誰かのために時間を割くということ

2006年の病気入院をきっかけに始めたブログです。今日を大切に、ゆっくりしたペースで綴っていきます。

入院記

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2006年5月27日〜2006年8月25日の入院中の日々を綴っています。同時に、1年後の今日を綴っています。
渦中にいるときには、記録をするという余裕も無く、時間が経つにつれて逆に記憶が甦る不思議を感じています。
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退院の翌日

 (昨年の今日)

 退院した夜は、とりあえず「退院の報告」をしなくてはいけない友人に葉書きとメール。

 電話はとにかく苦手なので、自分からかけることはしない。
 それでもすでに知っている友人からは何本か電話があった。

 「独りで大丈夫?」
 「何か用事があったら言ってね。」
 
 「ありがとう・・・。大丈夫。無理しないから大丈夫・・・。」

 「しばらく実家にでも帰って養生してくればいいのに・・・。」
 (それは・・・ちょっと・・・無理)

 身体が熱い。クーラーをつけるほど暑くはないようなのだが・・・まさか熱はないだろうな。
 どうも尿の量が少ないような気がしてくる。
 退院の朝まで尿を貯めていたのだから・・・気になって当然なのだが・・・。
 鏡で顔をしげしげと見る。手をグッパーしてみる。(浮腫んでないだろうな・・・)
 
 家には体温計もない。
 体重計もない。

 湯船にゆっくり浸かりたい気もするが・・・貧血が怖くてシャワーだけにする。
 こういう時には「独り」はやはり・・・。
 病院では気づかなかったのだけれど・・・髪の毛がすごく抜ける。
 入浴のたびに排水溝を掃除していたわけではないが、髪の毛がこんなに貯まったことはなかった。
 
 夜遅くなってからテレビを点ける。
 そうだ・・・病院でテレビをほとんど見なかったのは、
 普段から深夜の番組しか見ていなかったからか・・・。
 それでも、「日常」が戻った気がして少しホッとした。

 病院で書いていたノート2冊と、K先生から返してもらったメモの束は
 まとめて袋に入れて引き出しにしまった。
 今、読んでみる気持ちにはなれない。

 新しいノートを出してきて、1ページ目に「退院の日」を少し記す。

 少し寝苦しい夜だった。


 翌日、食材を買いに出る時に足を延ばして「電気量販店」に行った。
 まだ止められているのだが、自転車に乗ってみる。
 
 驚いた!!何なんだよお・・・?
 フラフラして・・・手元までグラグラして・・・信じられない・・・!!
 諦めて歩いて行く。

 こんなんで大丈夫なんかなあ・・・。

 体温計だけのつもりが、売り出しだった「体組成計」も買ってしまった。
 重い食材は諦めて、時々クラクラしながらやっとの思いで帰り着く。

 情けないことに・・・横になりた〜〜い。

 そんな自分を叱って、早速体温を測る。
 病院の体温計の方がかなり上等そう。こちらはピピっと鳴るのに少し時間がかかった。
 「36度3分」(よしよし)

 「体組生計」は興味深深で、身長と年齢を登録して・・・乗ってみた。
 足の裏の情報だけでなぜ詳しいことがわかるのか疑問だが、
 「44、2キロ・体脂肪21、5・内臓脂肪レベル2・基礎代謝量1002・骨密度2、0」

 まあ、浮腫んでいないようなので、良いことにした。

 今まで自分の身体に対してあまりにも無関心だったなと思う。
 気遣ったことも、労わったこともなく・・・「丈夫がとりえ」とばかりに酷使してきた。
 (身体が怒ったのだ・・・きっと。)

 友人たちからの、いくつかの有り難い提案や言葉をやんわりと断ってしまった。
 本当に嬉しいのだけれど・・・何となく独りでいたい。
 また「我侭病」が出てしまったとは思っていないのだ。
 独りで・・ゆっくり・・考えてみたいことがある。

 職場からは最初の出勤日について相談のメールがあった。
 

 K先生への最後のメモ

 「手紙という形ではなく、ただ私の感じたことを一方的に書いただけの『覚え書き』の
  メモを、この間長々と読み続けて下さってありがとうございました。

  これは最初で最後の『手紙』ということになります。

  最後にあたって何か気の利いたことを・・・と言われてしまいましたが・・・
  特に気の利いたことは書けません。ただ、自分でも書き続けたことに驚き、そして、
  駄文を読み続けて下さったことに感謝するのみです。
  ありがとうございました。

