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・シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化
・ショパン:ピアノ・ソナタ第2番
・ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
・ラヴェル:夜のガスパール
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(ピアノ)
録音時期:1973年10月29日
録音場所:東京文化会館
録音方式:ステレオ(ライヴ)
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第4番変ホ長調 作品7
・シューマン:謝肉祭 作品9
・ガルッピ:ソナタ ニ長調より(アンコール)
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(ピアノ)
録音時期:1973年10月20日
録音場所:東京、NHKホール
録音方式:ステレオ(ライヴ)
シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化 作品26、謝肉祭 作品9
ドビュッシー:映像第1集、第2集〜4曲
ショパン:幻想曲 作品49、バラード 第1番 ト短調 作品23
モンポウ:歌
ショパン:ワルツ 変ホ長調 遺作
録音:1957年3月4日 ロンドン〈モノラル録音〉
ミケランジェリが一躍有名になったのはコルトーが審査員長を務める1939年のジュネーブ国際コンクールで優勝した時である。コルトーは「リストの再来」と激賞したと伝えられる。それによりミケランジェリは戦前から世界の一流ピアニストとして認識されSP時代から録音が残っている。
コンクールの審査はもちろん公正に行われているだろうが、やはり人がするものなので審査員と審査結果というのはやはり何らかの因果関係があるような気がする。ミケランジェリが審査員を務めた1955年のショパンコンクールでアシュケナージは2位にとどまり、ルービンシュタインが審査員を務めた1960年のショパンコンクールではポリーニが優勝した。
コルトーやミケランジェリがピアノに求めているものとルービンシュタインやポリーニがピアノに求めているものは違うのではないだろうか? もしミケランジェリが1960年の審査員でルービンシュタインが1955年の審査員だったとしたら歴史はどう変わっていたか? (ひょっとしたら1955年にアシュケナージが優勝して、1960年にポリーニが優勝しないという結果もありえたかも?)
ミケランジェリはコルトーやフランソワほどロマンティックなスタイルではないが、重すぎないタッチで多彩な音色を引き出す点や「鍵盤上のノイズ(上部雑音と言うそうだ)」を出さない奏法という点で共通している。
ピアノという楽器はバイオリンやギターのように自分で弦を弾いているのではなく、鍵盤を指で叩くとそのアクションが増幅されてハンマーが弦を叩く仕掛けになっていて、そういう意味では打楽器なのだ。なのでピアノの弦の本来の響き以外に、指が鍵盤に当たる音やハンマーが弦に当たる音が聞こえてくる弾き方をしているピアニストも多い。実はポリーニのCDは録音が良いせいもあってほとんどの録音でハンマーが弦を叩く音も入っている。
そういう重たい弾き方しか知らない人はピアノとはそういう楽器だと思っているようだし、微妙な指摘には違いないのだが、私はそういう弾き方は鍵盤と喧嘩をしているようで好きではない。ハンマーに引っぱたかれて弦が悲鳴をあげているようでピアノが気の毒にすらなってしまう(笑)。
フランソワにしてもミケランジェリにしてもハイドシェックにしても、私の好きなピアニストは全てそういう弾き方はしないのだ。私はピアノは少ししか弾けないが、そういう「引っぱたく」ような弾き方をしていたら0か1かのデジタルな音しかでないと思う。MIDIで再生したコンピュータミュージックのようでニュアンスがないのだ。
現代のピアノは性能が良いのでそんなに引っぱたかなくてもちゃんと音は出る。1センチあるかどうかの鍵盤の深さを100分の1単位で微妙に弾き分けるには鍵盤と喧嘩しない弾き方が必要だと思う。スタンウェイの場合、鍵盤に指が当たる音やハンマーが弦に当たる音を出さなければ「カンカン」という感じの澄んだ響きになるので録音でも聞き分けることは可能だ。
