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R.シュトラウス:
・交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』 op.30
・交響詩『死と変容』 op.24
グレン・ディクテロウ(ヴァイオリン・ソロ)
ニューヨーク・フィルハーモニック
ジュゼッペ・シノーポリ(指揮)
録音時期:1987年5月
録音場所:ニューヨーク、マンハッタン・センター
ドン・ファンやティル・オイレンシュピーゲルはコンサート同様にCDの1曲目に置くべきと書いてきたが、ツァラトゥストラはかく語りきはコンサート同様とはいかない。この曲はコンサートでは通常後半に置かれるが、CDでは1曲目でないと収まりが悪い。運命同様に出だしがあまりに有名過ぎるからだ。(厳密に言えばアシュケナージ盤のようにCDの最後にこの曲を置いている例も全くなくはない。LP時代のようにツァラトゥストラの出だしに驚く人は今では少ないだろう。こういうプログラミングも一つの見識と言える)
さてツァラトゥストラをCDの1曲目に置くことを前提とすると、次に何を持ってくるかが問題になる。LP時代であればツァラトゥストラ1曲でも足りたがCDはそうもいかないからだ。多いのはドン・ファンやティル・オイレンシュピーゲルで埋めるている例だが、ツァラトゥストラの哲学的な沈黙の後にこれらの曲目はそぐわない(後半がツァラトゥストラなら考えられなくもないが)。
私の意見ではツァラトゥストラの後に最もふさわしいのはメタモルフォーゼンだと思う。この組み合わせのCDがないか調べたのだが、ハルトムート・ヘンヒェンがカプリッチョレーベルに録音したものしかなかった。これは未聴のため、次善の策を考えると死と変容だ。これならシノーポリのDG盤とプレヴィンのテラーク盤の2種類で聞くことができる。プレヴィンのテラーク盤は先日のドン・キホーテでも紹介したので今日はシノーポリ盤を聞いてみよう。
これは個性的な演奏だ。悩みながら、そして時に悩みを振り消しながら先に進むような演奏で、決してオケを派手に解放して鳴らすことがない。哲学的というか内向的に沈んだ感じのねちっこい演奏だ。粘着質なのはオケの性質にもよるところがあるだろうが、この録音にわざわざニューヨークフィルを起用したのはシノーポリなので、これはシノーポリの狙い通りなのだろう。
死と変容とのつながりもスムーズでアルバムとしてのまとまりは大変良い。シノーポリはドレスデンで録音した英雄の生涯でもドン・ファンを1曲目に持ってきているので、プレヴィン同様にCDのプログラミングには一家言ある指揮者だったことが伺える。死と変容の演奏もツァラトゥストラ同様に沈み込んだ気分の演奏だが、強弱のダイナミクスをより大きくとっておりオーディオ的にはツァラトゥストラより楽しく聴けるかもしれない。
ツァラトゥストラのベストとは言いにくいが、カップリングの良さと合わせて3枚目ぐらいには持っていて良いディスクだろう。現在入手可能な国内盤では大変残念なことにカップリング曲が変更されてしまっているようだが、廉価盤の輸入盤ではオリジナルの死と変容とのカップリングで入手可能なようだ。
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最近は、その昔にレコード屋さんに飾られていたLPを見るだけで我慢していたものが廉価なBOXになって次々と発売されるものですから、昔の恨みを晴らすほうが忙しくて…(汗)
そういう編集物CDは、収録時間に合わせているので、聞く側も1枚としてではなく、収録されている一つ一つの曲を聞いてしまうことになっています。
確かに昔の初発のLPでは、それなりに組合せを考えた録音であったように思います。
もっとも、その頃は「ツァラトゥストラ」1曲で終わっていたかもしれません。
シノーポリは、結局ウィーン国立歌劇場との「マノン・レスコー」だけしか直接に聞くことはできませんでした。
マーラー全集などでも、かなり個性的な音楽を聞かせてくれておりましたが、未聴の「ツァラトゥストラ」は、やはりその延長線であるようですね。
たった1回しか、それもオペラではありましたが、強烈な個性を感じさせられて、私の中では強い印象を残している指揮者です。
ところでプレヴィンのR.シュトラウスは、もう少しまとまったBOXにならないかなと思っていたら、あっという間に来日記念盤も売り切れてしまったみたいです(涙)
2014/11/10(月) 午後 2:23
Gustavさんこんばんは
シノーポリとフレーニのマノンレスコーお聞きになっているのですね。それは素晴らしい! 私は高校生だったので残念ながら聞きに行けなかったのですが、とても良い演奏だったと伺っています。
シノーポリはオペラとシンフォニーでは違った側面を見せるようですし、シンフォニーでも曲によって随分違う指揮をするようなのでなかなか一言で捉えにくい指揮者ですが、20世紀の優れた指揮者の一人だったことは間違いないと思います。
2014/11/11(火) 午後 7:02 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]
遅いコメントで失礼します。11月は周辺雑事に忙殺されたもので。
