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久々の重松清の本。
読書すら久しぶりでした・・(汗)
色々な形での「再会」がテーマ。
家が町の名士の同級生の女の子のお話。
ちょっと困った親戚のおじさんのお話。
障害がある弟が会いたがっていた友達の話。
子供の頃読んだ「スヌーピー&チャーリー・ブラウン」の本の話。
少しドンくさい子供の頃の友達の話。
子供の頃、過ごした町での初恋の人の話。
一番心に残ったのは、
ショッピングモールを建てるための父親の転勤に付いてきた娘が、
同級生で駅前にショッピングビルを持ってる女の子の変化を語る話。
女王然として振舞っていた女の子が、
親の仕事絡みで、取り巻きがいなくなっていく様と、
女王然としている女の子の家を没落させてしまったんじゃないかと悩む主人公の心境は、
大人の世界の出来事も別物とは割り切れず痛かった。
子供の頃の仕打ちって、された事も覚えているけれど、
やってしまった事って、思い出さずにしようとあえて忘れる振りをしているみたい・・
だから、それが大人になって思い出されて、跳ね返ってきた時にはツライのだろうと。。
時々、あの時のあの子どうしているのかな・・
元気なのかな・・
どんな大人、生活をしているどろうか・・
と、思ったりするけれど、あえて訪ねたりしない方が良かったりするのかな。。
(私は、転校生経験が多かったので〜)
でも、やっぱり覗き見したい気持ちになるのは、
大人のいやらしさかもね。。
(数十年振りの同窓会でガッカリ・・って話しは、ありふれているもの〜 苦笑)
本のあとがきの重松さんの言葉。
バイバイと手を振った友達と明日また会えること―
いまはごくあたりまえの日常が、じつはなかなかの幸せだったんだということが、
いつかわかる。悲しい別れによってそれを実感しないように祈っている。
(これは、もう、最近では皆さん身に沁みて感じているんじゃないかと。。)
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自分のための重松清文庫
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重松さんの著書ボチボチと読んでますが、なんせ作品数が多いい。。。
自分でも、題名と内容がこんがらがってしまう事も多いいので、
自分の覚書で作りました。
自分でも、題名と内容がこんがらがってしまう事も多いいので、
自分の覚書で作りました。
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少し前に読んだ重松清の書き下ろし「十字架」で
いつまでも響いてメモしていた一文です。
「人を責めることばには2種類ある。
ナイフの言葉と十字架の言葉。 ナイフの言葉は胸に突き刺さる。 痛い。 なかなか立ち直れないかったり、致命傷になることもある。 でも、ナイフで刺された時で一番痛いのはその瞬間。 十字架の言葉は、背負わなくちゃいけない。
それを背負ったまま、ずっと歩く。 どんどん重くなってきても、降ろすこともできないし、足を止めることもできない。 生きてるかぎり、その言葉を背負いつづけなきゃいけない。」 鳩山首相には、今、十字架の言葉の重さを突き付けたい・・・
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久しぶりに重松さんの本を読みました。 憧れの東京に、田舎から大学に通うために上京した、あの頃を思い出してる 今は40を過ぎてしまった主人公の短編集。。。 あの頃(80年代)を過ごした人なら あったなぁ…そういえば、そんな出来事、そんな曲、そんな流行…と、 フラッシュバックするエピソードと小道具。。。 『ロング・バケーション』大滝詠一 ドラマ『ふぞろいの林檎』 『ウォークマン』 『東京ディズニーランド』開園と、 マッケンローとコナーズのウィンブルドン決勝、 ボートハウスの水色トレーナー。。。 (重松さんと、同年代なので、どれもドンピシャで ニヤニヤしながら読みました。。。笑) そんな短編の中でも、一番沁みたのは、 「人生で大事なものは(けっこう)ホイチョイに教わった」 当時流行った「見栄講座」(トレンド分析、ミーハー本)に感化され 「幸せは【他人のうらやましさ】で決まる」と豪語していた 笑っちゃうほど、ミーハー人生を過ごしていたナカムラくんが、 結婚して子供が出来て、さらにミーハー度を上げると思ったら、 実は、障害のある娘を持ち、ちょっと苦労しているのかも…と、いう話。 「自分は、あの頃より幸せかどうかは、わからない。 だからこそ、他人には決められたくないんだ。」と、いう結論。 あの頃より、いろんな経験をしたから、 みんな、自信を持って辿り着く言葉なのかも…。 『美学はどうすれば身につくか? それは、その人その人の人生の芳醇の中から、 自然に熟成してくるものです。』 (「見栄講座」の終わりの言葉だそうです。 本文参照) ************************************************************** どの短編も、重い感じで書かれていなくて、あくまでもライトな語り口。 あの頃、東京と言えば、友達が住んでいて、よく遊びに行った、中野坂上。 私の知ってる東京も、ずいぶん変わってしまったことでしょう…ねぇ。。。 ※ホイチョイ
バブル期に数々の流行を生み出したクリエーター集団。 「見栄講座」のベストセラーの他に 原田知世主演映画『私をスキーに連れてって』の大ヒットが有名。 最近では、広末涼子主演の映画『バブルでGO!!』のヒットが記憶に新しい。 |
