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今日は、7月9日から志田未来、山田優出演で日本テレビで放映されるドラマ 「正義の味方」の原作を紹介します。 簡単にストーリーを言うと、 高校生容子の姉は悪魔のような性格の持ち主。 これは、日々その被害を受けながらも前向きに明るく生きる妹・容子の物語です。 容子の姉・槇子はただものではありません。 わがままで傍若無人、やることなすこと悪意に満ち、 何かと毒を吐き散らし、他人を蹴散らし我が道をゆく。 人から与えられた迷惑や屈辱は、その何倍にもしてお返しする。 そんな豪快に自分を貫く人なのです。そんな悪魔のような姉をもつ妹の容子は、 生まれながらにしてその奴隷的な支配を受けて生きてきたのです。 世の中には“どうしようもない”不条理なことがいくつかあります。 容子にとって、姉・槇子は、まさにそんな存在なのです。 しかし、姉・槇子の悪事は何故かめぐりめぐって 周りの人々に幸福をもたらしていくのです。 コンビニで横入りしてきた男にむかつき、 デタラメ通報したら指名手配犯でお手柄だったり、 セクハラ上司をやり込めて同僚から感謝されたり……。 本能と悪意でまき散らかした悪事の数々が、 最終的に感謝されたり尊敬されたり、世の中の為となったりしてしまい…。 そんな姉は世間ではこう呼ばれます…『正義の味方』と。 実は、takaは前々から「正義の味方」の原作者 聖千秋ファンなのです。 テレビで始まるということで、本屋で目立つところに並んでいた原作本を発見したのですが、 久々に聖千秋の名前を見てうれしくなってしまいました。 早速出ている1〜5巻買ってしまいました。 もう20年以上も前の話ですが、 (どちらかというと今休眠しているもう一つのブログのネタなのですが) 我が家は別冊マーガレットを毎月買って読んでいました。 Kさんが好きだったのです(汗) で、takaも毎月読んでいたのですが、 その中で好きだったのが、「聖千秋」と「くらもちふさこ」と「多田かおる」の3人でした。 多田かおるは、若くして亡くなったことと、 未完に終わった「イタズラなKiss」(日本と台湾でドラマ化)の作者として有名です。 偶然ですが、この3人、実生活でも仲がよく、 よくお互いの漫画に自分の絵を描いていました。 そういうコマを探すのも、その頃の楽しみでした。 今回も、「悪魔のような姉」槙子のキャラクターデザインは くらもちふさこではないかと思って一人ニヤニヤしているtakaです。 女性作家と毛嫌いせずに、生活に疲れている男性諸君にも 是非一度読んでいただきたい漫画です(^_^)v
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マンガっ子の部屋
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ずいぶん前に「次回は横山光輝」と言ってそのままになっていました。 今年が終わる前に、一つは書いておこうと思います。 代表作は、 『鉄人28号』 『伊賀の影丸』 『仮面の忍者 赤影』 『魔法使いサリー』 『コメットさん』 『バビル2世』 『水滸伝』 『三国志』 『項羽と劉邦』などなど。 手塚治虫とは比較されることの多い横山光輝ですが、 自分の方向性・可能性のために、 時には読者が戸惑うような(笑)ユニークな作品を発表し続けた、 いわば「芸術家肌」の手塚に対し、 あくまで読者を楽しませるためにさまざまな物語を実直に作り続けた横山は、 「職人肌」であったという見方もできるでしょう。 二人は、アニメーションに対するスタンスでもまったく違っていました。 自分の作品をアニメ化するために アニメーションの会社(虫プロ)まで作ってしまったほど アニメーションに対する思い入れの強かった手塚に対し、 横山は自分の作品のアニメ化に対しては現実的かつ寛容であったと言われています。 よく引き合いに出されるのが、 『マーズ』の最初のアニメ化(『六神合体ゴッドマーズ』)です。 そのアニメ化に際しては、 当時の子供向けアニメとして興行的に成功させるためにということで、 キャラクター造形に至るまでの作品の大幅な改変を提案されたのですが、 横山はそれを了承し、実際に成功を収めています。 そんな、「アニメは作る人にお任せ」の横山でしたが、 『超電動ロボ 鉄人28号FX』については、 鉄人28号の特色の一つである「リモコンで善悪が変わる」という設定が薄れたために 「あんなものは私から見れば、『ガンダム』だ」 と非難したという話もあるそうです。 