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モーリス・ラヴェル:左手のための協奏曲
[ピアノ]ヴラド・ペルルミュテール
[指揮]ジャック・ボードリー[演奏]フランス国立放送管弦楽団
[収録]1966年メゾン・ド・ラジオ・フランス(パリ)[映像監督]ジャン=クロード・ド・ヌズル
http://www.classica-jp.com/program/detail.php?classica_id=CE1031
ラヴェルは1937年12月28日に亡くなった。1932年にパリで交通事故に遭い後遺症の記憶障害に悩まされ、自作の「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聞いて「この美しい曲は誰の作品だ?」と聞いたという悲しいエピソードも残っている。
ペルルミュテールは2002年9月4日に亡くなったので今年が没後10年にあたる。ユダヤ系ポーランド人(1904年ポーランド領コヴノ、現リトアニアのカウナス生まれ)だが、10歳の時にフランスに移住、13歳でパリ音楽院に入りモシュコフスキとコルトーに師事したのでフランスのピアニストとして扱われることが多いようだ。私の好きなピアニストの一人だ。
1927年にラヴェル本人から全作品の演奏法を直々に師事したラヴェルのスペシャリストとしても知られる。HMVの紹介によるとラヴェルはペルルミュテールのことを「小さな真珠」と呼び、その才能を愛したそうだ。演奏会でラヴェルはピアニストにあまり細かい指示を出さなかったそうで、そのためかラヴェルのピアノ作品は当時から様々な解釈がなされていたそうだ。ペルルミュテールは1950年代と70年代の2回、ラヴェルの作品全集を録音しており、これはラヴェルのオリジナルの意図を伝える貴重な演奏として知られている。
1930年に書かれた「左手のための協奏曲」は第一次世界大戦で右手を失ったピアニスト、パウル・ウィトゲンシュタイン(哲学者として知られるウィトゲンシュタインの兄)のために書かれたもので、ラヴェルが早すぎる晩年に残した4つの作品、すなわち『ボレロ』(1928年)、『左手のためのピアノ協奏曲』(1930年)、『ピアノ協奏曲 ト長調』(1931年)、『ドゥルシネア姫に心を寄せるドン・キホーテ』(1933年)の一つである。ジャジーな感覚に溢れたこの作品が、ラヴェルが1928年に初めてアメリカを訪問し大成功に終わった演奏旅行の成果を反映しているのは間違いないだろう。
クラシカジャパンで流れているこの映像はペルルミュテールがラヴェルを演奏している貴重な映像だ。ライヴなので若干のミスタッチはあるがジャジーな感覚は出しつつも崩れすぎず格調高い演奏でラヴェルが意図したであろう解釈が伺える。手首がやや下がった弾き方(これは師のコルトーや同門のフランソワにも共通するが)も確認できる。番組のテロップによると、コルトーがこの曲を弾くときに右手も併用したことがあり、ラヴェルは怒ったそうだ。
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私は80年代終わりにシャトレでただ一度だけ晩年のペルルミュテールのリサイタルを聴いたことがあります。ラヴェルのピアノ曲全曲演奏でした。
最初の和音からして天井桟敷から頭を伸ばさずにはいられない不思議な音でした。
澄み渡った冷たい透明な音なんですが、聴くもののハートを射抜いてしまうようなとでも言うのか後にも先にも耳にしたことがない音でした。
さすがに指は衰えており右手と左手がずれてしまうことさえありましたが、そんなことはどうでもよいと思ってしまうくらい、弾きぶりもどこにも力が入らず飄々と進むようでありながら凛とした気品に貫かれ、最後まで耳が離せませんでした。
私が今まで接した中でも最も不思議に美しいピアノでした。
ミケランジェリも類例のない不思議な音でしたが、魂を抜かれてしまうような不思議な貫通力という点では、私はむしろペルルミュテールの方に今でも「あれは何だったんだろう」という強い印象を残されてます。
2012/12/31(月) 午前 9:55 [ 助六 ]
今年も素晴らしい記事に多くを教えられました。
当方も先月から色々野暮用があり、今頃のコメント投稿お許しく下さい。
よい年が来ることを祈りましょう。
マイペースでお続け下さい。
2012/12/31(月) 午前 9:57 [ 助六 ]
ペルルミュテールを生でお聞きになったのですね。それは素晴らしい。
しかも80年代末になってもラベルを全曲演奏していたのですね。彼は何度か来日していたようで日本人の弟子も多いようですが私は聞けませんでした。
2013/2/9(土) 午後 7:09 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]