  昨夜、返して下さったメモの束を見たときには本当に驚きました!!
  こんな量になっていたとは・・・!!
  そして、最初のものから数枚は読み返してみたのですが、恥ずかしくてやめました。
  横になって書き殴っていたこともあって、字も汚く誤字ばかりで・・とても読めたものでは
  ありませんでした。そしてその内容も・・・。

  返していただいて本当に良かったと思います。
  あんなものを残してきたら・・(もちろんそのうち処分されたとは思いますが)
  あとですごく後悔しただろうと思います。

  ただ、あのメモをきっかけに私は「日記」もつけ始めることができ、そのことが自分を支えて
  くれたことを感じていますし、「第三者」の目に触れる形で書いた「メモ」については
  理解に苦しみながらも・・・実はとても意味があったのだと思っています。

  患者というのは、自分でも気づかないほどいろいろな部分で「弱っている」ものだと思います。
  そんな患者の気持ちをサラリと受け止めてくれるスタッフがいなければ・・
  患者は「疎外感」に打ちのめされる。
  丸裸は傷つきやすいのです。

  入院中、私が『こんなに開き直って甘えていられたのは、物心ついてから初めてではないか』 
  とさえ思えたのは、そういうスタッフがいて下さったということなのだと思います。

  私に声を掛け、笑いかけ、ひと言、ふた言しゃべって下さった。
  もうそれだけで十分でした。
  医師や看護師さんが、『喜んでちょっと時間を割いて下さった』。
  もうそれだけで十分でした。
  
  私は今まで、なぜそのことに気づかなかったのかと・・・思います。 
 

  最後は一応まじめにまとめました。
  不真面目なことを書きそうになるのを理性で抑えました。

  最後にもう一度心から感謝して・・・すべて終了とさせていただきます。
  本当にありがとうございました。」

 (このメモはK先生の手元に残りましたが、このメモだけはノートに一応下書きしていました)
 

退院

 (昨年の今日)

 昨夜、消灯したあとも・・・いつまでも天井を眺めていた。
 
 まだ入院して間もない頃、幻覚の中にいた時のあの古い部屋を思い出していた。
 天井に張り付いていた、そのときのことが甦ってきた。
 再び魂を飛ばせそうな・・・そんな錯覚。

 夢を見ていた。
 私は自転車に乗っていた。
 どこに行く途中なのか・・・軽快に漕いでいる。後ろにリュックサックを積んでいる。

 知らない街並みだ。
 特に急ぎもせず・・・悠々と漕いでいる。
 季節は真夏ではない。花粉の季節でもない。とても気持ちいい。

 何故か歌を口ずさんでいる・・・。
 普段の自分はいつも急いでいて、歌など口ずさんだことはないように思うのだが・・・。
 幸せな気分なのに・・・その歌は「サボテンの花」。

 「絶え間なく降りそそぐ、この雪のように・・・君を愛せば良かった・・・」
 何度も何度も繰り返し歌っているのだ。

 目覚めた時・・・どうしても思い出せないシーンがあったような気がして、妙に気になった。

 7時過ぎにやっと点滴が終了。
 抜きに来て下さった看護師さんが、右手首の止血帯も外して下さる。
 「いよいよ今日退院なんですね。良かったですね。」

 朝食まで時間があるので、屋上に上がって最後のスケッチ。
 一番気に入っている場所で、一番好きな構図で・・・。
 目を瞑っていても描けそうなくらい何枚も描いたけれど、全て違う。
 朝の陽射しなのにすでにじりじりと熱い。
 残暑が厳しそうだ。

 朝食後、外来に行かれる前にS先生が来て下さった。
 「takaoさん、気をつけて帰って下さいね。来週の私の外来に予約を入れておきます。
  もし何か気になることがあったら、3階に電話して下さいね。」
 「はい。ありがとうございます。」

 あっさり過ぎる挨拶。でも、1週間したら会えるからいいか・・・。

 しばらくして看護主任さんが来られた。
 「takaoさん・・・良かったねえ・・・。ほんとにしんどい思いをしたもんね・・・。」
 「・・・・。」
 「薬が来ますから・・・それをもらって帰って下さいよ。
  それから・・・帰るときにナースステーションに寄って下さいね。
  診察券とか、外来の予約表とかをお渡ししますから・・・。」
 「はい、ありがとうございます。」

 (こんなにあっさりでいいのかなあ・・・もっと何か言わなくてはいけないんじゃないのかな)

 循環器内科のE先生も覗いて下さった。
 「しばらくはまだ階段を昇ったりするときは動悸がすると思いますよ〜〜。
  あんまり無理しないように・・・。貧血もありますから、S先生からOKが出るまでは
  自転車とかバイクはやめといて下さい。2週間後に僕の外来で。」
 「はい、ありがとうございました。」