つまり、 「変更するのはかまわないが、作品の質についても責任を持ってね」 というところだったのかもしれません。 中国の歴史ものとして1960年代、『水滸伝』を作った横山でしたが、 1970年代から『三国志』を描き始め、 1991年、『三国志』により第20回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞しました。 『三国志』は、結局完成まで1986年までの15年の時間を要し、 全60巻(文庫版は全30巻)というものすごい量に達します。 その後『項羽と劉邦』(1987年から1992年:全21巻)、 『史記』、『殷周伝説』と、精力的に中国の歴史ものを描いていきます。 晩年は病気を患い、療養していましたが、 2004年に日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞した。 同年4月15日朝方、自宅の火災で全身火傷を負って意識不明の重体となり、 同日22時に死去。 横山は生前ヘビースモーカーとして知られていましたが、 出火原因は寝煙草の不始末だったそうです。 横山は、アニメ化と違って自分の描いた作品そのものについてはこだわりが強く、 「私の納得できる最善の出来ではない」という理由で、 単行本化されない作品が多数ありました。 しかし横山の死後は 『ジャイアントロボ』等々のこうした作品が相次いで単行本化されています。 ファンとしてはうれしいことです。 実は、昨日『ジャイアントロボ』注文しました(笑) 来るのが楽しみです(*^_^*)
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どろろは、このごろ映画にもなったので、ご存知の方も多いと思いますが、 まずはマンガ版のストーリーをおさらいします。 戦国時代、武士の醍醐景光は魔神に「天下を取ること」を願い、契約として 自分の子を生贄として差し出します。 その結果、赤ん坊は体の48箇所を欠損した体で生まれ、 化け物としてそのまま川に流され、捨てられてしまいます。 これが百鬼丸です。 ある日百鬼丸はこそ泥のどろろと出会います。 百鬼丸はどろろを助けますが、どろろは、彼の左腕に仕込まれた刀に目を付け、 しつこく百鬼丸を付け回すようになります。 どろろをあきらめさせるために、百鬼丸は自分の生い立ちを語ります。 体の48箇所を魔物に奪われた百鬼丸は、体を奪った妖怪を1匹倒すごとに、 失った体の部分を1ヵ所取り戻すことができるということも説明されます。 むしろ面白がって(半分は強がりですが)ますます興味を持ってくっついて旅をすることになります。 そして、百鬼丸もどろろを憎からず思うようになります。 二人で旅を続け、魔物を退治し、二人の間には相棒とも友人とも呼べる絆が生まれます。 (この旅を続けて魔物退治という部分を省略して短いカットにしてしまったことは、映画版「どろろ」が叩かれる原因の一つなのですが。) そして、どろろは自分の生い立ちを思い出し、百鬼丸はそれを超能力で聞きます。 実は、この中でtakaが好きな「のこぎりのエピソード」があります。 そして、また旅が続きます。 物語の中盤、「ばんもんの巻」で、百鬼丸は自分の父醍醐景光と再会(といっても百鬼丸は覚えていないわけですが)します。魔物を退治する中で、自分の弟である多宝丸を斬ってしまった百鬼丸は、逃げるように父の下を去ります。 旅を続ける二人。 今度はどろろの父親が隠した財宝に群がる野党たちとの戦いが始まります。(それに魔物との戦いが絡む) その戦いが終わり、また旅を続ける二人。 物語の最後で百鬼丸は再び醍醐景光と対峙し、百鬼丸に敗れた景光は、妻とともに去っていき、百鬼丸はどろろに別れを告げるのです。 ごらんのように、この物語は 「どろろと百鬼丸のそれぞれのエピソード」と「二人の魔物退治の旅」が交互に出てくるという 構成になっています。 週刊誌連載と言うことで、(評判が悪いなどいろいろな理由で)連載が短ければ 「二人の旅」を削って、二人のエピソードだけ使い、 (評判がよくて)連載を延ばさなければならないときは、 二人の旅の部分を増やせるように考えた構成ではないかと思います。 (実際にこの連載は一度中断して再開するという経緯を辿るわけですが。) 手塚がこの物語を描こうと思ったきっかけは、そのころ評判のよかった二人の漫画家だといわれています。 