そうですね。LP時代は拾い聞きが難しく1枚通して聞くことが多かったから、プログラム構成は大きな意味を持ってましたね。昔のLPはほんと、ジャケット含め完結した小宇宙だった。
CDになって拾い聞きや再読・熟読・精読が可能になって、そうした意味合いは希薄化したし、ネット単売・つまみ聞き時代の今は、指揮者やプロデューサーによるプログラム構成は溶解しつつありますね。
コンサートでは今でも指揮者や組織者の意思がプログラム構成を決めているけれども、意欲的プログラミングが通る余地が大きいはずの欧州放送オケの定期でも、集客上やはり1曲は有名曲を入れざるを得ず、膝を叩くようなプログラムは僅かというのが現実だと思います。
あまりに懲りすぎたプログラムも、私のような擦れてしまった聴衆には組織者のヴィジョンを押し付けられる気がして、ありがた迷惑に感じられたり白けてしまったりということも起こりますし。
2014/12/4(木) 午前 9:44 [ 助六 ]
聞く側の自由意思で何でも自由な順序で部分的にでも聞けるようになったことには、良い面も悪い面もあるでしょうが、いずれにせよそうした聴取条件の変化は否応なく音楽のパーセプションの質と演奏・上演スタイルにも影響を与えていくと思います。かつて録音の登場と進歩に伴って演奏の技術的精度への要求が高まっていったのと同じように。
演奏会では依然、与えられたものを与えられた順序で1回だけ通して聞くという聴取形態は墨守されているけれど(ただ「フォル・ジュルネ」なんかはその意味では新時代のコンサート形式ですね)、日本では大半の音楽経験は劇場でなく録音を通じて行われているでしょうし、欧州でだって豊富な劇場経験を持てるのは主要都市に住み、ある程度の金銭的・時間的余裕があって、チケット入手などのコツに通じた人だけですから、パーセンテージでは極めて限られた聴衆ということになります。
そしてオペラでも最初からヴィデオ視聴を意識して構想される演出が増えているし、演奏会だって最初から録音・録画を念頭に入れた企画が増えていくかもしれません。
2014/12/4(木) 午前 9:46 [ 助六 ]
音楽を聴くという行為はアーティストの意図を尊重して、それをミサの如く集団で享受するという形から、聞き手が自分が好きなものを好きなように按配して自由に私的空間で聞くという個別拡散型の行為に移行していくような。
こうした事情とその是非は、ヴィデオ化が早かった映画視聴について早くから指摘されていたし、今ではIT化が進む社会のあらゆる局面で認められることでしょう。
一方でIT化の進行に伴って、個別的行為だった音楽聴取に関してネット・フォーラムやブログといった経験共有の場ができたり、劇場での実演への欲求が高まったりというぶり返し現象も存在するわけですが。
ところで86年東京のシノーポリのマノン・レスコーは本当に素晴らしかったです。私は彼は後は87年にロンドンでトスカ、フィルハーモニアとのブル5、93年にバイロイトでオランダ人を聞けただけで、確かに一言で括れないタイプでしたが、マノン・レスコーは文句ない素晴らしさでした。
2014/12/4(木) 午前 10:11 [ 助六 ]
>聞き手が自分が好きなものを好きなように按配して自由に私的空間で聞くという個別拡散型の行為に移行していくような。
確かにそうですね。クラシックもCDというパッケージからダウンロードやストリーミングといったネット配信に移行するのかもしれません。そうなると聞きたいところだけ聞くのが主流になってくるのかもしれません。
アーティストの側からすればジャケットデザイン一つとっても作品として考え抜いているのでしょうから悩ましいでしょうね。
私はというと、ジャケットやプログラミング・カップリングも含めてミサの如く音楽を拝聴したい旧世代のリスナーです(笑
2014/12/11(木) 午後 6:56 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]
それにしても今年のバーデンバーデンでのマノン・レスコーやザルツブルグでのトロヴァトーレが日本でもFMで放送されていますが、何と言ったら良いものやら....この出来映えでブーイングが出ないのはなぜ?
フレーニやスコットのようなマノンはもう二度と現れないのでしょうね。カプッチルリのルーナ伯爵やベルゴンツィのマンリーコの不在を嘆く私は完全にオールドファンの仲間入りをさせて頂いたようです(笑
2014/12/12(金) 午後 6:23 [ たか改め「みんなのまーちゃん」 ]
ウェストブルックのマノンには興味引かれましたが、そうかダメでしたか。フレーニも本来マノンを歌う声ではなかったかのも知れませんが、ボエームからエルナーニまでナチュラルに歌いこなしてしまう器用人だったから見事なもんでしたね。以来計8人のマノンにぶつかったけれど、彼女はやはり群を抜いてますね。ザルツのトロヴァトーレは私が聞いた日は幸いルーナのドミンゴがキャンセルでした(笑)。マンリーコのメーリは声が軽すぎるしDi quella piraは半音下げてましたが、Ah si ben mio はスタイリッシュな歌唱で意外に聞かせてくれました。バーデンバーデンもザルツもチケットがバカ値で客は雑多だから、ブーが出るのは珍しいんでしょうね。
2014/12/13(土) 午前 9:11 [ 助六 ]