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連日暑い日が続いていますが皆様体調を崩されたりしておりませんでしょうか。私もさすがにクーラーをつけたいなと一瞬思いましたが、何とか踏みとどまりました。家にいるときは近くのプールや図書館に行くなどしてしのいでいます。
おかげさまで本日50000アクセスを達成することができました。愛読して下さっている全ての皆様に感謝申し上げます。40000アクセスってそんなに昔ではなかったなあと思って確認してみたところ4月21日でした。3カ月半で10000アクセスというのは私としては結構速かった感じがします。書きたいことがたくさんあって、このところ比較的マメに更新しているからかもしれません。
最近は聞いているだけで作曲家が語りかけてくるような気がする瞬間すらあります。書いている時間がもっとあればいいのですが、頭からパソコンに直接インプットする方法が発明されないものでしょうか(笑)。
「ルートヴィヒ/リートの夕べ〜R.シュトラウス、ヴォルフ」
・R.シュトラウス:
見出されたもの/夜/あすの朝/万霊節/憩え、わが心/
・ヴォルフ:
希望の復活/朝早く/庭師/アナクレオンの墓/語らぬ愛
・同:「スペイン歌曲集」より、
私の髪のかげに/花で私をおおって/私は罪をにない、御恵みをうけ
・R.シュトラウス:
あなたは私の心の王冠/出会い/帰郷/
ああ恋人よ、私は別れねばならない/サフラン/献呈
・ヴォルフ:ゲーテの詩による4つのミニョンの歌
(以下アンコール)
・リスト:愛し合うことは素晴らしいことだろう
・ヴォルフ:ずっと前からあこがれていた
・チャイコフスキー:ただあこがれを知る者だけが
・ヴォルフ:つきることのない愛
【演奏】クリスタ・ルートヴィヒ(MS)エリク・ヴェルバ(P)
【録音】1984年8月7日、ザルツブルグ祝祭大劇場(ライブ、ステレオ)
(下記サイトに試聴あり)
http://tower.jp/item/1026366/Strauss,-R;-Wolf:-Lieder
このディスクはルートヴィヒとウェルバが1984年のザルツブルグ音楽祭で開催したR.シュトラウスとヴォルフの夕べだ。先日の1963,1968年のリサイタルからは約20年の歳月が経っているが、2人とも衰えの類は一切感じさせない。会場が祝祭大劇場に変わっているのはちょっとびっくりだ。あそこはかなりだだっ広い会場らしいので声が隅まで届くのか心配になるが、この年で言うとプライやレオンタイン・プライスも大劇場でリサイタルを行っている。一方、フィッシャー=ディースカウ、ベリー、バトルは小劇場を使っている。1982年のリサイタルでもルートヴィヒとプライは大劇場、F=Dは小劇場を使っているのでこれは歌手の意向を反映していると考えて良いのではないだろうか?
F=Dの声は生で聞いても決して小さな声ではなかったが、非常に大きな声という訳でもなかった。これは本人も自覚していたようで、例えばクレンペラーのドイツ・レクイエムでF=Dの声だけマイクのボリュームを明らかに上げてあるのは声量に対するコンプレックスの表れだと思う。F=Dがリサイタルに小劇場の方を使ったのは正しい選択ではないだろうか。私はサントリーホールで聴くことができたがこれは大変幸いなことだ。ルートヴィヒは大劇場派だったようだが、大劇場だと残響も多くなることはこの録音でも分かる。マイクまでの距離でこの調子だと、遠い席ではきちんと聞こえないだろう。ひょっとしたらこのCDで聞いた方が良く聞こえるかもしれない。
助六さんのコメントして下さったルートヴィヒの回想録によると、リサイタルのプログラム構成についてはウェルバは「3部からなるべき。ひとつは批評家連中に音楽学知識をひけらかす機会を与え、もう一つは聴衆を楽しませるため、3つ目は演奏家自身の楽しみのため」といつも言ってたそうだ。
このディスクはR.シュトラウスとヴォルフを中心に73分収録しており、1枚のディスクに収めるために何曲かカットしたかもしれないが、恐らくこの晩の演奏がほとんど収められているだろう。R.シュトラウスとヴォルフだけだと3部ではないのでは?、と思ってしまいがちだが、実はシュトラウス5曲、ヴォルフ8曲、シュトラウス6曲、ヴォルフ4曲と交互にプログラミングされており、これのいずれかが批評家向け、聴衆向け、自分向けに割り当てられているものと考えられる。どれがどれなのかは本人に聞かなければ分からないが、それを予想しながら聞くのもまた楽しいものだ。