 (こんなんでいいのか・・?まだ外来があるからいいか・・・。)

 シーツ交換で外に出ているときに・・・K先生が通りかかられた。
 とても急いでおられた。
 「あ・・・。」

 「今、シーツ交換なんですけど・・・メモは部屋に置いてます。」
 「まだ帰りませんよね。」
 「薬が届いたら帰ります。」
 「あとでもらいに行きます・・・!」

 そのまま走って行かれた。

 部屋に戻って着替えていると・・・K先生が来られた。
 「あっ、ちょっ、ちょっと待って下さい・・・!」
 「見られたら恥ずかしいですかあ??」
 「当然でしょう・・!!」

 待たせると悪いので、カーテンの中から手だけ出してメモを渡した。
 「これは返さなくていいですよね。」
 「はい。」
 「弟さんたちと快気祝いをして下さい。」
 「はい。」
 「健やかにお過ごし下さい。」
 「はい。」
 
 「じゃあ・・・。」
 「ありがとうございました。」

 何だかズボンを履きかけのままで・・・顔も見ないで失礼をしてしまった。
 (こんなもんなんだ・・・)

 ベッドに腰掛けて薬剤師さんを待つ間、Kさんに挨拶する。
 「あの・・・もうすぐ帰ります。いろいろありがとうございました。」
 「ああ・・・ひとりで帰るの?」「はい。」

 ほとんど使っていなかったテレビカードと、Kさんが下さったおすそ分けの花をスケッチしたものと、 ウイリアムモリスの作品の絵葉書をもらっていただいた。

 「外来に来たときには寄ってね。」「はい。」「気をつけて・・・。」

 (まだ一番ましな挨拶ができたかも・・・)

 しばらくして薬剤師さんが薬を届けて下さった。
 もじもじしながら・・・、
 「あのお・・・takaoさん、今日お誕生日なんですね。おめでとうございます。」
 「えっ?  はい。」
 「ここに生年月日が書いてあったので・・・あっと思って・・・。」
 若くて可愛い薬剤師さんの遠慮がちな言葉が嬉しかった。

 もう何年も特別な日ではなくなっていた。
 「ありがとうございます。」

 ナースステーションに寄って書類と診察券と予約表を3枚受け取る。
 ひとりだったのでまだ帰るとは思われなかったのかもしれないが・・・
 「ありがとうございました。」のことばだけで速やかに3階をあとにした。

 タクシーではなくバスで帰ることにした。
 夏の厳しい陽射しの中を背筋をしゃんと伸ばして歩く。
 深呼吸する。

 これこそが娑婆に出る気持ちなのかなと思った。

 
 
 今日ノートに記していたこと(一部)

「何だかあまりにもあっけなく病院をあとにしてしまったようだ。

 でも・・・これで良かったのだと思う。

 病院から持ち帰った荷物を片付けていると・・・、
 もう『日常』に戻っていた。
 90日間なんて・・・どーってことない短さだったのだ。

 ただ気がついたことがある。 
 入院中の『不安』と退院後の『不安』は『質』が全く違うということ。

 退院を目前にして気持ちが揺れ動くのは・・・入院中の『甘え』と早く別れねばならないという
 ・・・ただそれだけのこと・・・
 そう書いたのだが、

 『場所』はその『甘え』を瞬時に消してくれた。
 そのとたんに『質』が変化した。

 さてどうやって暮らしていこう・・・。」
 

 

最後の検査

 (昨年の今日)

 23日、お昼前に点滴の針を入れに来られた。
 
 男性並みに立派な血管だった私の腕は、もうどこにも刺せなくなっているようだ。
 カテーテル検査は右手首からということで、左腕から入れようとされるが・・・
 まだ新人の看護師さんにはかわいそうかな。

 刺しても血管に当たらない。
 少し探って・・抜こうかどうしようか・・・。
 2ヶ所目も・・・探っても当たらない。3ヶ所目も・・・ダメ。
 「ごめんなさい。」私が先に言ってしまった。

 しばらくして主任さんが来られた。
 「takaoさん・・・久しぶりの点滴やねえ・・・。」「はい。」
 「血管全部つぶれてしまってるねえ。」
 仕方なく手の甲の、しかもかなり先の方に入ってしまった。
 (こりゃあ左手が使いにくいな。もれないように気をつけないと)

