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Piero Cappuccilli (Rigoletto)
Peter Dvorský (Duke)
Valerie Masterson (Gilda)
Giovanni Foiani (Sparafucile)
Bohus Hanak (Monteronne).
指揮: Nello Santi スイスロマンド管弦楽団
81年 ジュネーブ歌劇場
https://www.youtube.com/results?q=rigoletto+cappuccilli
ヴェルディのオペラにおけるカップッチルリの当たり役はマクベス、ルーナ伯爵(トロヴァトーレ)、ロドリーゴ(運命の力)、シモン・ボッカネグラ、ロドリーゴ(ドン・カルロ)、アモナズロ(アイーダ)、イアーゴ(オテロ)と数多いが、それらと並んでもう一つリゴレットを挙げなくてはならない。スカラ座では70年と71年に歌ったきり取り上げなかった役だが、実はカップッチルリのウィーンデビューは1966年11月のアモナズロ、イアーゴとリゴレットであり、ウィーンでリゴレットを歌った22回という回数はルーナ伯爵の36回に次いで多い回数である。
http://db-staatsoper.die-antwort.eu/search/person/478
ネットでは81年のジュネーブでの公演を見ることができる。音質・画質ともに非常に貧弱だが、それでも先日のトロヴァトーレの映像のほとばしるようなベルカントの歌い方から、有り余る声をコントロールして、より微妙な心理描写に重点を置いた彼の後期様式というべきスタイルに変化していることが伺える。
その理由の一つは、マクベスやシモン・ボッカネグラなどの役を通じて心理描写を会得したことが考えられるが、もう一つはウィーンやザルツブルグあるいはロンドンなどイタリア国外での活躍の場が増えるに従って、下あごを下げて強い声を出すベルカント一辺倒ではなく、よりインターナショナルに通用するスタイルに自らを変化させていったものだと考えられる。
このジュネーブの舞台でもチェコのドヴォルスキーやイギリスのマスターソンといった国際的な顔ぶれの中で歌っていても全く違和感はなくはまっており「相手がベルゴンツィかパヴァロッティであれば」といった思いは沸いてこない。
私自身は彼の後期スタイルの歌しか聴いていない。もし80年代当時、私が彼の60年代の歌い方を知っていたならば、スタイルを変化させた意図についてきっと彼に直接尋ねただろう。でも私の理解は恐らくそれほど外れていないと思う。
画質が悪いので演出や装置については細かいことはよく分からないが、基本的にはオーソドックスな舞台でシルクハットとタキシードを多用した衣装に特徴がある。ジルダの誘拐シーンは逆さづりにする結構荒っぽい手口で笑ってしまう。ぜひ良好な状態でDVD化してほしい映像だ。
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ひどい画質・音質を我慢してカプッチッリ登場まで我慢して見ましたが、懐かしのドヴォルスキーの輝かしい声と比較して、カプッチッリの声に、いまひとつ録音で聞いたときのような力強さに欠け、不安定なところも散見されて、らしからぬところも感じます。
精一杯声を張り上げているようなところもあって、あまり調子が良くなかったのかなという気もします。
ひょっとしたら次第に調子が出ているのかもしれませんが、第1幕途中まで見た印象です。
ヴァレリー・マスターソンという方は、初めて映像で見ましたが、姿形で得をしている方ですね。
2014/10/12(日) 午後 2:16
Gustavさんこんばんは
この音質では調子を推し量るのはちょっと難しそうですし、私の場合生で聞いた声に耳が補正してしまうので私は伝説のカップッチルリのリゴレットを目で見られた喜びの方が大きかったのですが、ライブですので冷静に聞くといろいろあるかもしれません....
2014/10/12(日) 午後 4:06 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]
81年ですから東京のシモンと同年の上演で、あの時のカップッチッリの歌い口を如実に思い出させてくれます。典型的に彼後期の内向性に重点を置いた表現ですね。
仰る通り、仏インタビューでカップッチッリ自身が「シモンを通じて表現の内面化を覚え転機になった」といった意味のことを言っていた記憶があります。
もっとも64年のスカラ・モスクワ公演の彼のルーナだって、ただ立派な声が響いているだけには程遠い後年のスタイルの萌芽を十分に感じさせる考えられた歌唱ですね。
マスターソンのジルダはこの音質でも私にはあまり頂けない歌唱ですが、彼女は舞台では捨てがたい魅力のある歌い手さんでした。一度だけパリでヘンデルのジューリオ・チェーザレのクレオパトラで聞いたことがあります。マルゴワール指揮のピリオド演奏でした。
このジュネーヴ上演は仏人演出家のジャンマリー・シモンの演出で、パリでも彼演出のリゴレットが88年に上演されたことがあります。市原さんも出演してました。パリのプロダクションも美術・衣装も同じスタッフで造形的にシルクハットが目立つ同傾向のものでしたが、舞台装置は全く別のものだったような気もします。
2014/10/26(日) 午後 0:26 [ 助六 ]
助六さんこんばんは
私が近くで直接見たカプッチルリ個人のキャラクターも外向的な華やかさよりも内面性と思索性を感じさせるものだったので、彼自身にそういう要素が元もと備わっていたのではないかと思います。
この舞台はフランス人の演出家によるものなのですね。情報ありがとうございます。
2014/10/29(水) 午後 9:07 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]