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ドビュッシー:
・喜びの島
・ピアノのために
・『映像』第1集より『ラモーをたたえて』
・版画
・小さな黒ん坊
エリック・ハイドシェック(ピアノ)
録音:1975年(ステレオ)
これは期待に違わない素晴らしい演奏だ。ショパンの音楽と違ってドビュッシーのピアノ曲はちょっと捉えどころが難しいというか、とりとめがないところがあって、ガシっと来る前にどんどん移ろって行ってしまうところがある。それがこの音楽の面白いところでもあるのでピアニストにはそこを何とか表現しきってほしいのだが、率直に言って生真面目に弾きすぎるピアニストの演奏は全然面白くない。多彩な音色と重すぎない打鍵に無限のイマジネーションを持っているピアニストだけがこの世界を表現できると思う。
本来フランソワはその最右翼のはずなのだが、大変残念なことにフランソワのドビュッシー(前奏曲1曲と練習曲集数曲が欠けた未完の全集)はほとんどが60年代後半の晩年に録音されたもので「ノリ」が少し重いのだ。決して悪い演奏ではないのだが、絶好調のフランソワならもっとはじけた演奏ができたはず、という思いが捨てきれない。
コルトーの最後の弟子にあたるハイドシェック(ということはフランソワは兄弟子だ)のドビュッシーは、その満たされない思いを充足してくれる。ドビュッシーはこのくらい自在なテンポとキラキラした音色で聞きたいものだ。それにハイドシェックがフランソワと決定的に違う(というか私がそう勝手に理解している)のはハイドシェックは恐らく人生に対して大変に肯定的なイメージを持っているであろうという点だ。
フランソワの陰りのある演奏は芸術家の苦しみ(あるいはフランソワの個人的な悩み?)を常に感じさせる。私はそういうデリケートな部分に反応してしまうタイプの人間なので、特にショパンの演奏においてフランソワの演奏は決して真似ができない孤高の領域に達していると思う。
だがドビュッシーの音楽は悩み多きショパンとは少々異なる観点を必要としているような気がする。もっと気持ちをポジティブに持って前へ前へと進んでいくような、まあいろんなことがあって人の気持ちも世の中も移ろって行くのだけど、それでもその先はまたあるのだよ、と言っているような音楽に私には聞こえる。だから(決してドビュッシーがふざけた音楽を書いているというわけではないが)あんまりクソまじめに弾くと全然面白くないのだ。
(当然のことながら)私はフランソワには直接会ったことがないので公平な比較ではないのだが、ことドビュッシーに関してはハイドシェックはフランソワ以上の適性があるのではないだろうか。私にはハイドシェックのドビュッシーは「大丈夫、大丈夫、何とかなるよ」と言っているように聞こえてならない。ドビュッシーが向いているピアニストには「根アカの人」という要件も入れておいたほうがよさそうだ(笑)。
ピアノ音楽の愛好家にぜひお勧めしたい。2巻の前奏曲集も出ている。
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おめでとうございます!今年もまたよろしくお願いしますね!
ハイドシェックの演奏は宇和島ライブがどれも味わいのある名演奏でしたね!また同時期に録音されたベートーベンのソナタ(デンオン)16番「田園」ほかもまさにポエムといって良いような演奏でした。
ドビュッシーの演奏では往年のギーゼキングの演奏がやはり良かったですね!録音こそ古いものですが、その音色は容易に他の追従を許すものではありませんでした!
2011/1/1(土) 午前 2:54 [ maskball2002 ]
おめでとうございます。こちらこそ今年もよろしくお願い致します。
なかなか書き込める機会を見つけられないのですが、maskballさんの幅広い分野への見識には頭が下がります。
ギーゼキングの古い録音は昔聞いたのですが、私には結構しんどかったです(^^;
どこを押さえたらよいのかツボをご教授下さい。
2011/1/1(土) 午後 4:02 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]