 昼食後、糖尿内科のI先生が来て下さった。
 血糖値のコントロールについて、またおさらいをして下さる。
 インシュリンの出方は少し良くなっているようだ。
 「このままで大丈夫だと思いますよ・・・。きちんと食べ方を守って下さい。
  内臓脂肪を増やさないようにね・・・。」「はい。」
 「良かったですね。あとは月1回、S先生のところでチェックしてもらって下さい。」
 「ありがとうございました。」

 血管外科のA先生も来て下さった。
 両方の足を丁寧に押さえて診て下さる。
 「ワーファリンの効き具合がもうひとつなんですよ。5錠にします。
  足は順調ですね。もう痺れとかないでしょう・・・?」
 「はい。」 
 「1ヵ月後の予約を取って帰ってもらいますね、はい。」

 いつものようににっこり・・・。
 「ありがとうございました。」
 (これってもう退院の挨拶なのかなあ・・・)

 午後3時頃に点滴が始まった。
 腎臓などへの負担を軽くするために、検査の造影剤を体外に出すための薬を
 普通の人より長く点滴するらしい。

 1000mlを2本。
 1時間に50mlという遅さに設定してある。
 ??何と40時間も・・・!!
 そんなあ・・・。

 その後、循環器内科のE先生のお話。
 検査後、家族に説明をしたいとのこと。
 特に問題がなければ、翌日には退院できるとのこと・・・!!!(ヤッタ・・!!)

 夕食後は左手を気にしつつも荷物を少しずつ片付ける。
 それにしても少ない!!
 本当に最小限の荷物で暮らしてきたということになる。
 
 「何ごそごそしてるんですか?」K先生の声だ。
 「もちろん帰る用意ですよ・・。」
 「・・・・・。 ああ、今日のメモでもう最後ですか?」
 「ああ・・・。あしたで最後ですね。」
 「それじゃあ、最後には何か・・特別に気の効いたことを書いて下さいよ。」
 「???気の効いたことって・・・?」

 返事はなくそのままKさんのところへ。
 中国語の勉強?のことやら・・・何やら随分長く喋っておられた。

 カーテンごしに「takaoさん・・・早く寝なきゃだめですよ・・・」

 就寝前に安定剤が2錠処方されていたが・・・効いたとは思えず、
 何度も何度も目が覚めてしまった。やっぱり興奮しているのかなあ・・・。

 24日、朝食は抜き。
 Tが9時半頃来てくれることになっている。
 
 点滴は漏れてはいないのだが・・・場所が場所だけに少し動かしても痛い!

 8時半、トイレに行って術衣に着替え・・・時計を外す。
 他には特に何もない。

 9時、看護師さんと一緒に2階の血管造影室へ。
 下大静脈にフィルターを入れた時と同じ部屋だ。
 5、6人のスタッフ。処置台に上る。
 相変わらず狭い!!
 両手を固定される。(前の時も固定されたかなあ・・・・)

 身体と右腕に布が被せられた。

 前回は何だか不安で気分も悪かったし・・・あまり周りのことは覚えていないのだ。
 前回は足のつけ根からだったし、下半身丸出しでそれも嫌だったのだが、
 今回手首からというのは・・・すごーく気が楽。

 「麻酔しまーす。」「ちょっと押されますよ〜。」
 「はーい、入れていきまーす。」

 ものすごく手際がいい。
 あれっ・・??と思うほど全く痛くない。
 
 「ここに入っていってますよ〜〜。」
 また、左側にあるモニターを指してくださるのだが・・・
 そんな細かい所までは見えない。
 (注意書きに眼鏡、入れ歯は外すように書いてあるのだが・・・モニターを見るのなら
  眼鏡は許可してくれればいいのに・・・)

 「造影剤を入れますよ〜〜。熱くなりま〜す。」

 さーっと何かが上ってくる感覚。熱いというほどでもない。
 少しドキドキ。

 「ここですねえ・・・。」「流れてますね・・・。」
 「どうですかねえ・・・。」何やらいろいろ話しておられる。
 「バルーンは・・・。」という声も。

 「大丈夫ですね。」ということで・・・、
 「takaoさん・・・ちゃんと流れてますね。これで終了ですよ。」
 もう一度画面を指して説明して下さった。(見えないって・・・!)
 でも、明らかに何か異物がわかる。
 「ああ、これが前に入れたフィルターですよ。」
 (こんなところに入っているのか・・・。) 

 「ありがとうございました。」

 「お疲れさまでした。」

 一応車椅子に坐らせて下さって部屋を出ると、Tが待っていてくれた。
 隣の部屋で説明を聞く。

 以前撮ったレントゲン、エコー、心筋シンチと今回の画像を比べて説明して下さった。
 「たこつぼ型心筋症と思われますね。」とのこと。
 何らかのストレスが原因で、心臓の形が「たこつぼ」のように変形し、
 一部の血流が悪くなるらしい。自然に戻ってくるらしいのだが・・・
 「あと1ヶ月くらいでもとに戻ると思いますよ。」

