|
・ヴェルディ:レクイエム
マーガレット・プライス(ソプラノ)
ジェシー・ノーマン(ソプラノ)
ホセ・カレーラス(テノール)
ルッジェーロ・ライモンディ(バス)
エディンバラ祝祭合唱団
ロンドン交響楽団
クラウディオ・アバド(指揮)
収録:1982年、エディンバラ国際音楽祭(ライヴ)
朝日新聞やNHKのニュースが既報の通り、イタリアの名指揮者クラウディオ・アバドが1月20日に亡くなった。アバドは1977年から1986年までミラノ・スカラ座の芸術監督を、1986年から1991年までウィーン国立歌劇場の音楽監督を、1990年から2002年までベルリンフィルの芸術監督を務めた。パリやロンドンでもオペラにコンサートに活躍し、これだけ欧州中で成功を収めた指揮者はカラヤン以降いなかったと言っていいだろう。2000年の胃ガン手術を経てなおルツェルン音楽祭を中心に活躍を続けていたが、昨年体調を崩し10月に予定されていた日本公演をキャンセルしていた。予定されていたプログラムはヴァントの最後の来日と同じシューベルトの7番とブルックナーの9番の組み合わせで、恐らく日本のファンへの告別の意味が込められていたのではないだろうか。
私が思うに日本におけるアバドの最大の功績は1981年のミラノ・スカラ座の初来日を成功させたことだと思う。ヴェルディのシモン・ボッカネグラとレクイエム、ロッシーニのセヴィリヤの理髪師で名演を披露し、そればかりかクライバーという気むずかしい同僚にボエームとオテロを振らせたのは芸術監督として骨の折れる作業だったに違いない。私がヴェルディのレクイエムのテレビ放送を食い入るように見ていたのはもう33年も昔のことだ。この年のスカラ座の公演と前年1980年のウィーン国立歌劇場の初来日がなければ日本でこれほどオペラが普及することはなかったのではないだろうか。
残念ながら1981年の日本公演の映像は商品化されていないが(NHKは昔の映像の商品化を止めてしまったのだろうか? DVDでもNHKオンデマンドでもいいから見られるようにしてほしい)、翌1982年にイギリスのエディンバラで演奏したこの映像もそれに準ずる出来映えだ。特にカレーラスとライモンディはこの時期アバドやカラヤンがこぞってこの曲に起用した顔ぶれだ。アバドの1991年のウィーンでの演奏もこの2人が歌っていてそれも良い演奏だが、映像が付くとよりリアルに感じられる。特に病に倒れる前のカレーラスのみずみずしい声は印象的だ。全曲終了後長い沈黙があってから拍手が起こるが、アバドは全精力を使い切って放心したようにニコリともしないのが逆に印象的だ。
この演奏はLDやVHDで80年代当時から良く知られていたが国内盤のDVDは出ていないようだ。私が持っているDVDはリージョンコードが1なのでリージョンフリー対応のDVDでないと再生できない。
|
81年スカラ初来日のオテロとシモンは私の人生を変えてしまった体験でした。それまでもモーツァルト、ヴァーグナー、シュトラウスのオペラなんかは聞いていたんですが、器楽とは区別された声楽的ジャンルとしてのイタオペの恐るべき力を突然思い知らされたのは、この2公演の衝撃によってでした。59年NHKのデルモナコ主演オテロ公演の衝撃を綴った野村光一氏の「ワーグナーは負けだ」という文章を読んだことがありますが、私が81年に受けたインパクトもそれに近いものでした。
各国紙のアバド追悼記事にざっと目を通してみましたが、事実報道や関係者談話ばかりでアバドの演奏史的意義をきちんと論じた文章はまだ殆どありませんね。オケをドライヴする技術とか鋭さで目覚しいタイプではなかったから(評判になったLSOとの「春の祭典」だって聞き直すと大人しいしポエティック)、音現象面からアバドの演奏スタイルを客観的に指摘するのは難しいですね。新聞記事で繰り返し目にするのも「ヒューマニティ」「独裁でなく協調」といった言葉で、棒の技術より人間性が音楽に現れる指揮者だったということでしょう。
2014/2/1(土) 午前 11:50 [ 助六 ]
私も彼のスタイルを言い表すのに、せいぜい「押し寄せる多層的ニュアンスの波が内側から感動を呼び起こし」とか漠然とした言い方しか思い浮かびません。
彼の第一の功績というとやはりマクベス、シモン、ドンカルロといった屈折したヴェルディ作品に無限のニュアンスと全体的人間性の次元を与えて再生したことでしょう。
伊紙はやはりミラノ時代のスカラのレパートリー拡大、若者・労働者向け教育活動の意義に言及してますね。スカラ在任当時は「ヴォツェックやボリス・ゴドゥノフばかり」とか常連客の評判は必ずしも芳しくなかったと聞きますが、スカラ前の追悼演奏中継には8000人が集まったといいますから、最後は偉人扱いになったようですね。
81年と01年のシモンは私の音楽体験の頂点でした。
2014/2/1(土) 午前 11:51 [ 助六 ]
助六さんこんばんは
アバドの演奏史的意義....確かに表現が難しいですね。マクベスやシモンでの作品に対する読みの深さが素晴らしい一方で、カラヤンのように何でも自分で振るのではなく、オペラでもコンサートでも「自分に合った作品しか振らない芸術監督」という新しい芸術監督像を打ち立てたという点も特筆されると思います。
2014/2/2(日) 午後 6:29 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]