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シモン・ボッカネグラ/ピエロ・カプッチルリ
ヤコボ・フィエスコ/ニコライ・ギャウロフ
ガブリエーレ・アドルノ/ヴァリアーノ・ルケッティ
アメーリア/ミレッラ・フレーニ
パオロ/フェリーチェ・スキアーヴィ
ピエトロ/ジョヴァンニ・フォイアーニ
クラウディオ・アバド指揮
パリ・オペラ座管弦楽団・合唱団
ジョルジオ・ストレーレル演出
1978年
https://www.youtube.com/watch?v=3PJ2AEZ-cRc
同じキャストの同年のスカラ座公演も見ることができる。画質・音質はこちらの方が良い。
https://www.youtube.com/results?search_query=simon+boccanegra+parte
カプッチルリと言えばシモン・ボッカネグラだ。この映像はアバドが演出のストレーレル、美術のフリジェリオと組んでスカラ座で1971年に大成功させた十八番のプロダクションだ。パリ・オペラ座の方の映像は、助六さんの情報によるとアバドが1回で懲りてしまったというパリ・オペラ座への客演だ。ユーチューブでは主役6人が同一のキャストによる同年のスカラ座での演奏も見ることができる。画質・音質はスカラ座の方が良いようだ。
ちなみにプレミエ時の録音も以前海賊盤で出ていたようだが、ガブリエレをジャンニ・ライモンディが歌っているのを除けば5人は1978年と同じだ。パリとミラノでのこの再演はほぼオリジナル・キャストによるものだということになる。ちなみに77年のDGの録音ではパオロがヴァン・ダムに、ガブリエレがドミンゴに替わっている。
さてこの作品は近年特に評価が高く、ヴェルディの最高傑作という声も出始めているが、とにかく筋が分かりにくい。プロローグと1幕の間で20年も経っているし、マリアやロレンツィーノといった舞台に登場しない役が多いことや、フィエスコが途中でアンドレアと名乗っていたりするのも話を分かりにくくしている。それに前半は政治的対立とその犠牲になっていた親子の再会がテーマでドラマティックだが、後半はパオロの奸計による復讐劇になってしまってスケールが途中から小さくなってしまった気がする。
そもそも1幕の段階でアメリア誘拐の黒幕がパオロだと分かっていそうなのに野放しにしておくのは寛容すぎて不用心ではないだろうか? シモンが貴族派のガブリエレを次期総督に指名して息絶えるのも平民派が反発して対立を煽るのではないかという疑問が残る。(もし私の理解が間違っていたらご教授いただきたい)
音楽的に見るとヴェルディの中期様式と後期様式が改訂作業により折衷されている。シモン・ボッカネグラに続いて後期に改訂されたドン・カルロと同様に、アリアが少なくて全体が途切れなくつながる。だが完成度はドン・カルロほどではないように私は思う。フィエスコとシモンの対決シーンもフィリッポとロドリーゴの緊迫感には遠く及ばない。
それにも関わらずこの演奏を魅力あるものにしているのは一重にカプッチルリの名唱につきる。全幕ほぼ出突っ張りの貫禄ある歌唱の前には、筋書きうんぬんと言ったことを取りあえず抜きにして納得せざるを得ない。私がまだシモンを楽しむツボを心得ていないということがあるにしても、カプッチルリがこの役を歌わなかったら現在この作品がこれほど取り上げられることはなかっただろうとは言えるだろう。
画質が限られているので演技を評価するのは難しいが、先日紹介したカルメンの映像と同様にフリジェリオの色彩的な舞台が美しい。特に1幕のバックにある帆船は一度見ただけで忘れられない。ストレーレルの演出は基本的にはオーソドックスだと思う。
なおこの作品が聞き慣れないのは1978年のパリでも同様だったようだ。1幕冒頭でフレーニが歌うこのオペラの数少ないアリアらしいアリア「暁に星と海はほほえみ」の後でも拍手が全く起きない。パリの聴衆はどこで拍手したら良いか分からなかったのだろう。スカラ座の映像の盛大な拍手と見比べると面白い。
帆船の前でフレーニが歌うこのアリアはテレビで見ても大変印象的だったので、1981年の日本公演(ピエトロをジャコモッティが歌っているのを除けば1978年と同じキャスト)でもここで拍手が起きたことを私ははっきり記憶している。1976年のNHKイタリアオペラでもこの作品が取り上げられたので(主演は同じくカプッチルリ)、予習済みの聴衆が多かったのだろうと推測される。
