|
・ヴェルディ:歌劇『椿姫』全曲
ヴィオレッタ:エヴァ・メイ
アルフレード:ピョートル・ベッツァーラ(ベチャワ)
ジョルジョ:トーマス・ハンプソン
フローラ:カタリナ・ペーツ
アンニーナ:イレーヌ・フリードリ
ドゥフォール:ヴァレリー・ムルガ
ガストーネ:ミロスラフ・クリストフ
ドビニー:ラインハルト・マイアー
グランヴィル:ジュゼッペ・スコルシン
チューリッヒ歌劇場管弦楽団&合唱団
指揮:フランツ・ヴェルザー=メスト
収録: 2005年 チューリッヒ歌劇場(ライヴ)
http://www.youtube.com/results?search_query=traviata+mei&sm=3
ヴィオレッタの第1幕のアリア(ああそはかの人か)と第2幕のアリア(さようなら過ぎ去った日よ)の2番の歌詞(第二節)はなぜカットされてしまうのか、この「2番問題」を探るため80年代以降の主なヴィオレッタの演奏(ライブに限定した)をチェックしたところ、若い世代になるにつれて2番も歌う傾向が強いことが明らかになった。
コトルバス(1939〜) 1幕× 3幕×(メット公演1981年)
グルベローヴァ(1946〜)1幕× 3幕○(フェニーチェ座公演1992年)
マクローリン(1954〜) 1幕× 3幕○(グラインドボーン公演1988年)
アリベルティ(1957〜) 1幕× 3幕×(東京公演1988年)
フレミング(1959〜) 1幕× 3幕○(2007年)
ゲオルギュー(1965〜) 1幕○ 3幕○(ロンドン公演1994年)
メイ(1967〜) 1幕○ 3幕○(チューリヒ公演2005年)
チオフィ(1967〜) 1幕○ 3幕○(フェニーチェ座公演2004年)
ネトレプコ(1971〜) 1幕× 3幕○(ザルツブルグ公演2005年)
ダムラウ(1971〜) 1幕○ 3幕○(スカラ座公演2013年)
まず3幕アリアの2番を歌い始めたのは私が調べた範囲ではマクローリンの1988年の公演(だいぶ以前にLDで出ていた演奏)が最初だ。ヴィオレッタで一世を風靡したグルベローヴァもここを歌っているので、90年代以降ここを歌うのが普通になったのはグルベローヴァの影響が大きかったのではと想像される。クライバーは76年の録音でこの部分の演奏を拒否したことが伝記で明らかになっているので、1989年にクライバーとグルベローヴァがメットで共演した際はここを歌ったのかどうなのか気になるところだ。お聞きになった方がいらしたら教えて頂きたい。一方で1幕アリアの2番は依然としてカットしている。これは「花から花へ」がすぐに続くのでその分の体力を考慮したものと考えられる。
1幕アリアの2番を歌っている演奏が3つも見つかったのは嬉しい驚きだが、これが本人の意向なのか指揮者の意向なのかは微妙なところだ。ゲオルギューが歌っているショルティ盤は2幕の2つのカバレッタの余り意味のない繰り返しも忠実に演奏しているので、1幕アリアの2番も全曲を演奏するというショルティの意向だったのではと推測される。ゲオルギューはまだ20代だったので巨匠ショルティ(最後のプレミエ)に向かって「私は2番も歌いたい」とは言いにくいだろう。マゼール指揮のチオフィの演奏は1853年の初演版を復元した特殊な演奏なので、これも指揮者の意向だと考えられる。この版については別記事にしたのでそちらを読んでほしい。
特筆すべきはメイの演奏だ。メストの指揮は2幕のアルフレートのカバレッタの繰り返しをカットしているので特に全曲演奏を意識したものではない。それにも関わらず2番の歌詞を歌っているのは、メイ自身の強い希望によるものと想像される。ヴィオレッタという役に対する強い愛着が感じられて好ましい。21世紀のヴィオレッタはこうであってほしい。これらの演奏と比較するとネトレプコが1幕アリアの2番をカットしてしまったのは時代の流れに逆行していてちょっと残念だ。指揮者がグルベローヴァ盤と同じリッツィなので指揮者の影響かもしれない。
ただし、70年代以前の演奏はまず間違いなく2番をカットしているのでそれだけで演奏の価値が左右される訳ではないことは断っておきたい。今回たくさんのヴィオレッタを聞き直したが73年の映画のフレーニと81年のメットのコトルバスが依然として最高だと私は思う。しかしこれからは2番を歌うのが標準になると予想される。ゼンタのバラードの「イ短調問題」と合わせて今後の動向に注目したい。