今回一つ気がついたことは、オペラ歌手のリサイタルは有名で派手なアリアが入っているのでともかくとして、純粋にリートのリサイタルはライブCDの方がプログラミングが多彩で飽きないということだ。本当に正直に告白してしまうと、私はリートのCDを1枚聴き続けていると結構飽きてきてしまう。冬の旅ぐらい有名な作品であればストーリーが分かるし対訳も手に入りやすいのでまだいいが、歌詞も対訳もなければ間違いなく1枚もたないだろう。一度止めて何度かに分けて聞くことになる。このディスクも歌詞も英訳も何も入っていないのは残念だ。そういうCDの作り方をしていると、分かっている人しか買えなくなるので市場が小さくなってしまうと思う。PDFでいいから歌詞と英訳ぐらいは入れておいてほしい。でも、とにかくリートはライブに限る。
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>F=Dは小劇場を使っているのでこれは歌手の意向を反映している
私は1980年のザルツでルートヴィッヒとヴェルバの「冬の旅」を聞いたんですが、やはり祝祭大劇場でした。カラヤンの意向で建った約2200席の大きなホールで、私はてっぺんの席でしたが、まだ実演の経験が少なかった頃だし、特に不満はありませんでした。彼女はその後パリでもシャトレ(2000席)とシャンゼリゼ劇場(1900席)でやりましたから、大ホールにも大きな抵抗はないんでしょうね。彼女は声をナチュラルに放射させる堅固な技術を持ってる人ですから、シャトレのてっぺんからでも、ニュアンスと音色は伝わってきて、私は感動しました。もちろん人間の耳は相対的極まりなく、劇場音響は休憩挟んで席を変えてみなければ絶対に把握できませんから、後半下に降りて聞いたら「!!!」だったかも知れませんが。ただ歌のリサイタルでも平土間の前過ぎても、倍音が抜けてカワカサになっちゃいますしね。
まあルートヴィッヒの場合は、自分の発声技術に自信があった上、ソプラノ・コンプレックスも手伝いカネも欲しかったということかな(笑)。
2011/8/9(火) 午前 8:29 [ 助六 ]
それで「冬の旅」なんですが、リートの経験が限られていた私は女声で歌われるのに面食らい、何か入り込めず仕舞いでした。1曲目の後に拍手が出てしまうザルツのドン底客筋にも呆れました。このリサイタルはNHK・FMでも放送され、解説者も当惑してましたけど。
誰でも基本的にリートの会は小さめのホールを好むでしょうが、経済的理由で大きなホールを使うにしても一定以上の集客力がある人じゃなければダメでしょうし、スターが敢えて小ホールを選ぶ場合は、キャラで妥協を強いられるか、F=Dみたいにチケット代吊り上げても満員に出来る人じゃなきゃ難しいでしょうね。
実際、ルートヴィッヒのザルツ・リサイタルも余り人気がなくて数日前でも安いチケット含めごっそり残ってたので、私でも潜り込めたのでした。
F=Dも少なくとも私が知ってる頃は、パリではいつも2300席のプレイエル(今は改修後1900席に減りましたが)を使ってましたし、私がベルリンで聴いたリサイタルは、1900席近いベルリン・ドイツ・オペラででした。
>CDで聞いた方が良く聞こえるかも
そういう訳で、歌手と音響によりと思いますが、あり得ることですね。
2011/8/9(火) 午前 8:29 [ 助六 ]
>1980年のザルツでルートヴィッヒとヴェルバの「冬の旅」を聞いた
これ私もエアチェックしました。長い曲なのでカセットデッキを2台用意したのを覚えています。でも私も全然ピンときませんでした(笑)。この時期この曲はF=Dがあまりにも絶対視されていたし、F=Dのように男声用と女声用を厳格に分けるのが当然のように思われていたことも影響していると思います。でもそういう時代に冬の旅に敢えて挑戦したルートヴィヒはパイオニアですよね。今先入観なしでもう一度聞けばいろいろなものが聞き取れそうです。たしかこの数年後にDGに録音していたと記憶しているので探してみようと思います。助六さんは貴重な演奏会をお聞きになられましたね。
大劇場のオペラやオケの録音はあまり良いものがないので3000席ぐらいあるだだっ広いホールなのかと思っていたのですが2200とはそれほどでもないのですね。このルートヴィヒのディスクはそんなに悪い響きではないと思うのですが、なんでなのでしょう? カラヤンの新しい方のばらの騎士などはNHKホール並みの響きに聞こえます(笑)
2011/8/10(水) 午前 6:04 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]