 部屋に戻って、明日は来れないというTに荷物を一つ持って帰ってもらう。 
 「1人で帰れるから大丈夫。」

 右手には止血帯が蒔かれていて、3時間はあまり動かさないように、とのこと。

 ほっとして・・・すっかりリラックスして・・・うとうとしてしまった。

 夜ボーっとしていると、K先生がやって来られた。
 「無罪放免だそうですね。」
 そして、私が渡してきたメモの束を返して下さった。

 厚さ2センチ近いメモ帳をほとんど使い切っていたのだ。
 「こんなに・・・?ありましたっけ・・・!!」

 「ほんとに製本してあげようと思ったんですよ。捨てないで是非残しておいた方がいいですよ。
  家に帰ったら、自分でちゃんとやって下さい。」
 「いやあ・・・。」

 「本当に良かったですね。」
 「はい。」
 「本当に・・・一時はどうなることかと思いましたしね・・・。」
 「はい。」
 「淋しくなりますね。」
 「・・・・。」

 「最後に何か気の効いたことを書いてくれたんじゃないんですか?」
 「右手が使えないことを忘れてました。」
 「これ・・・明日の朝には取れるでしょう?それからでいいですから・・・
  絶対書いて下さいね。」
 「はい。」

 「そうそう・・・屋上のスケッチですけど・・もっとないですか?」
 「ありますけど・・。あんな見慣れた風景なんて面白くもないでしょう・・?」
 「見慣れた風景だからいいんですよ。でも、こんなところあったかなあって思いますよ。
  案外見てないんですねえ・・。」

 屋上で描いたものと、病棟の中の風景を描いたものを数枚渡しながら・・・
 「いろいろお世話になってありがとうございました。」
 
 「僕の方こそありがとうございました。」

 「帰ったら、ちゃんと気をつけます。」
 
 「あれ?今夜は真面目なんですね。」
 「??いつもまじめですけど・・・。」
 「んん・・・まじめなんですけど・・・でもtakaoさんて変ですから・・・。」
 (何だと・・!!)

 「今夜はゆっくりお休み下さい。」

 何か言おうと思ったのだが・・・もう姿はなかった。 


 「takaoさんはたくさんの人に借りがあるんですからね〜〜。」
 その言葉が耳に残っている。
 何だか眠れそうになかった。

 消灯後の病室の天井をいつまでも見つめていた。


  *****     *****     ******

 まだまだ暑いのだが・・・雲が少し違う。
             風が少し違う。

 そろそろ・・・ロングバケーションはお終い。

 そろそろ・・・夜更かしはお終い。

 そろそろ・・・。

 眠れない夜にエンドレスで音楽を流すのも・・・お終い。



 

 
 
   

 

 
 

 (昨年の今日)

 8月24日の朝1番で「心臓カテーテル検査」をしてもらえることになった。

 貧血の改善は本当にゆっくりなのだが・・悪くはなっていないということで、
 何とかその日に決めてもらえたようだ。

 ここにきて「帰りたい!!」「もう帰らねば!!」という思いが急に高まってきた。
 その思いが通じたのかも知れない。

 午後に「肺のレントゲン」と「心エコー」があるとのことで、
 お昼ごはんまでに1時間の「外出届」を書いて、外を歩いてみることにした。

 かなり残暑が厳しそうだが・・・ずっと空調の効いた所にいると汗が出なくなっているようなのだ。
 汗もかかねば・・・。

 久しぶりのA書店。読みたい本が次々と飛び込んでくる。
 (今日は買えないが・・・まずどれから読みたいかなあ・・・そんな暇あるかなあ・・・)
 それから病院へと戻りながら・・・デパ地下でお菓子の詰め合わせを買った。
 (退院の日に看護師さんと看護助手さんに渡そう・・・。)

 「御礼」については結局聞けるほど仲良くなった患者さんはいなかったのだが、 
 迷ったままで・・・そのままになっている。
 
 この間、私は血糖値のコントロールの関係で「間食」はダメだったので・・・
 友人が持って来てくれた「お菓子」はTやRが看護師さんにあげていた。
 仲良くなったお目当ての看護師さんがおられる時に、うまく見計らって・・・
 奥まったところにある「休憩室」に持っていくのを、彼らは楽しみにしていたのだ。

