは「山本は親米だった」「山本は知米だった」だけではない、悪質な「山本は対英米協調派」「英米との海軍軍縮を支持していた」「山本は条約派」「山本は\最後まで米国との妥協を求め和平に欲していた」とかの“神話=嘘”も、その一つである。だが、「山本神話」の中でも本当に危険な神話は、語られない方にある。山本が、「帝国海軍きっての「親ソ・反米の巨頭」加藤寛治を継ぐ「艦隊派」に属していた事実の隠蔽は、まさしくこの「危険な神話」の筆頭だろう。二枚舌、三枚舌の曲者だった山本は、日本にいるときは「条約派」の演技に精を出す ”隠れ艦隊派の悪“だったが、こんな明らかな事実が戦後マジックショーのごとく消された。山本自身も、自分の実像を消す、煙幕の達人で忍者のようだった。

<山本神話が戦後、戦後の我々に\ステレオタイプとして定着した背景として、山本が悲劇の最期を遂げたことが挙げられる。それ以上に、戦後のGHQの思惑と関係している。本来日米戦争の引き金になったパール・ハーバー攻撃を行った山本を代表とする日本海軍はアメリカにとって憎しむべきものであるにかかわらず、東京栽培では一人の海軍将校の死刑宣告もなされなかった。それは、アメリカにとって日本海軍はそれほど大したものではなかったということになる。また東京裁判はアメリカだけが誘導したのではなく、ソ連の意向も反映されている。ソ連にとって、日本が北進ではなく南進し、特に日本海軍がアメリカと戦ってくれたことは、とても都合がよかった。だからソ連にとって、日本海軍を憎むことなどまったくなかった。また次のことが一番大事だと思うのは、戦中、戦前、おとなしかった海軍関係者が戦後喋り出した。戦前、戦中は海軍は陸軍ほどの権力を持っていなかった。陸軍ほど威勢がよいわけではなかった。ところが敗戦により、敗戦の責任を陸軍に押し付け、海軍は当初からこの戦争をする気もなかったし、阻止しようとした。ところが、陸軍の暴走を止めることができず、嫌々参加したという口実を戦後多くの海軍関係者は語りだした。それに対して陸軍関係者の多くは黙した。このような背景からどう考えても山本のパール・ハーバー奇襲攻撃が戦争突入の大きなインパクトであり、これがアメリカ国民が一丸となり戦争を遂行する心理的要因を与えたという、作戦上最悪であったにもかかわらず、いまだに山本のパールハーバー攻撃を英雄的に日本人は感じている。また海軍関係者は、戦後のGHQの言論統制の枠の中でも、GHQの方針と矛盾する発言はしていない。「山本は親米であった」とは、まさしくGHQにとって都合のよい神話であった。木庵>
写真の説明:屋根の上の猫の家と猫。
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↑の方へ、猫に関しては日本で見る猫とそう変わりはありません。耳が見えていますが、昼ねをしているところです。木庵

2010/1/13(水) 午前 0:21 [ 木庵 ] 返信する

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五十六に関しては同じ意見ですが
良く知ってますね
わしの知らないことが多いです

2010/1/13(水) 午後 11:52 [ 道後 ] 返信する

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[ 水大師 ] さん、私がよく知っているのではなく、本に書いてあるのです。でも、だんだん物知りになっていくようですね(笑)。木庵

2010/1/14(木) 午前 0:49 [ 木庵 ] 返信する

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春山和典「ワシントンの桜の下」という小説に山本の会話として上げられている言葉が、今は事実として通説化?してるようだ。
しかし、ハワイに太平洋艦隊主力が進出するのは昭和15年5月です。昭和9年当時にはハワイを攻撃しても太平洋艦隊がなくなるなどということはありえないのです。だから山本がその言葉を口にすることはありえないのです。また当時は真珠湾は軍港化工事の真っ最中ですし。 削除

2015/6/14(日) 午後 1:12 [ あい ] 返信する

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不思議に思うのは、ハワイ攻撃が米国に火をつけた、という概念が通説化していることである。では、GF長官として他の方法があったのか、というと、無いのではなかろうか?何故ならば、それまで大正時代から海軍と陸軍の間では、米領の比島やグアム島その他を奇襲攻撃で攻略するというのが基本戦略であったし、毎年、陸海軍で作っている年度計画、例えば、昭和16年度陸軍作戦計画にも、開戦初頭の航空奇襲で比島、グアム他を攻撃し攻略するということが定められていたのである。海軍も同じ。このことを専門家でも知らない連中がいるのには驚く。航空機が発達してきた昭和10年代以降には航空戦が主体の攻撃になるのは当然のこと。戦略を考えるのは山本の役割りではありません。戦略は大本営です。山本は実戦部門の長であり、戦術に責任を持つだけ。それ以外のことは、政治の役割り、大本営や政府の役割り。これを知らない人が多い。比島やグアムを奇襲攻撃しただけでも、参戦の時期を探っていたアメリカはリメンバー○○のスローガンを作り上げたでしょう。 削除

2015/6/14(日) 午後 1:59 [ あい ] 返信する

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