私が知る限り他に現役のピアニストでそれをやっているのはミケランジェリ門下のアルゲリッチだけだ。ミケランジェリは多くの弟子をとったそうだが、この奏法の伝統が途切れないことを切に祈りたい。
ショパンやドビュッシー、ラベルと並んでシューマンを好んだ点でもミケランジェリはコルトー譲りだ。シューマンもドビュッシー同様に幻想的なピアノ曲を好んで書いたが(シューマンのピアノ曲は全て「幻想曲」あるいは「幻想小曲集」というタイトルをつけて出版できる内容だと思う)、ドビュッシーのピアノ曲よりもアンニュイな気分におおわれているのでミケランジェリにはまさにピッタリのレパートリーだ。
特に「ウイーンの謝肉祭の道化」と「謝肉祭」は好んで取り上げた作品だ。数種類の録音が残されているが比較的最近CD化された1973年の来日時の演奏が輝かしい音色の中にシューマンの移ろいやすい気分を表現していて良いと思う。
この時、私は生では聞いていないが「幻のピアニストの来日」と雑誌でかなり大きく取り上げられていたのは良く覚えている。NHKホールの開館に合わせて全く同時に来日したカラヤンBPO並の扱いだったと思う。DGがショパンやドビュッシーのアルバムを来日に合わせて大々的に宣伝していたのも良く覚えている。今にして思えばミケランジェリの最も良かったころだろう。案の定初日をキャンセルしたことも記事になっていた(この時は律儀にも翌年穴埋め公演のために来日したらしい)。私はてっきりこの73年が初来日かと思っていたが、初来日は65年だそうだ。
録音も良いが、NHKが収録した「謝肉祭」の方はマスターテープが存在しないそうでエアチェックされたオープンリールからのCD化のため少しヒスノイズがある。FM東京が収録した東京文化会館の演奏はミケランジェリのライブで最も良い音質だろう。ショパンのソナタやラベルも正規録音を残さなかったのでファンに歓迎されるだろう。
同じ曲の1957年の演奏もCD化されているが、これは思った以上に威勢の良い演奏でミケランジェリも若い頃はこんな演奏をしていたのかと少々びっくりする。テンポも明らかに早い。
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ミケランジェリは90年に一度だけサル・プレイエルで聞きました。ティルソン=トーマス指揮ロンドン響のバックでベートーベンの3・5番を一晩で弾くはずが、3番だけになるというサギみたいなコンサートでしたが、ベートーヴェンででさえ、音楽の深い奥底から湧き上がってきてたゆたうような不思議な音色感が忘れられません。後にも先にも聞いたことがないピアノの音でした。アンコールにショパンを1曲だけソロで弾いてくれました。彼は何でも朝からホールに調律士と2人で1日中こもり、ティルソン=トーマスさえ中に入れなかったそうです。
確かに余計な力の入らない軽やかな運指でした。そう、アルゲリッチもそうですね。クラウス、グルダ、ルプー、ペライアなんかも。昔のマガロフ、リンパニーなんかも一種飄々とした運指でした。
2011/1/5(水) 午前 8:25 [ 助六 ]
私は正反対の叩き抜くタイプのポリーニも大好きですが、仏系ピアニストでも、最近のグリモーやミュラロなんかはかなり叩くタイプですね。チッコリーニも叩きつけるのではないにしてもかなり強く鍵盤を押さえるタイプでしょう。
ロシア派ピアノの愛好者はロシア派のテクニックの真髄はビロードのようなレガートにあることを強調しそれも一面の真実だけど、実際には現代の大半のロシア派ピアニストを聞いて耳に残るのはまずガンガン叩く強音ですよね。キーシン、ヴォロドス、マツーエフ、ブーニン、ソコロフ、ジルベルシュテイン、ベルマン、モギレフスキー、かつてのポゴレリッチとかみんなそう。リヒテルだって。これはどこからどう始まった伝統なんでしょうね。そんな中でアシュケナージはちょっと違ったし、ルガンスキは全くの例外と思います。
2011/1/5(水) 午前 8:25 [ 助六 ]
助六さんコメントありがとうございます。
ミケランジェリのベト3をお聞きになられたのですね。それはうらやましい。3番だけでも弾いてくれただけおんの字ですね。
確かにミケランジェリとポリーニは同じイタリア人ですが非常に異なる演奏法です。後期(70年代後半ぐらいから?)のミケランジェリはソフトペダルをかなり多用した演奏スタイルになったという証言もあるようですが、どうでしたでしょうか?