 以前身内が手術した時、周りからいろいろ言われてお金を渡したことがあった。
 早朝から・・・待ち伏せして・・・主治医(執刀医)と麻酔科医に何とか手渡せたが
 師長さんはがんとして受け取っては下さらなかった。
 ほんとにこういうことは苦手だ。
 
 デパートを出たところで「ウイリアム・モリス展」をやっていることに気づくが、今日まで。
 時間がないので、出口のところで絵葉書を買った。(見たかったな・・・)

 夕方Nさんがお見舞に来てくれた。
 まだ「ICU」にいたときに来てくれたそうなのだが・・・会えなかったようだ。
 ここの病院は「ICU」は身内しかダメだと決められているわけでもないようで、
 2、3人は記憶しているのだが・・・。

 「本当にびっくりしたよ!!あれは完全に予感やったんやね。」
 「何?」
 「献体のこと・・・。」
 「ああ・・・。いやあ・・・それはないよ。」

 4月に高校の部活の友人と飲んだ時、S県立医大の事務局にいる友人と話していて・・・
 彼は自分の父親の葬儀がどれだけ大変だったかという話の後で、「献体」の話をしたのだ。
 「献体」の登録をしている人が亡くなったときには「ご遺体」を引き取りに行くという。

 何となくその話が印象に残り、早速私は書類を送ってもらった。

 家族の同意署名を姉と弟に頼み、本人と代表者1名との面接も受けた。
 その時には「配偶者および六親等以内の血族、または三親等以内の姻族等」の同意について
 確認され、「ドナー登録」についての説明、その他、死亡後のことについての説明を受けた。

 話しにくかったのは両親だったけれど、
 母は「私らを見送ってからにしてくれたらいいのに・・・。」とだけ言った。

 結局、私は「会員証」を受け取る前に入院してしまったことになる。

 確かに弟は、病院に来て・・医師から厳しいことを言われた時に・・・
 「亡くなったときにはどうするんだっけ・・・・?
  あのときもらった書類はどこに置いたっけ・・・?」
 と思ったらしい。

 身内以外には「献体」したことを話した友人は2人だけだった。
 
 「それはね・・・絶対に『予感』したんやって・・・。」
 「違うよ。ほんとに偶然なんやから・・・。」
 「そういうのを『予感』って言うんよ・・・。」
 「ふ〜〜ん。」

 『予感』だったとは思っていない。
 だとしたら・・・私は今ここに居ないだろう・・・。

 いつものように、夜8時半頃にK先生が来られた。
 先にKさんの所に行かれて、いろいろ喋っておられる。
 この月曜からK先生は「神経内科」で、Kさんの主治医のもとでの研修になっている。

 月曜日に主治医にくっついて来られたK先生が「よろしくお願いします。」と挨拶されると、
 「いつもtakaoさんのところに来られているので、よーく知ってますよ。」
 と言われてしまったが・・・。
 それからはK先生と楽しくおしゃべりされている。

 Kさんは少し意外に感じるほど楽しそうだし、専門的な話も盛り上がっていた。

 (私はいなくなるけど・・・Kさんからいろいろ勉強させてもらうといいんじゃないかな)

 「takaoさん・・・いよいよですね。」「・・・・」
 「これもらうのも・・あと少しですねえ・・・。」
 「このメモですけど・・・まさか残されてませんよね。」
 「いやあ・・残してますよ。製本してあげたかったんですけど忙しくて・・・。」

 「製本?!とんでもないですよ。そのまま返して下さい。でなければ処分して下さい。」
 「はあ・・・。」
 「絶対ですよ・・!!」

 あんなものが手元に残るかと思うと、こんな恥ずかしいことはない。

 「退院したら・・・ほんとに気をつけて下さいよ。もう無理はダメですよ。」
 「・・・・。」
 「もう無理はしませんよね。」(無理って・・・???)
 「さあ・・・。」

 「はい。」と素直に言うつもりが・・・「さあ・・・。」と口から出ていた。

 K先生が本気でムッとした顔をされたので・・・驚いた。

 「すみません・・・気をつけます。」と小さな声で言ったのだが・・・、
 「帰ります・・・。おやすみなさい。」
 怒ったように出て行かれてしまった。

 
 今日ノートに記していたこと(一部)

「もう少しで『非日常』は終る。
 身体を動かすことができなくて、身体の向きを変えることもできなくて・・・、
 自分でトイレに行けなくて、オムツをしていて、全身筋肉痛で、水が一滴も飲めなくて・・・、
 息苦しくて横になれなくて・・・
 毎日のように下痢と高熱が続き、毎晩のように悪夢にうなされ・・・、
 足が腫れ、両手も腫れて痺れ、感覚もなくなり・・・55日間ごはんが食べられなくて・・・
 68日間点滴に繋がれっぱなしでも・・・、
 決して最悪の『非日常』だとは思わなかった。