一人は「カムイ伝」などの忍者もので「劇画ブーム」のきっかけとなった白土三平 もう一人は「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげる そう言われてみれば、時代劇で妖怪もの、二つをくっつけたような感じもします。 しかし、内容的には、手塚得意の人間ドラマ、 戦争に対する庶民の怒り、 異形のものに対する差別などが語られていきます。 特に「ばんもんの巻」では、当時まだ存在していたベルリンの壁や 現在も民族を分断する38度線に対する強烈な風刺が含まれています。 百鬼丸の「腕に仕込まれた刀」(他にも足には焼け水、鼻は爆薬など、体中に武器が仕込まれています)というアイディアは、いかにも手塚らしい斬新なアイディアです。 (子ども心にも「刀の柄の部分は曲がるの?}と思ったものです) 寺沢武一の「コブラ」(左手にサイコガンを仕込んでいる)や 大塚英志原作、田島昭宇作画の「魍魎戦記MADARA」のバトルギミックにも 影響を与えていると思います。 映画のレビューでも書いたように、ヒーローキャラである百鬼丸の評判が上がったため、 アニメではタイトルが途中から「どろろと百鬼丸」に変更されてしまいますが、手塚には不本意だったそうです。 それから、マンガ版では、どろろが女であることが読者に明かされるのは最終回でした。 それまで、随所にヒントを与えながら、最終回まで「謎」を引っ張っていくという手は、 「推理小説」の手法を取り入れたものと思われますが、「キャプテンケン」でも手塚は使っています。 「どろろ」を通して読んでみると、物語が途中で切れているような印象を持ちます。 実は最初「どろろ」は、「週刊少年サンデー」で連載されていたのですが、 一時中断して、その後「冒険王」という月刊誌で再開されて終結しているのです。 だから、どうしても、「終わり」という感じ部分が中間にあるのです。 そういうごたごたは、けっこう手塚の場合あるのです。 それから、「どろろ」というタイトルは手塚の友達の子どもが、 どろぼうのことを片言で「どろろう」といったことをヒントにしたものです。 次回は「横山光輝についてその1」を書こうと思います。 |
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突然ですが、久々に「プルートゥ」の新刊が出たんで、そろそろ書こうかと思いまして(*^_^*) takaは小さいときからマンガっ子でした。 手塚治虫の「鉄腕アトム」 横山光輝の「鉄人28号」 ちばてつやの「紫電改のタカ」 桑田次郎の「8マン」 赤塚不二男の「おそ松くん」 藤子不二雄の「オバケのQ太郎」 石森(石ノ森)章太郎の 「サイボーグ009」 水木しげるの 「墓場の(ゲゲゲの)鬼太郎」 ・・・・・・・・ もう少し大きくなってからは、永井豪の「デビルマン」 そんなマンガに囲まれて大きくなってきました。 さて、 手塚治虫は、「マンガの神様」なんて言われていますが、 結構他人の評価や他の漫画家を気にする(そういう意味では気の小さい)人で、 編集者や読者に言われて、 次回作の題材を決めたり(「どろろ」と「W3」など)、 マンガのスタイルを変えたり(「鉄腕アトム」など)してきました。 それだけでなく、他の漫画家に嫉妬したり、 プレッシャーをかけたりと、 ずいぶん人間的な一面をもっている人でした。 そして、アニメーションにも興味を持ち、自分で会社を興したりしました。 おかげで二束のわらじを履くことになり、ただですら原稿を描くのが大変なのに、 ますます忙しくなってしまい、 しまいにはマンガを他の人に描いてもらう(「マグマ大使」の後半)なんてこともありました。 アニメは子どものもの(大人の鑑賞には堪えられない) という評論家に対して、 「大人向けのアニメーションはどうあるべきか」 なんてことまで真面目に考え始め 七転八倒することになりました。(「千夜一夜物語」「クレオパトラ」「悲しみのベラドンナ」) だから、 「神様」なんて呼ばれていますが、 「人もうらやむような人生を送った」ということではないようです。 takaが手塚作品で好きなのは、「ブッダ」「火の鳥」 宗教がかったのが好きなのはtakaらしいと自分でも思います。 「ブッダ」は仏陀の生涯を壮大なスケールで描いたマンガで、 「火の鳥」は、生命をテーマに「生命そのもの」の誕生からその終わりまで描いたマンガです。 長編読みきり連作みたいな感じで描き続けられました。 それぞれに「鳳凰編」「未来編」「復活編」などのタイトルが付いています。 残念ながら未完です。 その他にも「きりひと賛歌」「アドルフに告ぐ」「ライオンブック」なども好きな作品です。 手塚治虫がどんな人間であれ、 残された作品の質と量、 そして私たちへのメッセージは、天才と呼ばれるに値するものだと思います。 次回からぼちぼち作品についてレビューをしてみたいと思います。 まずは、「どろろ」から マンガらしく次回予告をして終わります(笑) |