上部雑音についてネットで調べたら、リヒテルは自分の演奏の上部雑音の大きさを気にしていたそうです。そのことが晩年バッハやシューベルトなど渋い曲ばかり弾くようになったことと関係があるのか、ないのか?
2011/1/6(木) 午後 1:18 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]
私がリヒテルのソロ・リサイタルを初めて聴いたのは88年で、その時ガーンと叩く最初の和音からしてよく言われる「思わず椅子にしがみ付きたくなるような」圧倒的に強靭な物理的・精神的集中力に度肝を抜かれリヒテルの何たるかを知ったんですが、デモーニッシュなリヒテルを体験したのはこの時が最初で最後でした。その後、晩年90年代のバッハは指は衰えてもその巨大な音楽は感動的でしたが、「テンペスト」などは「何で今あえて『テンペスト』を?」と自問してしまう演奏でした。やはり指と精神力の衰えは否めないとは思いますが、彼が上部雑音を気にかけていたという事実があるのなら、晩年にもう一度あのような「テンペスト」演奏をやってみたことに一応の納得は与えてくれる気がします。
2011/1/8(土) 午後 0:28 [ 助六 ]
ユーリ・ボリソフというロシアの演劇人がリヒテルの談話を記録した2000年出版の本がありまして、92年の発言として次のようなリヒテルの言葉が記録されてました。
「私の(この6年間の)『収穫』というと、ピアノを弾くのが下手になり始めたということだね。誰しも逃れることは出来ない。私も段々力が衰えている。私はかつては耳をつんざく雷鳴と言われたが、今や避雷針になった。でも避雷針は必要なものだ。もちろん私がしばしば下手に弾くと言うのは誤りで、例えばモーツァルトは私は初めて満足のいく仕方で弾けるようになった。」
(…読み終わったというプルーストの「囚われの女」に出てくるベルゴットとフェルメールの『デルフト眺望』にふれた後…)
「私が何を夢見てるか分かるかね? デルフトで演奏すること! 画家が立っていた場所でね。小さな家があるけど上階にピアノを置くんだ。フェルメールは明らかに上階から描いているからね。ひっくり返るまで24時間ぶっ続けで弾くことを夢想している。聞きたい人には家の脇の砂地に座ってもらう。」(…)
2011/1/9(日) 午後 1:30 [ 助六 ]
「小曲だけを弾く! これから何を弾くかを決めるには窓から外を見る。太陽の位置、雲の厚さ、光の斑の具合に応じてね。
夜の始まりにはもちろん『月の光が降り注ぐテラス』。ブラームスの間奏曲をいくつか。シューマンの『ナハトシュトュッケ』最終曲。これらは夜の音楽だ。
曙にはシューベルト。彼は絶対早起きだったからね。レントラー2曲と『楽興の時』の一番長いやつ。その後にまたドビュッシーで、練習曲第10番!ぴったり出番だよね。
朝課代わりにバッハ。『兄の旅立ちに寄せるカプリッチョ』、『幻想曲ハ短調』。
明け方曇っていればモーツァルトの『イ短調ロンド』。フェルメールの絵の通り晴れればベートーヴェンの『ト長調バガテル』。この二つは同じ心情で、対岸への眼差しということ。」
以下も魅力的な曲目と夢想が続くんですが、傾向は分かったと思うのでこの辺にしておきます。リヒテル晩年の心情、ピアノの技法とレパートリーについての考えは良く分かると思います。
2011/1/9(日) 午後 1:31 [ 助六 ]
演奏スタイルとレパートリーを変えざるを得ない演奏家の苦悩と葛藤が伝わってくるような文章ですね。大変興味深いと同時に胸が痛い気もします。彼は最晩年に来日だけはしたものの、ついに1回も演奏できずに全部キャンセルして帰国したこともあるそうですね。気持ちだけは昔のままでもついていかない体とのギャップが痛いです。
2011/1/9(日) 午後 8:39 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]