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シューベルト: ・美しき水車小屋の娘 D.795 http://www.youtube.com/results?search_query=prey+schubert+mullerin&sm=3 ・冬の旅 D.911 http://www.youtube.com/watch?v=jrQAhKDGvuQ&list=PLA769AD4D7C935A83 ・白鳥の歌 D.957 http://www.youtube.com/results?search_type=&search_query=prey+schubert+schwanengesang&aq=f ヘルマン・プライ(バリトン) レナード・ホカンソン(ピアノ:水車小屋の娘、白鳥の歌) ヘルムート・ドイチュ(ピアノ:冬の旅) 1984年(冬の旅)、1986年(水車小屋の娘、白鳥の歌) プライのシューベルト3大歌曲集がしばらく前にDVD化されたので紹介しておこう。冬の旅はクラシカジャパンで以前放送され、白鳥の歌は国内盤DVDが出ていたことは以前紹介したが、美しき水車小屋の娘は今回初めて見ることができた。録画のスタイルは他の作品と同じでコンサートホールではなくサロン風の部屋で収録されておりアットホームな印象だ。 美しき水車小屋の娘は曲自体はテノールの方が合っているため、大抵のバリトンの演奏を聴くと「ヴンダーリヒの方が....」と思ってしまうのだが、プライの場合はそれほど不自然に感じないのはプライの柔らかい語り口によるものだろう。ホカンソンの伴奏も息が合っており、終演後プライが肩を抱いて退出するのも他の映像と一緒だ。演奏の前後に水車小屋の映像が挿入されている。またこのDVDにはプライによる各歌曲集の紹介が英語字幕で収録されているので追々紹介しようと思う。 私が知る限り3大歌曲集のDVDはプライ盤しかなくその意味でも貴重な映像だ。国内盤が出る気配がないのが残念だ。フイッシャー=ディースカウ(F=D)は3大歌曲集を3回録音したが、映像は冬の旅(1979年ブレンデルと1990年ペライアの2種)と美しき水車小屋の娘(1991年のシフと1992年エッシェンバッハの2種)だけで白鳥の歌は今のところない。なおF=Dは美しき水車小屋の娘を20年間公の場では歌っていなかったそうだ。プライは「3大歌曲集」の連続演奏会として取り上げることが多かった(1997年の最後の来日もそうだった)ので、2人は3大歌曲集に対する取り組み方自体も異なっていたと言えそうだ。
私は90年代初めにパリのサル・ガヴォーでプライの「水車小屋」のリサイタルを聞いたことがあります。伴奏はやはりホカンソンだったような。 私が今まで聞いたあらゆるリートの会の中で最も感動した一夜でした。いやあらゆるオペラ・コンサートの中でも最も感動を与えられたものの一つかも知れません。終わった後はひたすら寒空の下を敢えて徒歩で歩いて家まで一目散に帰ったくらい。 私はリートは基本的にプライやゼーフリートよりF=Dやシュヴァルツコプフ派なんですが、シューベルト、それも「水車小屋」となるとプライは恐ろしく説得的、優しさの奥からシューベルトが殆ど乗り移ったかのような凄み、悲しみ、慰めが浮かび上がってくるような、魂を揺さぶられ怖くなってくるみたいな経験でした。
2014/1/8(水) 午後 1:55 [ 助六 ]
個人的には、シューマンやヴォルフは芸術的にも高度な詩の一句一節を寄せ手絡め手で音化していくのに対して、シューベルトは特にミュラーの詩は通俗的感傷性が強いし、詩の論理を音化するというより、凡俗さも含む詩を音楽が魔術的に包み込んで変容させてしまうような構造を持ってるように感じてます。そうしたシューベルト、とりわけ「水車小屋」ではF−Dよりプライのアプローチは強烈な力を発揮するように思うのです。 パリでのリサイタルの時も声に特別衰えも感じられず、文字通り「永遠の青年」の趣きでした。今回リンクのYOUTUBEを聞いてみましたが、最初はパリではもっとフレージングが丁寧だったように一瞬感じたものの、聞き進める内に当時の感興が如実に蘇りつい最後まで聞いてしまいました。紹介感謝です。 その翌シーズンには同じガヴォーで「白鳥の歌」があったので駆けつけたのですが、「水車小屋」ほどの感動はまるでなく、やはりプライは「水車小屋」向きなのかも。声の状態も今ひとつだったような気が。
2014/1/8(水) 午後 1:56 [ 助六 ]
ホカンソンについてはプライは回想録でこう言ってます。「ホカンソンは私にとって理想的伴奏者だ。彼は他の歌手とはやらないから(そう言えばプライが死ぬまで男声との共演はプライだけだったですかね)、私にだけ自分を合わせてくれる。「技巧は芸術を隠す」と言ったのは彼だった。演奏というものはしばしば自然で自発的に聞こえるものだが、事実はそれには程遠い。演奏は長い議論の結果だからだ」。
2014/1/8(水) 午後 1:57 [ 助六 ]
>自然で自発的に聞こえるものだが、事実はそれには程遠い。演奏は長い議論の結果だからだ なるほど。実際はそうなのでしょうね。クライバーの演奏もそうですが、自然で自発的に聞こえるものほど実は緻密なすりあわせをしています。サル・ガヴォーというのはどのくらいの大きさですか? プライのリートのイメージとしてはあまり大きくないキャパが想像されるのですが?