 これまでの人生の中で、一番甘えさせてもらった日々だったような気がする。

 『これは特別なことなのだから・・・どうか責めないで下さい・・・。』と
 布団の中で甘えていたような気がする。

 朝の光とともに時間がゆっくり流れていく。
 いかに熟睡できなくて、限りなく体の重い目覚めであっても・・・
 この時間の流れの優雅さは『日常』ではなかなか得られない。

 柔らかくて・・・独特の暖かい光につつまれていた『非日常』も
 間もなく終る・・・。」
 
 
    ******    ******    ******

 先週の酷暑に比べると、確かに36度という気温は楽なのですが・・・
 今日は午前中はゆっくりできるのだと思うと・・・体がだるい!!

 思いっきりぐうたらしていました。

 これ以上のろのろできないくらいに・・・。

 昨年退院したあと、体温計も体重計も持っていないことに気づきました。
 そんなものはいらない生活をしていたのです。

 体温計と体組成計を買い、父から余った血圧計をもらって、毎日測る習慣をつけました。

 私は体温も血圧もとても低いのです。

 体温は大体35度5分まで。血圧は最高が80くらい、最低が50くらい。
 朝の目覚めも良くすぐに活動できる方だったので・・・
 「へえ・・・。」という感じです。
 
 ぐうたらできるのも才能かもしれません。

 テレビで、海外モデルの先駆者だったある女性の急死を報じていました。
 まだ57歳という若さです。

 彼女について、一緒に仕事をされたことのある映画監督が喋っておられました。

 「あの方なら・・・悠々と三途の川を渡って行くんじゃないの?
  『さらば・・・』って言いながら・・・。」

 その言葉が・・・今日1日頭の中にありました。
 
 

  
 
 
 

 


 
 

 

患者の責任

 (昨年の今日)

 今朝も早朝の採血はあり。蓄尿もまだ続いている。
 
 思えば入院して86日、ほぼ毎日採血してきたが・・・結果を書面でもらったことは1度もない。

 同室のKさんは週1回血液検査をされているのだが、きちんと結果をもらっておられる。
 (欲しいと言えば下さるのか・・・!)

 この間本当にたくさんの薬を使ってきたと思うのだが・・・点滴の薬剤の名前は全く知らない。
 「○○○のための薬を入れま〜す。」と、いろんな目的は教えて下さったが、
 薬の名前までは聞いたことがない。
 これも「教えて下さい。」と言えば、教えて下さったのだろうな・・・。

 何と任せきりだったのか・・・!!
 今時、こんなに何も聞かない、言わない、頼りない患者も少ないのではないか?
 
 今から聞いても遅いか・・・。いや、聞いたからといってどうなる??
 眼鏡をかけて点滴の袋の文字を読んだことはあったけれど
 薬の名前などには興味がなかったのも事実なんだから・・・。
 
 看護師をしている友人がお見舞に来てくれると、いつもしっかり点検?してくれていた。
 「ふむふむ・・、なるほど・・・。」というように。
 でも私に言ったのは「逆血はちゃんと見てないとダメよ。」ということくらい。

 薬疹と思われる発疹が全身に出て、みじな状態になったときも、
 S先生が薬を止めたり、変えたりといろいろ苦労して下さったのだが・・・
 本人よりも先生の方が気にして下さっていた。

 看護師さんたちも「痒いでしょう?」とか「痛くない?」とか・・・、
 毎日心配して下さったが・・・、見た目ほど苦痛ではなかったのだ。

 水が貯まって体重がすごく増えていたときでも、顔は変化なかったのだが、
 体重はすっかり戻ったのに、あるときから頬が下膨れになった。
 これも今思えば、薬の副作用だったかも知れないが・・・、
 何も聞いていない。

 K先生なんか「膨れてる、膨れてる。」と毎日うるさいのだ。
 「まだ戻りませんねえ・・・。」
 「何だかすっかり慣れてしまいましたので・・・この顔も悪くないです!」
 「そうですねえ・・・。」
 「前からこの顔だったような気がします!」

 本当にどうでもいい気がしていた。

 インフォームドコンセントが進んでいるというのに・・・、
 「患者の知る責任」を全く果たせていない患者だったんだ。
 K先生は研修科が変わってからは、特に口うるさく説教して下さった。