メイの演奏はグルベローヴァ同様にコロラトゥーラ系のヴィオレッタで、生で聞いた場合3幕などは迫力不足にならないかとも思うが映像で見る限り十分健闘している。優れた演奏の一つと言っていいと思う。ベッツァーラのアルフレートもまあまあだが、ハンプソンのジェルモンだけスタイルがドイツ風で違和感がある。ここはショルティ盤のヌッチのような歌が聴きたかったところだ。
このDVDは輸入盤だがリージョンコードは0なので再生に問題はない。日本語字幕も入っている。
(追記)
助六さんが書かれたように、スカラ座の2013年シーズンを開幕したダムラウの椿姫は2番も歌っている(1幕、3幕ともに)。これからはそれが普通になると私が申し上げた通りになっているが、ガッティの指揮も完全全曲指向で2幕1場のアルフレートのアリアのあとのカバレッタと、ジェルモンのアリアのあとのカバレッタで同じ台詞を繰り返す部分も楽譜通り演奏している。これは私は好きじゃないなあ(笑)。舞台映像でも明らかに「持て余して」間延びした感じだ。この2箇所に関してはクライバー盤の処理が適切だと私は思う。
|
手の掛かる調査ありがとうございます。
「Addio del passato」の第2節繰り返し例の方が「Ah, fors'è lui」の繰り返し例より多いのはやはり後者では「Sempre libera」のカバレットが続いて、おまけに最後を変ホに上げる場合は負担が大きいという実際的理由からでしょうかね。
メイは最後を上げてませんが、チョーフィはどうですか?コトルバスみたいに最後を上げずに繰り返しも行なっていないケースもありますが。
伝統的に第2節がカットされてきたのは、やはり歌手の側に歌詞に対応して表現に変化を与える意欲がなければ、冗長になって歌う方も聞く方も疲れるといった判断のせいでしょうか。
2013/12/29(日) 午後 0:30 [ 助六 ]
>ショルティ盤は2幕の2つのカバレッタの余り意味のない繰り返しも忠実に演奏している
ショルティは91年にシャンゼリゼ劇場で演奏会形式で「フィガロ」をやった時にも、通常カットされる4幕マルチェリーナとバジリオのアリアまでやってましたから結構原典主義なのかもしれませんね。ショルティ自身は回想録でもこの問題については何も言っていないのですが。
この12月のスカラ開幕公演のガッティ指揮ダムラウ主演「トラヴィアータ」は、デッラ・セータ監修のリコルディ新校訂版使用と記されていて、第2節繰り返しは「Ah, fors'è lui」と「Addio del passato」の両方とも実行し、かつダムラウは変ホも出していました。他の繰り返しも多分すべて実行していたと思います。
校訂版は2幕1場のアルフレードのアリアの伴奏とか2幕2場のカルタの場面とか多少違いがあったような。
2013/12/29(日) 午後 0:31 [ 助六 ]
助六さんこんにちは
>手の掛かる調査ありがとうございます。
いえいえ助六さんのコメントが楽しみで書いているようなものです。こちらこそありがとうございます。
チョーフィは花から花への最後を上げています。カラス式の上げ方ですが、2番も歌った後なのでもういっぱいいっぱいという感じです。
チョーフィは2009年のオランジュでは1幕アリアの2番をカットしているのでマゼール盤では初演版を忠実に再現するというコンセプトに従ったものと考えられます。
www.youtube.com/results?search_query=ciofi+traviata&sm=3
ショルティのザルツブルグでの影のない女もライブでは珍しい完全全曲盤だったので少なくとも晩年のショルティが原典主義者だったことは間違いないと思います。ゲオルギューも花から花への後を上に上げていません。
スカラでのダムラウの椿姫は最近日本でも放送されたのでこれから見てみます。2番を歌っているのですね。楽しみです。リコルディの新校訂版は現行版と多少違うのですね。確か2分冊になっている高くて分厚い楽譜でちょっと手が届きませ
2013/12/30(月) 午後 0:19 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]
私もYOUTUBE使って最近の歌唱例をチェックみましたが、やはり近年は第2節の繰り返しも主なう原典主義が増えてる傾向みたいですね。
