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人生の岐路 2

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次の転機は大学卒業時にあった。
私は子供の頃から、手が器用で、遊び道具類も自分で作った物が多く、命中率抜群の引き金の付いたゴム鉄砲やスチームで動く船など作って庭で遊んだものだ。
長じて、対象が自動車やバイクになり、特にバイクは親父にせがんで買って貰った、ホンダやハーレーなどを中学生時代に既に無免許で乗り回していた。今からは想像も出来ないが、交通量も少なく、のんびりとした時代だったと思う。
大学時代も友人と一緒に、バイクで箱根や伊豆方面をツーリングして楽しんだが、留学断念もあって関心は次第に自動車に移り、就職を考える時期となった際に、当時の日本の自動車メーカーのトップだった日産自動車に勤めたいと考え、大学の掲示板で、同社入社に学校推薦の枠がある事を知り、早速、申し込んだ。
当時、日産は企業の将来性を買われ、人気会社の筆頭で入社希望者が多く、入社試験での採用を行なっていたが、在京の6つの大学からは毎年各6名だったと記憶するが、計36名を優先的に採用する制度を採っていたのだ。
勿論、希望者が殺到するので、大学では、成績順で推薦者を決めていたが、私は幸いにも枠内に入って推薦を受け、同社からも内定通知を受け、事実上入社が決まった。
早速、その旨を手紙(今と違い、未だ市外通話は料金が高かった)で両親に知らせたのと行き違いに、その晩に親父から電話があり、お前の勤め先を決めたぞ、と云う。私は驚いて、何処?と聞くと、興亜火災と云う中堅の損保会社だと判った。
実は、親父は戦前には石川県で合同運送なる運送会社を経営していたが、国策で全国の運送会社が一本化され、日本通運となった際に、身を引いた経歴があるのだが、当然に日本通運社内には既知の人物も多く、特に当時、同社の社長で、経済界でも名を馳せ、後に日通“金の延べ棒”事件で新聞紙上を賑わせた、福島敏行氏とは昵懇の仲で、時折上京し旧交を温めていたらしいが、数日前の上京の際に、家族の話になり、先方から是非、息子さんを我が社の系列損保に、と云われ、それじゃ頼みます、と応諾してしまったとの事だった。
寝耳に水とは将にこれで、冗談じゃないよ、と叫んだのを覚えているが、親父から、俺の顔を潰す気か、と云われ、不承不承ながら承諾してしまった。現代の若者には想像出来ないくらいに、親父の権威があった時代だし、私も従順だったのだと思うが、その様な経緯で就職先は興亜火災海上保険(株)に変わったのであった。
勿論、正式に入社試験を受けてのことではあったが・・・・。
日本橋の袂にあった本社で、数ヶ月の研修を受け、希望して名古屋支店に配属となった。此処では、初めての本社採用の大学卒新入社員が来た、と、一寸した騒ぎで、支店長はじめ総務課長が色々と面倒を見てくれた。独身寮がなかったので、賄いつきのアパートを探してくれたが、見つかるまでの間、会社御用達の料亭に約一ヶ月間逗留させて貰う歓迎振りだった。名古屋ではその後一年半のサラリーマン生活を送ったが、営業畑の支店長の方針で、のっけから営業に回され、支店随一の腕利き社員の助手となった。処が、幸か不幸か、当の腕利き社員の村瀬氏が突然に中堅商社にスカウトされ、急遽、ピンチヒッターとして彼の業務を全て新入社員の私が担当させられることとなり、凄いプレッシャーの中を毎月の業務成績表の数字に追われながら、炎天下の名古屋市内を主に愛知、三重両県内を大型スクーターで駆け回ったものであった。凄腕の後釜だから、支店で最も大きい目標数字は当初はとても達成出来ず、寝ても覚めても数字、数字の毎日でげっそり痩せてしまい、帰郷した際に両親から退社を迫られた程だったが、努力の甲斐があったのか、ある時点から成績が急上昇し、名古屋支店のトップの成績を収める程になった。私の持論である“営業即農業論“はこの時の実感で、畑を耕し、種を撒き、時には肥料を施し、雑草は取り除き、柵をして鳥獣の食害を防ぐ、一連の作業は、将に営業活動そのもので、全く同じである事に気付いたのだ。この様にみっちりと営業の基本をを叩き込まれ、ある種の自信をつけた事が後の脱サラと郷里での会社経営に繋がって行ったのだ。
話は変わるが、最近になって、当時の名古屋支店の緒先輩と再会したり、メール等で近況を知らせ合う機会が出来たが、当時の私の印象がかなり強かったらしく、色々と良く覚えておられ、女子社員の注目の的だった、なんて冷やかされ、面映い思いをした。
保険会社に就職せずに、興味のある自動車企業の日産自動車へ就職し、アメリカ市場でも開拓していた方が楽しかったかも知れないが、いずれが良かったのかは、これも判定は不可能だろう。然し、親父がこの時も私の行く道を変えたのは間違いない事実である。
さて、次なる分岐点は、多分、脱サラして、辻商事を立ち上げた時だろうし、別項で書いた、北陸ヤマハホーム機器設立とその解散、更には、辻商事社長を辞め、辻興産を造った時、等々数え上げれば幾つも思い当たるが、いずれも金沢を地盤に建設関連の零細企業を経営する点では同じだから、枝分かれ程度のものだろう。
又、ビジネスの面だけではなく、個人的な結婚、子供の誕生、両親の死等も分岐点に違いないので、いずれ機会があれば、それ等に就いても書いてみたいと思う。

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2008/7/22(火) 午後 7:10 [ @音三昧 ]


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