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教室の中での、ひとりぼっち… 友達がそばにいるのに感じる孤独… 子供の頃、何度も感じていました…。 もしも、そんな想いに誰かが気付いてくれたら、そして手を差し伸べてくれたら 学校という場所は、もっと違った場所になるのに…。 村内先生は中学の非常勤講師。国語教師なのに吃音(カ行とタ行をどもってしまう)を持ち
上手く喋れない…。 でも、先生の、一番大切な仕事は、ただ生徒の「そばにいること」そして 「ひとりぼっちじゃない」と伝えること。 先生は、本当に大事なことを伝えるためだけに、あちこちの中学校に赴任する。。。 言葉が発せられなくなってしまった少女。保護観察処分で学校に戻った少年。 父親が自殺してしまった少年。中学受験に失敗してしまった少女。 親に虐待を受けていて、先生に救ってもらった青年。etc…。 いじめの話も含め、いろんな立場の少年、少女が8編の短編に出てきます。 どの短編を読んでも途中で、胸の奥がズキズキしてしまった。 大勢の中の孤独。気持ちを上手く言い表せなくてイライラしてしまう思春期。 中学生時代は、日々、シーソーに乗ってるように、 あっちに行ったりこっちに行ったり、気持ちは大きく振れてしまう…。 決して、どの話にも答えが出ている訳ではないけれど、 饒舌に話して説き伏せてもらうだけが、救いになるとはならないと感じた。 結局は、人の体温、温かさを感じるのが、一番の救いじゃないのかと…。 お話も、とても興味を引く手法で、読み進めていかないと、 それぞれの短編の登場人物の悩み、設定、想いがわからないようになってるので、 探求感覚で読み進めることが出来る。 余談ですが、私の場合、読後に、ある恩師の顔が浮かんだ…。 子供と同じ目線を常にもってくれた先生だった。 今の先生方は、どうなんだろう… 雑務に追われてしまい、上から目線しか向けられないんじゃないだろうか… 子供も教師という職業の大人は、感じられるけど、 恩を享け賜った感覚と無二の師を感じることは、難しい時代になってると思う…。 ぜひ、連載ものでまた、村内先生に登場してもらいたい…。 そして、最後の物語の「てっちゃん」の、その後を重松さんに書い欲しい。。。 (『流星ワゴン』と同等ぐらいの感動作でした… すっかり、涙脆くなっちゃったなぁ… 笑) ≪誰かを嫌うのも、いじめになるんですか?先生には、嫌いな人は、いないんですか?≫ 『いじめは、人を嫌うから、いじめになるんじゃない。 人数がたくさんいるから、いじめになるんじゃない ひとを踏みにじって、苦しめるのが、いじめ――。 ひとを苦しめていることに気づかず、 苦しくて叫んでいる声を聞こうとしないのがいじめ――。』(「青い鳥」 から) |
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人は最後を迎えようとする時、すべての罪深い行いを、 ゆるしてもらいたいと願い、穏やかに逝きたいと思うか、 それとも、その罪をすべて飲み込んで、背負ったま逝ってしまいたい思うのか どちらかに分かれると思う。 本作品で「終わり」を突きつけられたシュンは、 前者を選び、息子と妻に見事に生き様を見せ付けてくれる。。。 【あらすじ】 北海道の北都での幼なじみの小学4年生、トシ、シュン、ミッチョ、ユウ。 ある不幸な事件がきっかけで、シュンは逃げるように北都を離れる。 それぞれの人生を過ごして30年。 シュンは40歳を目前に末期ガンを宣告される。 妻と子に何をどうしたらいいのか…悩み抜く。 長年、封印していた記憶を解き、幼なじみとの再会を果たすシュン。 最後に、もう1つ、やり残した再会を果たしたいと願うが…。 3年ぶりの重松さんの長編作品。上下巻 約700P 新聞連載だったものを、大幅に改稿したものだそうです。 読んでいても、登場人物、景色、風景が生き生きと3Dで想像できる文章は さすが重松清だと思った。 (色までハッキリ文から想像できる、とても映像的な物語だった。。。) 最初、上巻を終了後、とある登場人物は、居なくてもいいのでは…と思っていたが、 下巻を読むと、その人物の存在理由に、価値が出てくる。 (ミウのこと…。) 正直、前半部のごちゃつきが気になった箇所があったが、下巻に入ると 物語に加速度が増す。。。 章によって、それぞれ語り手が変わる文体で どんな不幸な事件と経緯が有ったのかを、読者に探らせるようになっている 「その日の前に」は、末期ガンの家族が語り部だったが、 本書は、本人が語る手法で、辛さがより一層に押し寄せる。 (夫婦の情愛が伝わる、指を絡め合いお互いを求め合う場面、拍手でした…。) 納得とか正しさとかって大事だけど、それが全部じゃない。 本当に大切に思ってくれた人が、ちゃんとそのことを覚えていて、 懐かしんで語り合ったり書き残しているうちは、命は消えないと思う。 ゆるしたことって、覚えてないでしょ。 ゆるさなかった事は、やっぱり忘れない。 だから、人を許すって事は忘れることなんだと思う。 誰かをゆるさずに生きてくことは、寂しいことだろう? 誰かを憎んだり恨んだりするのを支えに生きるのは寂しいことだろう? 実は、この物語を読み始めた頃、知人が自殺した。 (正直またと…。『カシオペアの丘で』の主人公たちと同じ歳だった…。) 残された家族のことも考えず、納得できる訳なかった。。。が、読後、 あの人は、自分で自分が許せなかったんだ…と思った。 だから、自分で終わったんだと…。 生きたくても生きれない人は、たくさんいるというのに、大バカ者だ! 今はダメだけど、いつか時間が経ったら 「ゆるし」てやろう かと思った。。。 ※泣ける物語などと宣伝されているが、そんな事は意味がない宣伝文句だ…。
(昨今の、泣ける 映画、小説、ブーム、如何なもんでしょうか…?) 私は、バンザイの場面で少し涙が滲みましたが、あとは冷静に読めました。 R35小説… 大人ならとても共感できると思います。。。 (泣くだけが共感じゃないですからね…。) |






