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映画442【MIS、映画『442』製作の裏話 】#7
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MIS(military intelligence Service)
すずき監督は日系人に関する映画の三部作をつくろうと計画している。『442』が二部作目で、三作目に『MIS』を考えている。MISとはmilitary intelligence Serviceのことで、太平洋戦争当時、(以前からかな)、アメリカのために情報活動をおこなった日系人部隊のことである。例えば太平洋の島々で戦っている日本兵を投降させるためのビラをつくったり、捕虜になった日本兵を訊問して、日本軍の配置とか武器がどのようなものをもっているかなどの情報を集めた。日本軍は捕虜になることを恥として捕虜になる前に自害する傾向があったが、怪我をしたり意識不明になって捕虜になった日本兵は意外に多く喋っている。恐らくMISのメンバーが日系人で、日本語が堪能で、しかも日本での生活をしたことのある帰米二世が主だったこともあり、日本兵の心情がよく分かり、いつしか日本兵は軍事秘密も喋ってしまうとことになったのではないか。このような戦時中のMISのことはよく語られるが、戦後日本占領時代に彼たちが憲法制作に協力したこと、それに戦後の日本の復興に尽力したことはあまり知られていない。というのは、彼たちの仕事が仕事ナだけに、除隊後も口封じを強要されていたためである。今やこの縛りも解かれているであろうが、まだ口は重いと考えられる。そのような情況の中で、すずき監督は元MISのメンバーを取材していくのだが、果たしてどれほどのことを喋ってくれるであろうか。なかには不法行為も行なった人もいるであろうから、そのような人から当時の様子を知ることは一種の発掘作業に等しい。それだけに442の映画制作と同様、歴史の真実を知る重要な仕事になるだろう。
木庵は一度MISのメンバーであった人の話を聞いたたことがある。具体的にどのようなことをしたかの話があまりなかった。そういえば2年前、友人と一緒にサンホセの近くに住む日系人を取材したことがある。彼がMISのメンバーであったかどうかは知らないが、彼が日本駐留時代、特にB級戦犯に対する裁判に関与したようである。当時MISのメンバーはいくらでも仕事があった。西尾幹二氏の著書『GHQ焚書図書開封』でも述べたが、焚書にあたって多くの日本人が協力した。当然MISのメンバーがこれらの日本人を監視する役割を演じたことが考えられる。焚書するためには本を読む能力がなければならない。日本人は当時生活がかかっているとはいえ、日本にとって大事な書物を焚書にする罪悪感はあっただろう。ごまかす人もあるかもしれない。それをチックするのが、MISのメンバーであったと考えられる。このような日本にとってネガティブなことだけをMISはしたのではなく、多くのMISのメンバーが帰米二世であるということもあり、彼たちは日本文化が好きであったし、また日本人に親近感を抱いていたであろう。日本が廃墟となり、復興を目指そうとしていく時、MISのメンバーは日本人を助けたいという気持ちがあっただろう。アメリカの占領政策が成功したのは、MISのメンバーがアメリカ人と日本人の間に入り、うまく対応したことがあげられる。イラク戦争の後、もしMISのメンバーのようなイラク人がいたとすれば、もっとスムーズなアメリカ統治が行なわれたであろう。なおMISの人数は442に参加した人の半数ぐらいだといわれている。いかにアメリカが日系人を情報作戦に利用したことかがわかる。それに、開戦前にアメリカに帰った帰米2世は442部隊やMISのメンバーとしてアメリカ政府に忠誠を誓い戦った。ところが何かの理由で日本に滞在し続けた帰米2世は、学徒出陣などで日本軍のために戦った。戦場で遭遇ということはごくごく希にあっただろうが、敵国としてお互いに戦う運命に晒されたのである。MISのメンバーであった人から木庵が直接聞いた話でも、実際に「兄弟が別れ別れになり戦った」ということを言っていた。

映画『442』製作の裏話
すずき監督は、映画作りのプロである。日活に入社し、清水昆監督などの指導を受けて映画作りのノウハウを勉強した。映画づくりで一番大事なことは売れるかどうかである。売れなければ何の意味もない。映画監督はいかに売れる映画をつくるかに心を集中する。ビジネスの才能がなければできないのである。ただ映画を作っているわけではない。映画会社との駆け引きが必要でもある。すずき監督が言っていたが、黒澤明は映画制作が決まり、ある程度撮影が進んでから、「釣り作戦」を行ったことがあるという。釣りに行って映画をほったらかしにしたのである。会社側はもういくらかの金をつぎ込んでいるのに、現場放棄した黒澤が心配でならない。結局黒澤の言いなりに制作費を引き上げざるをえなくなる。このような駆け引きが監督には必要なのである。すずき監督が今回の『442』制作に当たって、どのような駆け引きをしたかよくわからないが、前回作品の『東洋宮武が覗いた時代』を発表してから、ポール寺崎という心臓学者から、色々なことを批判された。寺崎博士のことを木庵ははっきり知らないのだが、心臓移植などの研究の権威で、ロスには彼の研究センターがあり、ビジネス的にも成功した人である。色々と文句を言った挙句に、『442』の映画制作費の4分の1を出すと約束した。この援助支援はすずき監督にとって嬉しいことであった。それにロスの日本語テレビ局UTVが協賛してくれたことも大きかった。そういえば映画の最初に企業の広告が流れていたが、きっと資金援助の関係があるのあろう。『東洋宮武』の場合、娯楽性としてそれほど大ではない。しかし日系人の強制収容所を描くためには、宮武東洋という写真家の収容所の中での逸話、それに彼が撮った写真をふんだんに使えば立派なノンフィクション映画になる。儲けはないが、すずき監督の良心(?)がでてしまったのだろう。『442』は材題は重く、記録映画として残す必要がある。442に参加した人々の老齢化が進み。今のうちにインタビューしておかなければ永遠に記録として残らないというあせりもあったのだろう。しかし、口の重い彼たちから証言を引き出す保証がない。「当たって砕けろ」ではないが、まず撮影をスターとさせた。最初は442がヨーロッパ戦線での活躍ということから、ヨーロッパから撮影を始めた。もちろん元442の生き残りの人も同行してもらった。ホテル生活を共にしながら撮影が進んでいくうちに、すずき監督と元442のメンバーと間に信頼関係のようなものが自然に生まれた。そこでインタビューを開始した。これが良かった。共に一緒にいることで心を開いてくれたのである。次はロスのラグナヒル(?)という引退者が多く住んでいる一人の元442兵に焦点をあてて撮影が進んだ。テレビ局のスタッフも協力した。すずき監督の指示に従って動いた。すずき監督は謙虚に述べている。「私はただ指示をあたえて、スタッフが動いてくれただけなのです。特に442の人々に喋ってもらうテクニックはなかったのですが、生活を共にしていくうちに、いつしか喋ってくださるようになったのです」。しかし、プロの映画監督のすずき監督は、黒沢とは違った計算、したたかさがあったのだろう。映画とは総合芸術とよく言われる。作品をつくるうえに、多くの人間を動かすのであるから、人間学のようなものも必要になってくる。『442』はノンフィクション映画であるが、すずき監督の人間性が映画の背景画として表れた作品であると思う。特にすずき監督の講演の映画の裏話を聞いてなおさらそう思うのである。
写真の説明:鳥ではない。エンジンつきハングライダーである。Buffaderaのビーチの空を飛んでいる。ビーチの砂場から離発着していた。ハングライダーが降りれるということはビーチの砂が相当硬いということである。だからオートバイが乗り入れして、グレーシーが死んでしまうことにもなってしまったのである。
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