参考までにアバドが指揮したヴェルディのオペラのCDのキャスト表をまとめたページ「LIVEwithABBADO」を見つけたのでリンクを掲載しておく
http://homepage2.nifty.com/tilleulenspiegel/ne%20classics/live%20with%20abbado.htm
アバドに関する情報を集めた「クラウディオアバド資料館」もみつけた。
http://www.ne.jp/asahi/claudio/abbado/
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アバドの「シモン・ボッカネグラ」はDGの録音聞いておりまして、ご紹介の映像は、ほぼ同じメンバーですね。
来日公演と同じ演出ですので、これが見逃した舞台であったかという思いで冒頭部分を見ておりました。
著作権問題をクリアできればDVDでの発売も可能なのでしょうかねぇ。
帆船のところは、ジャケット写真にも使われていますので、私の頭の中では「シモン」の舞台といえば帆船のイメージで固定されています。
それにしても、いくらオペラとはいえ、「シモン」は日本人の私にとっては、話の筋としていまひとつ面白いものではありません。
その辺がヴェルディよりもプッチーニの方を好む理由でもありまして、別途楽しんでいる浄瑠璃の影響もありそうです。
2014/10/5(日) 午後 10:20
Gustavさんこんばんは
パリの方のDVDは大変画質が悪いですが、スカラの方はもう少しましなようなのでDVD化を期待したいですね。日本公演の映像でもいいから何とか出してほしいものです。
筋書きは確かに余り面白くないと私も思いますが、最近よく上演されますよね...
浄瑠璃をご覧になるのですか。それもブログに書いていらっしゃるのですか? 私は全然良く知らないので勉強させていただきます。
2014/10/6(月) 午後 6:50 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]
私はヴェルディの最高傑作はオテロとシモン・ボッカネグラだと考えています。81年スカラ日本公演のシモンとオテロは私の人生を変えてしまった稀有の体験でしたし、私がイタ・オペやヴェルディに目覚めたのはその2公演によってでしたから、思い入れがあるのは事実です。でもそうした個人的経験を度外視しても、シモンとオテロは後期ヴェルディが達成した音楽劇としての整合性が最も高いように思うからです。そうした2作品のとてつもなくレヴェルの高い上演でいきなりヴェルディに出会ったことには、偶然には違いないけれど一種運命的なものを感じてしまいます。
「シモン」は確かに筋が複雑だし、言われてみればシモンがパオロにえらく寛大なのも不自然とも言えますね。
2014/12/13(土) 午前 11:00 [ 助六 ]
パオロの役はボーイトの台本改訂を通じて厚みを増しており、イヤーゴの前触れをなす悪辣な策略家としてドラマの推進役の地位を与えられていると思います。
シモンはパオロによって政界に担ぎ出され、シモンからすれば不本意の部分があったとはいえ彼の援助で総督の地位を得た形ですから、恩義がある最側近のパオロを捕捉するのははばかられたと考えることも可能でしょうが、確かに政治家としてはリアリズムを欠いた不用心ということになるでしょうね。ボーイトとヴェルディはパオロを敢えて泳がせたままにしておくことで、ドラマの弾み役を担わせると共に、「お人好し」の面のあるシモンに冷徹な現実主義者としてのパオロを対置し、シモンの人間性を強調したのではないでしょうか。要するにオテロと同構図の劇作術です。
「シモン」は同じくグティエレスを原作とし家族間の憎しみや血なまぐさい復讐をテーマにしている点でトロヴァトーレと共通性があるけれども、私的憎しみを超えた貴族派と平民派の抗争と共生という公共性の場の明示的な政治劇に仕立てている点が大きく違うと思います。
2014/12/13(土) 午前 11:02 [ 助六 ]
「シモン」の初版はリゾルジメント最中の1857年に初演されており、貴族諸家間の権力争い、内部抗争を通じた貴族派の膠着に乗じた平民派の権力奪取といった14世紀ジェノヴァの内紛の歴史は、ヴェルディにとって伊独立運動陣営内の内輪もめ(立憲君主派のカブール、共和派のマッツィーニやガリバルディなど)を直ちに想起させる強い政治的リアリティを持った題材だったろうと思います。加えてヴェルディは60年代から毎冬をジェノヴァで過ごすようになり、ボーイトの訪問もしばしば受けてますし。