両方とも実行してる例は他に92年スカラでさすがにムーティがファッブリツィーニとやってる他、ドゥセも11年のラングレ指揮エクス上演、12年のルイージ指揮メト上演双方で。07年6月パリのシェファーとカンブルランも1幕のアリアでは実行してましたが3幕の記録は見つかりませんでした。
>2幕1場のアルフレートのアリアのあとのカバレッタと、ジェルモンのアリアのあとのカバレッタ
「Ah, fors'è lui」と「Addio del passato」のストローフ反復は、仏オペラのクープレ形式の余波とも考えられるから歴史的にも音楽上の修辞的にも第2節は実行する根拠があると思いますが、ヴェルディにおけるカバレッタの繰り返しはなかなか微妙な問題ですよね。
2013/12/31(火) 午前 10:39 [ 助六 ]
カバレッタは繰り返しを実行すればABAとなってバロック期ダカーポ・アリアのシンメトリー形式を引き継ぐ形になりますから、その場合ロマン派が創出したカンタービレ−カバレッタ(緩−急)のダイナミックな形式の中に温存された均衡形式となって、繰り返し部分で加えられる装飾も加わって、ロマン派様式の中に残された古典的ベルカント様式の様相を帯びると思います。そうならロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティではカバレッタを繰り返して装飾を加えるのが本来的でしょう。
一方、ヴェルディは特に中期以降徐々にカバレッタと装飾歌唱を捨て去っていきますから、ベルカント的修辞を温存する意味は徐々に薄れていくわけで、初期ヴェルディの一部ではまだカバレッタを繰り返す意味はあっても、装飾を加える余地のない中期ヴェルディのカバレッタを漫然と繰り返しても退屈で、むしろカンタービレ−カバレッタ形式の前進的エネルギーを阻んでしまう面さえ生じます。
初期ヴェルディでさえ、「ナブッコ」4幕のナブッコのアリアのカバレッタのように最初から反復が省かれているケースもあるし、ヴェルディ自身「群盗」の再演の際は、カバレッタの反復に反対しています
2013/12/31(火) 午前 10:40 [ 助六 ]
「トラヴィアータ」2幕のアルフレードとジェルモンのカバレッタはヴェルディも本当に確信を持って書いたというよりコンヴェンションに従った面も感じさせる音楽ではあると思います。ヴェルディもピアーヴェ宛にアルフレードのカバレッタの歌詞について「意味がない」とか言ってますし。
両カバレッタを繰り返してる例としてはショルティ指揮の94年ロンドン上演や今回のガッティ指揮スカラ上演の他、92年のムーティ指揮スカラ公演もそうですね。
個人的には今回も反復を劇場で聞いてる限りではまったく退屈はしなかったし、ムーティ録音も説得的と感じました。演奏家に見識と音楽性があるのなら繰り返しもアリかなと感じてます。
因みに1幕のヴィオレッタのカバレッタ「Sempre libera」の反復が舞台上演で省かれることはまずありませんが、08年のカリニャーニ指揮メイ主演のチューリッヒ駅収録版だけは省いてました。アリア主部「Ah, fors'è lui」第2節も歌ってないし、これはTV中継された特殊なプロダクションだからそのせいでしょう。
2013/12/31(火) 午前 10:41 [ 助六 ]
YOUTUBEでざっと鳥瞰してみたら、「Sempre libera」の最後を変ホに上げてないのは、73年映画のフレーニ、81年メトのコトルバス、94年ロンドンのゲオルギュー、05年ザルツのネトレプコ、06年LAと09年ロンドンのフレミング、07年パリのシェファー、08年チューリッヒ駅のメイ(上コメントでメイは上げてない書いてしまいましたがそれはチューリッヒ駅版のことで、05年のチューリッヒ舞台上演では上げてますね)とたくさんいて今はスターでも変ホ誇示にこだわらない歌手は多いようですね。原典志向の進展も背景にあるのでしょう。一方で譜面にない高音は許さないというイメージのムーティ指揮する92年スカラ上演でファッブリチーニが上げてたのは意外でした。
2013/12/31(火) 午前 10:44 [ 助六 ]
> 助六さん
2007年ガルニエ版では第3幕の過ぎ去りし日の第2節有りで、第2幕冒頭アルフレードのカバレッタ繰り返しとパパ・ジェルモンのカバレッタ(何も言うまい〜)がない以外は重唱等も含めノーカットでした.音楽的な理由ばかりでなく、特に理由なく似たシークエンスが反復されるマルターラーの芝居語法上の都合もあるかと思いますが.ただ特に校訂版という訳ではなさそうです.
