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チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調op.23
イーヴォ・ポゴレリチ(P)
クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団
録音 85.6
協奏曲の録音を好む指揮者は多いが、カラヤンやバーンスタインのように自分のテンポで演奏しないソリストは認めない指揮者優先タイプもあれば、80年代ぐらいまでのデュトワのようにいかにも伴奏していますという感じのソリスト優先の指揮者もいる。アバドはソリストの個性を生かしながら自分も言うべきことは言うバランス感覚に優れていた指揮者だったと思う。アルゲリッチやポリーニのような(当時の)新進気鋭から、ゼルキンやブレンデル、あるいはベルマンといったベテランまで数多くのソリストと共演し成功を収めているのはそのためだろう。
このディスクはデビュー当時からくせ者として知られたポゴレリチとの共演で、録音ではショパンのピアノ協奏曲第二番に続いて2作目だ。当初DGは前年にカラヤン/ウィーンフィルとポゴレリチの共演でこの曲をライブ録音する計画だったが、ポゴレリチとカラヤンのテンポが合わずに決裂した。
そのことは当時日本にも伝えられていただけに、ポゴレリチがどのようなチャイコフスキーを弾くのか大いに注目された。カラヤンが何人かのソリストと録音したこの曲に劣らずアバドとのこの演奏もスローテンポだ。しかしポゴレリチはソロの弾く部分はもっと大胆なルバートを駆使したアゴーギグを聴かせる。カラヤンとテンポが合わなかったのはオケが鳴っている部分ではなくピアノソロの部分だったのではないかというのが私の推測だ。
カラヤンが協奏曲の伴奏をしている映像をよく見ると、ソロの部分も小さく棒を振ってテンポをコントロールしていることが分かる。ソリストがそれをどれだけ見ているかは別としてもソロの部分を含めて曲全体のテンポを決めているのはカラヤンなのだ。恐らくポゴレリチはソロの部分は自分のテンポで自由に弾かせて欲しいと思ったのだろう。
ここでのアバドは当時の手兵ロンドン響を指揮して、ポゴレリチの個性的なソロにピタリと合わせつつも充実した伴奏を聴かせる。アバドが合わせ上手だったことを示すアルバムだと言えよう。
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この録音の翌年の86年12月に彼の弾く当該コンチェルトを聞いたことがあります。
バックはプラッソン指揮のパリ管でした。
当時のポゴレリッチはピアノを鳴らす力は卓越しており、最初から天井に突き抜けるような和音を打ち込み、ヴィルトゥオジティと挑発的な揺さぶり、有無を言わせぬ前進駆動力が融合した不思議な演奏でした。強い抵抗を覚えながらも否応なく引き込まれてしまうことも認めざるを得ない、何だか後味もいいんだか悪いんだか分からない経験でした。盛大な喝采に加えて派手なブーが数声出ていたのもムベなるかなという感じでした。オケも弾きずらそうながらいつの間にかポゴレリッチのペースに絡め取られる感じで、合ってるんだか合ってないんだか分からないみたいな。
2014/9/22(月) 午前 11:46 [ 助六 ]
復帰後の彼は08年10月(ショパンの3番など)と13年12月(ショパンの埋葬とリストのロ短調)にリサイタルを、13年3月にショパンの第2コンチェルト(チョン指揮仏放送フィル)を聞きましたが、相当主観性が強い演奏になっていて、システマティックにテンポを引き伸ばして細部を纏綿と強調し、主観化パターンの画一性もまた極端なので私は分かってしまったような気になり興味を失いかけてます。
2014/9/22(月) 午前 11:47 [ 助六 ]
ポゴレリチはだいぶ前にリサイタルを聴いただけで復帰後は聴いていないのですが、確かに独特な空間を作りますよね。どことなく気に障るのだけど、でも惹きつけられる不思議な演奏だったと思います。
最近は超スローテンポでますますマニアックな演奏をしているようですね。それも一度聴いてみようと思っています。
2014/9/23(火) 午後 6:01 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]