2014/1/9(木) 午前 10:47 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]
ガヴォーは1000席の小さな会場で、パリでは恐らく唯一の中欧に多いシューボックス型ホールです。プライの時は2回ともガラ空きでした。 贅沢を言えばリートにはまだ大きすぎるかも。散発的にリート会場に使われてるアテネ劇場、ルーブル美術館オーディトリアム、オルセー美術館オーディトリアムなんかは400〜600席程度ですから。
2014/1/11(土) 午後 0:28 [ 助六 ]
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私は90年代初めにパリのサル・ガヴォーでプライの「水車小屋」のリサイタルを聞いたことがあります。伴奏はやはりホカンソンだったような。
私が今まで聞いたあらゆるリートの会の中で最も感動した一夜でした。いやあらゆるオペラ・コンサートの中でも最も感動を与えられたものの一つかも知れません。終わった後はひたすら寒空の下を敢えて徒歩で歩いて家まで一目散に帰ったくらい。
私はリートは基本的にプライやゼーフリートよりF=Dやシュヴァルツコプフ派なんですが、シューベルト、それも「水車小屋」となるとプライは恐ろしく説得的、優しさの奥からシューベルトが殆ど乗り移ったかのような凄み、悲しみ、慰めが浮かび上がってくるような、魂を揺さぶられ怖くなってくるみたいな経験でした。
2014/1/8(水) 午後 1:55 [ 助六 ]
個人的には、シューマンやヴォルフは芸術的にも高度な詩の一句一節を寄せ手絡め手で音化していくのに対して、シューベルトは特にミュラーの詩は通俗的感傷性が強いし、詩の論理を音化するというより、凡俗さも含む詩を音楽が魔術的に包み込んで変容させてしまうような構造を持ってるように感じてます。そうしたシューベルト、とりわけ「水車小屋」ではF−Dよりプライのアプローチは強烈な力を発揮するように思うのです。
パリでのリサイタルの時も声に特別衰えも感じられず、文字通り「永遠の青年」の趣きでした。今回リンクのYOUTUBEを聞いてみましたが、最初はパリではもっとフレージングが丁寧だったように一瞬感じたものの、聞き進める内に当時の感興が如実に蘇りつい最後まで聞いてしまいました。紹介感謝です。
その翌シーズンには同じガヴォーで「白鳥の歌」があったので駆けつけたのですが、「水車小屋」ほどの感動はまるでなく、やはりプライは「水車小屋」向きなのかも。声の状態も今ひとつだったような気が。
2014/1/8(水) 午後 1:56 [ 助六 ]
ホカンソンについてはプライは回想録でこう言ってます。「ホカンソンは私にとって理想的伴奏者だ。彼は他の歌手とはやらないから(そう言えばプライが死ぬまで男声との共演はプライだけだったですかね)、私にだけ自分を合わせてくれる。「技巧は芸術を隠す」と言ったのは彼だった。演奏というものはしばしば自然で自発的に聞こえるものだが、事実はそれには程遠い。演奏は長い議論の結果だからだ」。
2014/1/8(水) 午後 1:57 [ 助六 ]
>自然で自発的に聞こえるものだが、事実はそれには程遠い。演奏は長い議論の結果だからだ
なるほど。実際はそうなのでしょうね。クライバーの演奏もそうですが、自然で自発的に聞こえるものほど実は緻密なすりあわせをしています。サル・ガヴォーというのはどのくらいの大きさですか? プライのリートのイメージとしてはあまり大きくないキャパが想像されるのですが?
2014/1/9(木) 午前 10:47 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]
ガヴォーは1000席の小さな会場で、パリでは恐らく唯一の中欧に多いシューボックス型ホールです。プライの時は2回ともガラ空きでした。
贅沢を言えばリートにはまだ大きすぎるかも。散発的にリート会場に使われてるアテネ劇場、ルーブル美術館オーディトリアム、オルセー美術館オーディトリアムなんかは400〜600席程度ですから。
2014/1/11(土) 午後 0:28 [ 助六 ]