シェーファーは最近ベルリンで歌った時は第2節あった筈で(変ホはなし.第3幕の方は若干記憶曖昧)、第3幕アルフレードとの重唱 Gran Dio, morir sì giovane... は慣例的カットがあったりなかったりでした.
2013/12/31(火) 午後 0:01 [ M. F. ]
助六さん
詳しい情報ありがとうございます。「花から花へ」は上に上げなくてもちゃんと拍手は来るので無理に上げる必要はないと思いますが、コロラトゥーラ系のヴィオレッタは上げる傾向がまだまだ強いですよね。私はそれを禁止するほど厳格に原典主義にこだわることはないかと思います。
2013/12/31(火) 午後 6:59 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]
M.F.さん
M.F.さんもヨーロッパ在住でいらっしゃるのですね。羨ましい。
6年前の上演のカットを記憶されているというのもすごい。
ひょっとして歌関係の方でいらっしゃいますか?
2013/12/31(火) 午後 7:01 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]
カラスは71〜72年のジュリアード音楽院でのマスタークラスで、2節目の省略についてこんなことを言ってます。
「Ah, fors'è lui」については「このアリアの第2クープレは余計なものですからカットすべきです。同じものを全部聞いた後ですからもう十分です」。
「Addio del passato」についても「第2クープレは全部カットして下さい。繰り返しても付け加えられるものは何もありませんから。今聞いたばかりものについて注意が散漫になるだけです」。
カラスは第1節の歌唱法についてはもちろん詳細に教授してますし、1節目をあれほど声楽的にも情緒的も集中して歌った後はすべてを出し尽くした思いで、もう一度第2節を繰り返すのは問題外だったような気持ちも感じられるような言い方に思えます。
カラス時代の歌い手は、それで芸術的にやましいところはまったくなかったのでしょうが、今の歌い手は第2節を繰り返す意味を納得させる歌唱を工夫するよう迫られてるとこがあるかも知れませんね。
2014/1/11(土) 午後 0:54 [ 助六 ]
因みにカラスは「Semre libera」最後の高音についてはこう言っています。
「もしその方があなたにとって易しければコーダの「il mio pensier」は最初の一回だけ歌えばいいです。2小節半の休みを置いて変ロから入り直せばいいのです。もしあなたが希望しかつ音を出せるのなら最後に変ホを歌って構いません。これはブラヴーラ曲ですから、歌っていけない理由はありません。変ホを出すのがあなたにとって難しければ、変ロを歌えばいいのです」。
カラスも変ホにこだわってたわけではないこと、高音を準備するために記譜された音符を歌わず休みを入れる習慣を是認していたことなど、彼女のプラグマティックな面がうかがわれる発言と思います。
高音に備えて直前の2小節程度を休む習慣は「トロヴァトーレ」の「Di quella pira」とか「清教徒」の狂乱の場「Vien, diletto, è in ciel la luna」とかその他で今でもしばしば実行されてますね。
2014/1/11(土) 午後 0:55 [ 助六 ]
カラスは第二節のカットと変ホ上げを積極的に推奨していたのですね。トスカニーニ盤のアルバネーゼやセラフィン盤のステッラも第二節はカットしています(1幕アリアも3幕アリアも)が、変ホ上げはやっていないので、変ホ上げの創始者はもしかしたらカラスなのかもしれませんね。
2014/1/12(日) 午後 1:34 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]