シモンが敢えて貴族派を後継に指名するのも、リソルジメント陣営内の内輪もめを間に当たりにしていたヴェルディにとっては平和と和解への希望を託した選択だったとして理解できると思います。
そして「シモン」のドラマの特徴と面白さは、ヴェルディが他作品でも繰り返し扱った父と娘の愛情劇に政治劇を重ねているところにあると思います。そして父と娘の関係劇のレヴェルでも、フィエスコの不寛容にシモンの人間味を対置するという政治劇と同じ構図が繰り返されています。
2014/12/13(土) 午前 11:04 [ 助六 ]
確かに後半はパオロの奸計がドラマを前進させていくけれどそれは起動因にすぎず、父と娘の愛情を副筋にした和解と平和を願うヒューマンな政治劇という構想は終始一貫しており、大きな感動を呼びうる優れた劇構造だと私は考えてます。
私は最も好きなヴェルディ作品はと問われたら、トラヴィアータ、トロヴァトーレ、ドンカルロ、オテロ、シモンを挙げます。さらに選べと言われたらやはり陰影の豊富な後期作品を残してトラヴィアータとトロヴァトーレは泣く思いで捨てます。残る3作の内では英雄的なオテロと内面的な感動に満ちたドンカルロ・シモン両作は対照を成してますが、ドンカルロとシモンどちらを取るかと言われたら大変困りますね。仰る通り、個々のナンバーを取り上げたらドンカルロの方がはるかに緊迫感があり、腹をえぐる深い感動を招く楽曲が多いと思います。それにドンカルロはメランコリックで内面的な情念を絢爛で外向的な仏グラントペラの枠組みに組み込むという意欲的かつ矛盾した試みを行っている実験的作品です。私は度重なる改訂にも拘らず、ヴェルディはついにこの矛盾した要求に整合的解決を与えることはなかったと考えています。
2014/12/13(土) 午前 11:07 [ 助六 ]
でもドンカルロの魅力は、そうした「未完成の」歪さが作り出す不思議な力にもあると思うのです。
振り返って「シモン」改訂版は、一貫して内面的抑制を追及していて、ひたひたと押し寄せる感動が最後は大波になって押し寄せるような整った目的論的構造を有しているように感じます。アリアらしいアリアが存在しないという「シモン」改訂版の珍しい形式的選択がそれを担っています。そしてそうした「シモン」のいぶし銀のように輝く整合性を明らかにしたのは、間違いなくアバドとカップチッリの卓越した演奏の功績ですね。
78年のパリとスカラの映像を見てみると、パリ・オペラ座のオケとてもアバドの悪口にもかかわらずまずはアバドの意図を十全に体現しているように思えます。まあスカラのオケの方が慈しみとニュアンスに満ち瞬発力もあるようにも聞こえますが、単純に音質の問題かも知れません。
2014/12/13(土) 午前 11:10 [ 助六 ]
個人的には実演での私のアバドとの最初の出会いは81年東京のシモンで、01年にパルマで再び彼のシモンを聞いた後にはアバドの実演に接する機会についに恵まれませんでした。もう一度ドンカルロをやってくれたらというのが私の夢でしたが、永遠の幻になってしまいましたね。シモンに始まりシモンで終わったのは幸運な円環だったと自分に言い聞かせて諦めることにします。
2014/12/13(土) 午前 11:11 [ 助六 ]
助六さん お返事が遅くなって済みません。熱い投稿をありがとうございます。
うーん、私の理解は全然表面的なようです。もう一度DVDを見直してみようと思います。ちなみに私がヴェルディで2つだけ挙げろと言われたらオテロとドン・カルロです。もう一つ挙げて良いと言われたらトロヴァトーレを加えます。
2014/12/23(火) 午後 7:39 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]
私も助六さんと同じく(レベルはとても助六さんには及びませんが)、今までの舞台で最高のものはスカラ座の「シモン」「オテロ」だと思っています。細かい演出までも含めて完璧としかいいようがありません。もちろん「ボエーム」も加えていいと思いますが。幸せな体験でした。
2015/4/14(火) 午後 0:48 [ TG ]
TGさんはスカラ座のシモンもオテロもボエームもご覧になっているのですね。素晴らしい体験ですね。もうああいう時代は戻ってこないのですね。せめてDVD化を期待したいのですが....
2015/4/20(月) 午後 7:36 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]