 「takaoさ〜ん。何してるんですかあ〜。」
 「ちゃんと言ってますか?」
 「言いたいこと言わなきゃダメですよ・・!!」
 「そんなことじゃあ・・良くなりませんよ〜〜!!」
 
 あるときには、こんなことまで言われた。
 「takaoさん・・・、もうとっとと帰って下さい。」
 「???」
 「本当に帰りたい気持ちがあるんですかあ??」
 「ありますよ・・・。早く帰りたい。」
 「takaoさんに早く退院してもらわないと・・・僕は気が散って仕事に集中できません・・・。」

 その話を聞いていた看護師さんが・・・
 「そんなんK先生の勝手ですよね。takaoさんのせいじゃないのにね。
  とっとと仕事せえって・・・。」

 「ねえ・・・。」と相槌を打ちながら・・・でも私はK先生の鋭い指摘を実は感じていた。

 昨日「糖尿病児のサマースクール」から帰って来られたK先生が「メモ」を取りに来られた。
 私は外泊のときに持って来た仕事に関する本をチェックしていた。

 「あれっ・・?takaoさん・・・お勉強ですか?」
 「はい。」
 「やっとやる気になりましたね。」

 「サマースクールは大丈夫でしたか?」
 「いやあ・・・、すごくおもしろかったですよ。勉強になりました。」
 「子どもたちとは大丈夫でしたか・・・?」
 「もう・・・バッチリですよ。」
 「そうでしょうね・・・。K先生はすぐに子どもとシンクロできそうですから・・・。」
 「・???それって褒め言葉ですかあ・・・?」
 「もちろんそうですよ。」

 「ちゃんと書いてくれたんですね・・・。楽しみだったんですよ。」
 「ほんとかなあ・・・もうねた切れで面白くないと思うので・・・これもあげます。」
 
 屋上で描いたスケッチを数枚渡してみた。
 「先生にとってはこれもつまらないか・・・。」

 「ええ・・っ!凄いじゃないですか・・・!いやあ・・・!」
 (そんなに驚くかなあ・・・。)

 それから、今朝S先生にやっと欲しいと言えた「血液検査」の結果を見せた。
 問題の「貧血」。「L」のついているもの。
 『赤血球数=221 血色素数=7、1 ヘマトクリット=22、1 血小板=13、7』

 「今朝S先生にカテーテル検査を早くして欲しいと言いました。」
 「んん・・そうですね。循環器の先生に頼んでもらわないと・・・。」
 「月曜日に返事してもらえるそうです。」

 「目覚めましたね。」
 「はい。外泊できましたから・・・。」

 今日ノートに記していたこと(一部)

 「退院に向けて気持ちが動き始めると・・・、
  『焦るな、焦るな』と逆風が吹く。

  日々の社会生活はささいなことであっても・・・実はとても高度なことを要求されている。

  『ネジは巻かない』と決めてはみたものの・・・
  『ネジを巻かずに』やっていけるのか・・・・?

  身も心も丸裸になったとき・・・何にもできない赤ん坊になっていた。
  「人に頼ってはいけない」「人の力を借りてはいけない」「人に甘えてはいけない」
  そんな思いは一瞬にして吹き飛んでしまい、無防備そのもので、ただ「かまって欲しい」
  だけの赤ちゃんになる。

  理性でコントロールしてきたものなんて・・・こんなにも危ういものなのか・・・!

  赤ちゃんは「かまって欲しい」ときには泣く。
  自分の方を向いて笑って欲しいのだ。

  私のことはほっといて! 私をそっとしておいて・・。私をひとりにして・・・。

  そういい続けてきた自分が・・・自分の首を絞めていた。

  やせ我慢が・・・自分で自分を押し倒した。

  だから・・・
  『ネジを巻かずに』やっていきたい。」


  ******    ******      ******

 実家に帰って母と話していると・・・
 母の中にある意外なものを次々と見つけるのです。

 なぜ今まで気づかなかったのか・・・?
 今だからこそ気づいたのか・・・?

 これまで殺しても死なないくらい元気だと思っていた母が
 昨年の秋に倒れて入院した時・・・、
 ひょっとしたら私の病気のことを知っていたのかもしれないと思いました。

 最後まで何とか隠し通したと思っていたのですが・・・、
 もしかしたら「そのこと」をとても心配していたのかもしれないと・・・。

 お互いに「そのこと」には触れないのですが・・・、
 触れることができないのは・・・
 おそらく「そのこと」が、まだ「過去」になっていないからなのだと・・・、
 そう思います。

 

 

 
 
 

 

 
  

 

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