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<はじめに> とてもマニアックな内容です。 しかも、takaが勝手に考えたフィクション(妄想?)ともいえる内容です。 だから、二ノ宮知子さんをおとしめようとか、けなそうとか、そんなことは、さらさら考えていません。 もし、万が一ご本人が読むことになっても、ジョークですので、許してください。 それから、こんな感じの<マニアックなこと>にアレルギーがある人は読まないでくださいね。 それから、著作権で引っかかるのはいやなので、絵は載せないことにします。 だから、『のだめカンタービレ』をもっていない人は、買ってから内容を楽しんでください。 持っている人は、1巻から8巻までそろえてから読み始めてください。 では、始まります。 <1巻> 知子さんは、連載を引き受けたものの、まだ自信がありませんでした。 だから、指揮者の手を描くのは、びびっていました。 P16セバスチャーノ・ヴィエラの手5コマのうち1コマ。 とても基本的な手の形の左手にしました。何とか切り抜けました。 P92小さい全身像。当然手も小さくなりました。(ホッ) <2巻> 連載も順調に進み、楽しくなってきましたが、指揮者の手を描くのは、まだ自信はありませんでした。 P112シュトレーゼマンの指揮のバストショット。 ようやく指揮者の両手が登場しますが、カットとしては小さくしました。 P158千秋の指揮棒を握る手が登場しました。 しかし、カットも小さく、指揮棒もうまく握れませんでした。 P159千秋の両手。ここは、千秋もやる気なく振っているところだから、「これは、止まった感じでもいいか。」と自分を慰めました。 P162は、吹き出しで隠れるようにしました。 P163ちいさいコマにしました。手も小さくしました。 P166手は見えません。 P172シュトレーゼマンの両手。 これは、かなり大きくしましたが、指揮棒を持つ手が厳しかったです。 「ちゃんと練習してるのだけどなあ」と知子さんはブツブツ言いました。 <3巻> P46スタートの手左手その横の小さいコマ P47ティンパニへの指示。こまが小さい。 P48小さいコマ と、小さいコマにしました。 P164〜Sオケのベートーベン<英雄>の指揮のシーンP168の「ここだろ」の左手は力強く描きましたが、あとは、ほとんど手が切れるように描きました。 <4巻> ここでは、ストーリー的には指揮者の手を書く必要がなく、知子さんは、一息つくことができました。 そして、今までの自分を振り返って、仕方なく指揮者の手を描くのでなく、指揮者の手を描くことで、ストーリーを盛り上げようという、居直りにも似た境地になったのでした。 それとともに、自分でもびっくりするくらいに手がうまく描けるようになってきたような気がしました。 <5巻> P74〜<ラフマニノフピアノ協奏曲2番>千秋のピアノを弾く手が力強く表現して、すばらしい演奏を強調することに成功しました。 そして、第1楽章、シュトレーゼマンの手両手が初めて表情豊かに登場させました。 そうなると、現金なもので、第3楽章小さいコマのシュトレーゼマンの振り下ろす手も小さいながら力強く描けるようになりました。(ルンルン) <7巻> ここまで来ると、一皮向けた知子さんは、怖いものはありません。 P150上のコマ小さい手にも表情があります。 顔のそばにはこれまでと逆に、手が出てきて効果を高めます。P172・173も同様です。 <8巻> そして、圧倒的なのは、P36〜<ブラームス交響曲1番> ティンパニの美しい手から始まって、P38下の指1本1本に表情をつけたような渾身の手の描写 P40「来い!」P41「歌え(カンタービレ)」と言っているようなの手の表情。 知子さんは「私、手を描くのが楽しくなってきた」とひとりニンマリしながら独り言を言うのでした。(終)
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